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第2話 国王陛下の教育係
「マリネット……マリネット! どこにいる?!」
柔らかな春の日差しが降り注ぐ書庫の一角。
いつものように書庫に閉じこもってのんびりと読書をしていた私の耳に、大騒ぎするお父様の声が聴こえて来た。
お気に入りのスペースである出窓からひょいと床に降りたその時、扉を乱暴に開けてお父様が駆け込んでくる。
「マリネット!」
「はい、お父様。ここにおります」
私の姿を見つけたお父様はこちらに駆け寄り、こぶしでがっちりと掴んでぐちゃぐちゃになった手紙を、息を切らせながら傍にある小机の上に置いた。
「お父様、この汚い手紙は一体……?」
「すまん、驚きすぎてつい力が入ってしまった。とにかく、開けて読んでみてくれ」
もちろん、読みますけれど。
そんなにぐちゃってしたら封筒を開きづらいです、お父様。
私は手紙の中身が破れないように、そっと封を開いた。
『マリネット・ザカリーを、国王ジーク・メデルラントの教育係に任命する』
(私が……、教育係に? 嘘でしょ?)
手紙を持つ両手は、私の意志に反して小刻みに震えている。
「お父様、これは本当に……」
「たった今、宰相であらせられるクライン公爵から直々に届いた手紙だ。摂政のヒルデ殿下のサインもある。間違いない、お前が国王陛下の教育係に内定したぞ!」
いいの? 本当に私でいいの?
貴族のご令嬢とのお茶会も、美男子揃いのイケイケ夜会も、ここ数年は全てすっぽかして必死で勉学に励んできた。
その努力が報われた……って解釈してよろしいですか?!
「やったあっ! お父様、このマリネット・ザカリー、国王陛下に命を捧げて教育係として精進いたします!」
「ハッハッハ! 何を言うんだマリネット! お前の将来の夢は手に職つけて安定した老後を送ることだろう? 命を捧げてどうするんだ。婆さんになるまで生きなければ!」
お父様の言う通りだ。
私、マリネット・ザカリーの目標は、安定した仕事に就いておひとりさまの優雅な老後を過ごすこと。
仕事があれば、結婚しなくたって一人で生きていける。結婚相手の行動に一喜一憂して心乱されることもない。
ジーク・メデルラント様は国王という地位にはあるけれど、若干五歳だ。前国王夫妻が不幸にも事故で亡くなり、年端もいかないジーク様が王位を継いだ。
今年十九歳になられる陛下の姉ヒルデ様が摂政として立っているとは言え、たった五年しか生きていない子供がこの国を背負うのは容易ではない。
だから、その国王陛下をお支えできる立場というのは、とても名誉であると同時に責任あるポジション。
(――これ以上やりがいのある安定した仕事、他にないわよね。お婆さんになるまで一人でしぶとく生き抜くためにも、貴族の娘だって独り立ちできるんだってことを証明するためにも、絶対に頑張らなければ)
「お父様、教育係をお引き受け致しますとお返事してください」
「もちろんだ。お前が国王陛下に気に入られれば、あの宿敵ヴェルナー侯爵家のこともギャフンと言わせてやれるからな」
◇ ◇ ◇
私の名前はマリネット・ザカリー、二十歳。
メデル王国の貴族、ザカリー伯爵家の長女。
両親と三つ上の兄、そして年の離れた妹がいる。
ザカリー伯爵家は一応貴族ではあるけれど、父はそんなにパッとした経歴でもなければ、重要ポストに付いているわけでもない。
当たり障りのないポジションで当たり障りのない仕事をし、特筆すべきスキルもない、いわゆるボリュームゾーンだ。
そんなザカリー伯爵家にもいわゆる宿敵がいる。
その昔、私の祖父テオドール・ザカリーが激しく対立したという、ヴェルナー侯爵家だ。
対立の理由はどうということもない、恋愛関係のもつれ。
メデル王国始まって以来の絶世の美女と呼ばれたリーリエ様を巡って、祖父と当時のヴェルナー侯爵が対立したのだと言う。リーリエ様を射止めるために、祖父とヴェルナー侯爵は、毎日のように贈り物を持って彼女のもとに通い詰めた。
しかし、お恥ずかしながら祖父はその争いに完敗。リーリエ様はアデル・ヴェルナー様の方を選んだのだった。
祖父は祖母と結婚した後も、未練がましくヴェルナー家にちょっかいをかけていたらしい。何なら数十年経った今も、時々会いに行っては門前払いを受けている。
(フラれたならフラれたですっぱり諦めれば良いのに……)
とにもかくにもこの一件が原因で、ヴェルナー侯爵家と我がザカリー伯爵家は、いまだに犬猿の仲。
ボリュームゾーンでパッとしない我がザカリー家に比べて、ヴェルナー侯爵家は政の場でも重用されていて、我が家は一歩も二歩も遅れを取っている。
私が国王陛下の教育係という重要ポストに就くことで、宿敵ヴェルナー家をギャフンと言わせてやりたいというのが、お父様の思惑だ。
ついでにお父様は、妹のイリスを国王陛下の婚約者に推したいと思っているらしいんだけど……ちょっとそれは高望みよね。お父様ったら意外と野心があるみたい。
あのおませな悪ガキを国王陛下にご紹介するのは気が引けるけど、もしそうなれば私も国王陛下の義姉。
王族の縁戚者になれば、老後の年金が加算されちゃったりするのかしら。そうなれば、私のおひとりさま老後ライフは更に安泰だわ!
――っと、いけないいけない。
国王陛下の教育係となる以上、自分のことばかり考えていてはダメなのだ。これからは何よりも、国王陛下の教育が最優先!
お父様やお祖父様はヴェルナー侯爵家を意識してキャイキャイ騒いでいるけれど、正直私にはそんな家同士の争いは関係ない。
これまで私が学んできたことを、分かりやすく優しく、国王陛下に教えて差し上げたい。そして、まだ五歳だという国王陛下には、まだまだたくさん遊ぶことも大切。一緒に色んな遊びや体験をして、豊かな人生を歩んで頂けるようにお手伝いがしたい!
決意を新たにした私は、外に向かって出窓を思い切り開いて深呼吸をした。
季節は春、満開の花。
(もう、外に出なくなって四年は経つかしら――)
引きこもり生活が長すぎて外の世界のことを忘れてしまったけれど、季節はいつも私のことなんかお構いなく、くるくると巡っている。
久しぶりの外での生活が、花満開の春なんて最高だ。
窓の外にある木からひらひらと舞い落ちて来た花びらを手のひらで受け止め、私は新しい生活への期待に胸を膨らませていた。
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