21人が本棚に入れています
本棚に追加
10
それぞれの現在。
・希美
変わらずあのマンションで暮らしている。三人家族、夫、希美、息子である悟。
日曜の朝、仕事が休みの夫が寝ぼけ眼で寝室からリビングへと起きてくる。キッチンで朝食の用意をする希美の姿。この日はいつもの和食中心の朝食ではなくトーストとハムエッグの洋食朝食にしてみた。
ダイニングテーブルに出来上がった皿を並べていく。静かに椅子に座る夫。眠そうな声で希美に喋りかける。
「悟はまだ寝ているのかい? 幼稚園も休みだから別にいいけどさ、来年からは小学校に上がるんだ少しはしっかりしないと」
「寝かせとけばいいんじゃない、子供にも休息は必要なのよ人間なんだし」
トースターから食パンが飛び出る。熱い熱い言いながらパンを取り出しマーガリンを塗りたくる夫。
小気味良いサクッとした音を響かせながら食パンにかじりつく。マーガリンの塩気がパンの甘みを引き立てる。ハムエッグの卵黄身部分にフォークを突き刺す。黄色い液体が粘り気をもって白身部分に流れ出す。
塩胡椒を振りかけると目玉焼きを半分に割り夫は一気に口に放り込んだ。いつもの和食朝食ではない朝食風景、こんな日もたまにはあっていい。
子供部屋から悟が起き出してきた。こちらも寝ぼけ眼で目を擦りながらあくびをしている。
昨夜子供が寝静まったのを見計らって夫は希美のことを抱いた。長年続いたレス状態は解消され二人目を目標に日夜頑張っている。
「ママ~、僕ご飯がいいご飯ないの?」
「ごめんね悟ご飯炊いてないの、パンも美味しいわよほら」
トースターに食パンを入れていく希美、不服そうな息子の顔がちょっとおかしくて希美は微笑んだ。
「悟見てみな、焼いた食パンにハムエッグを乗せて食べると美味しいぞ、こんな風に、ほら」
その光景を見て途端に嬉しくなった悟。真似したい年頃。父親のやったようにハムエッグをパンに乗せたくてうずうずしている様子。パンはトースターからまだ出てこないでいた。
「なあママ、今日は公園にでも行ってみようか、久しぶりに外で遊びたい」
「天気良いもんね、サンドウィッチ作ってお昼は外で食べない? きっと気持ちいいわよ」
「朝もパン、昼もパン、夜はさすがにパン以外がいいかな、悟お外で遊ぼう、ママがサンドウィッチを作ってくれるらしい」
はしゃいでいる息子。休日のありふれた家族の光景。きっとこんな家族全国には五万といる。よく見かける光景で街のあちこちで見かける一家団欒の様子。珍しくもない。
「パパ、僕サッカーがしたい、玄関にあるボール持って行っていいでしょ?」
「ああサッカーしよう、悟選手のシュートをパパは止めることができるかな、悟サッカー上手いしな」
その様子を見てまた微笑んでいる希美。これが家族の正解のあり方、本物の家族に敵うものなどない。紛い物の不純物の混ざった家族なんて存在しない。純度100パーセントの家族はこうも美しい。
・根岸
こちらも相変わらずのご様子。希美宅マンションの真向かいに位置する同階数の部屋で日々悠々自適に生活を送っている。
監視作業は一日もかかさずに行っており、もはやあちらの家族と一緒に生活している錯覚さえ覚えるほどに希美を一日中監視している。
親の遺産を大きな白い建売住宅の購入費用に使い果たしてしまった為、蓄えはほとんど無い状態。いつ貧困の道に落ちてもおかしくない経済状況。幸い今の部屋は分譲物件のため家賃が発生しないのが唯一の救い、それでも光熱費や食費は日々発生してくる。銀行通帳の残高は十万円ほど、先の見えている未来を突き進む変態紳士。
今日もベランダで双眼鏡片手に独り言を呟く毎日。
「今日は公園に行くんだね希美ちゃん、あちらで落ちあおう、大丈夫、物陰で見ているだけだから」
「悟くんも随分大きくなった、来年は小学校か楽しみだね」
「僕も本来ならば小学校に通う予定だったんだよ。オンライン授業だけが全てではない、学び舎を共にしてこその学友だ、それを悟くんはこれから知っていくんだ」
今では遠い昔のことのように思えるあの一軒家での家族ごっこの日々。たった半年ほど前のことなのに随分昔のように感じる。
歳をとると一年が数ヶ月ほどに感じる。これは本当だ。四十五歳の根岸にとってみれば半年前なんて一日前同然の出来事で、もうこの歳からの再就職は諦めて希美に心血を注ぐ勢いのこの男。
「犬であった希美を今思い出してみると非常に魅力的だったという強い印象がある、裸同然の姿でワンワン吠える元専業主婦、あれは魅力的だった、名雲が強く望んだのも頷ける」
「彼は元気だろうか、元気に暮らしているだろうか、多分だけどあの大きな白い一軒家に住んでいるのだとは思う、バラバラになった四人が互いに関与することはもうない、意外だったのは桜井があの家から離れたということだ、なぜだろうと今でも思う、彼女は名雲に恋い焦がれていた、正式に妻になったのに自分から身を引いて離れて行った、彼女の考えが今でも分からない、もしかしたらこの四人の中で一番のキレ者は桜井だったのかもしれない、希美ちゃんは人間としての尊厳を一時的に失い、僕はお金を失った、名雲は言うまでもない、やはり桜井、あの子が一番得をしている、何も損をしていない、不思議な子だった」
ベランダでタバコを一服する根岸の姿。
タバコの赤い火種が日曜の午前中によく映える。乾いた日曜日に吸うタバコは旨い。
双眼鏡の先には公園に向かう様子の希美一家の微笑ましい光景。余裕の表情を見せる根岸。手に入らない幸せもある。それを随分理解したこの男。
小さく笑うその唇が少し怖くもある。
・桜井
ニート生活を経て結婚そして離婚という道のりを辿った彼女。現在彼女は再就職をし社会復帰を果たした。絵に描いたようなシンデレラストーリーをここでは見ていくとしよう。
大きな白い一軒家を離れた桜井は元通り実家の家に戻った。
郵送で名雲に判を押した離婚届を送りつけ後日離婚が正式に成立した。この場合バツイチ子なしと言っても過言ではないだろう、事実子供はいない。ただバツが一つ付いただけのこと、そんなにマイナスに捉える必要もない。
今となってはなぜ桜井があの家を出たのかは知る由もない。本人も多くは語らない。憶測でモノを語るのは良くない、人間一つぐらい秘密があってもいい、人間なんだもの。
人が変わったかのように就職活動に励み、現在桜井は都内の事務用品会社の事務として働いている。毎日スーツを着て満員電車に揺られ仕事をして帰ってくる毎日。
人間変わろうとすれば変わるもの、仕事をしつつ今では彼氏ができたのだから非常に驚いてしまう。一つ歳上の二十七歳の彼氏、婚活サイトで知り合った。相手は桜井の離婚歴も知ってくれている、知った上で交際を申し込まれた、順調に進む人生もあるものだ。
会社帰りの電車内の光景。スーツ姿の桜井が座席に座っている。
スマホ画面には彼氏とのメッセージやりとり。
(今仕事終わったよ、疲れた~)
(お疲れ様、こっちも仕事終わって今帰り、佳奈ちゃん来週の日曜空いてる? 観たい映画があるんだけど)
(日曜日空いてるよ、どんな映画?)
(犬の映画、凄い感動するって評判)
(いいね、私犬好きだよ飼ってたこともあるし)
(佳奈ちゃん犬飼ってるんだ、どんな犬?)
(もう飼ってないよ、前飼ってた、人間みたいに賢い犬だったな)
(ヘ~そうなのか)
(じゃあ、日曜日楽しみにしてるね)
以前桜井は人間みたいに賢い雌犬を飼っていた。名前をノンちゃん、人懐っこい可愛い犬だった。彼女は今でも元気にしているだろうかと桜井は頭の中で思ってしまう。
嘘のような本当の話し。四人の家族がいた。桜井は専業主婦として夫を支え、一家の大黒柱である夫は優しく、一人息子はあどけなくて可愛い、愛犬が人間のような姿をしており犬の言葉を喋る。
たった半年前の光景がやけに鮮明に脳裏に浮かんだ桜井。あの頃の生活は幸せだったなとも思う。まるで家族、実際に家族だったモノの集まり。一人一人に役割が配役され演じきる高等なプレイ。変態の先を行き過ぎた故の結果。
日本はアブノーマルプレイに寛容だ。日本という島国は変態性が強く根付いている。 SとMに分かれ楽しむ様は日本人の勤勉さと誠実さが味として滲み出ている。非常に濃厚な味、胃もたれを起こす味。
桜井の今の夜の性生活はいたってノーマルで、やはりこの女が一番賢い。ずる賢い。目立たない性格と見た目だがこういう女ほど十分に注意しなくてはならない。
多分この桜井という女は幸せになる。
・名雲
一番悲惨な運命を辿った男。
大きな白いお家。室内の光景。
糞尿まみれの激臭漂う室内。汚物と黄色い水が溜まり蝿がたかっている。床一面のそれは地獄以上の見た目で人々を驚愕させる。あり得ない光景が広がりただただ臭い。
真っ白だった室内は茶色く汚れ茶色いソファに横たわる人間型の物体。小さな呻き声をあげている。ほんの微かな呻き声聞こえるか聞こえないかの極小の声のような息。
この物体犬を演じている。雄犬を演じている。
光熱費滞納で水道ガス電気は止められているこの一軒家、もはや人が住める環境ではないのに人が住んでいる。人とは呼べないモノは今日も犬を演じている。
あばら骨が浮き出、ガリガリに痩せ細った小さな身体、髪はボサボサ眼球が妙に赤い、唇は赤く裂け爪は獣のように長くなり鋭い。見る人が見るとこれは人間には見えないのかもしれない、獣のように映るかもしれない。
この家に四人の家族が住んでいた。あるきっかけで一家離散し名雲という男は頭がおかしくなってしまった。この男元調教師である。犬の気持ちを一番に理解し、理解しているからこその適切な調教ができた。
何を思ったのか今度は自分が犬になりたいと願ったこの男。願いは叶い今こうして犬を演じている。糞尿まみれの劣悪な環境に身を置き外界と接触を絶って半年が過ぎた。
人間的な思考はもう行えないほどに脳が萎縮し原始的な生活を送る名雲。生活と呼べるのかどうかは不明だが確かにこの瞬間この生き物は生きている。
もうソファから起き上がる体力も残っていない雄犬。その場に糞尿を垂れ流し糞にまみれて埋もれている。
口からは微かな息と何かを喋っており、やはりここでも四人の中で一番悲惨な運命を辿ったということがはっきりと分かる。こんなにも落ちる人は珍しい。直角で落ち切って底のほうでずっと呻いている。
家族を切望した名雲はその家族を失い正気を保てなくなった。幼少期の家族の愛を知らずに生きたてきた結果がこれとはなんとも嘆かわしい。
いずれ死ぬ運命にある名雲。
何を思い何を願って死んでいく。もう思うことすら叶わなくなった貧弱な脳味噌で獣のように生きる男の最後。
汚物にたかる蝿が煩い。
カーテンが締め切られた室内はもうほとんど暗闇に近く、暗い色を名雲に落とす。
可哀想な男。もう吠える力も残っていない。
四つの生き方。かつて家族だった者たち。調教師一人。雌犬一匹。ストーカー男女二名。
多様性の求められる現代社会。色々な生き方があってもいい。日本はアブノーマルを好む人種、毛嫌いする人はそう思っていればいい、時代が追いつく日がいずれ訪れる
希美の着けていた真っ赤な革製の首輪はもう処分して捨ててしまった。
鈍色の鎖が。極太の硬い鎖が名雲の首に巻きついている。
鎖の先端を持つ者は誰もいない。
かつて家族だった者たち。
不倫についての見解を筆者なりにまとめてみたので、ここに述べてみたいと思う。
第一に不倫とは男女の秘密の逢瀬である。
それは秘密でなければならず、人目を避けて行う秘密の情事なのである。
つまりは男と女が存在し、妻帯者あるいは有夫の身でありながら不貞行為を致す愚か者の総称なのである。
筆者である私も一度は妻がおり、自身の不貞行為で身を滅ぼした身分。男は不倫をする生き物なのである。そういった生き物なのである。
幸せな結婚生活など今の世の中一種の幻想に過ぎないのだ。私は身をもってそれを経験した。
あたかも日常が幸せで溢れていると自分自身で思い込み、その幸せが脆くも崩れ去った今、世間様を憎み、身を粉にして労働に勤しむ自身の姿は、ある意味滑稽にさえ映るのである。
妻だった人。かつて妻だった人。
今でもあなたは私のことを好いていますか?
私はあなたのことを今でも好きでいます。
女々しい男は嫌いですか。男とはこういう生き物なのです。男とは女々しい生き物なのです。
私の話はこの際置いといて。不倫についての私なりの見解をここに述べてみようかと思う。
不倫は世間一般的に見ればいけないことだとされている。罪を犯した罪人の如く石を投げつけられる存在なのだ。
私は罪を犯した気などさらさらない。自身の欲求に素直に従い、穴に棒を入れたまで。腰を懸命に振り、犬のような格好で子種を女の体内へと放出しただけなのだ。
何かに抗う気など毛頭ない。人間には欲が存在する。その欲を自制することなど馬鹿の極みなのだ。
穴があったら入れたい所存。凸凹は綺麗にハマる形をしている。テトリスのようなモノなのだ。一列が揃えば綺麗に消えて無くなる。
男は馬鹿を自認している。女は自身のことを賢いと思っている。その二つが合わさる時、そこには愛が生まれる。
愛と欲が合わさり愛欲となる。
愛欲とはいかなるモノか。溺れ死ぬようなモノでもないように思える。足の着くくらいの浅瀬のようなモノだ。きっとそうに違いない。
愛欲に溺れて。
愛と欲に溺れて。
そんなこと到底ありっこない。愛と欲は別個に考えなければならない。
愛とは人を愛するということ。
欲とは人間の身体に最初から備わっているもの。
これらを同義に捉えてはならない。人に対し欲情する。人に対し。犬猫には欲情しない。人間は人間に対してのみ欲情する。すなわちそれは種の保存の理。人間は犬猫と交尾しようとも人間は生まれない。
不貞行為を悪とする風潮。いけないことだと我々はメディアに洗脳され続けている。
昨今の芸能スキャンダルには不倫という二文字が際立って目立つ。テレビ出演する演者であってさえも不倫行為を日常的に行っているのだ。一般人の我々であっても不倫をする自由は尊重されるべきだ。
一夫多妻制の存在しない島国日本。そもそもの原因がこれだ。
美女を両隣にはべらせ優雅にワインを嗜む。そういった気概が今の日本には必要なのだ。
私は元妻に小型GPSを常に携帯させていた。一種の防止措置として鎖で繋いでおく必要があった。
それに嫌気が差した妻は家を出て行った。私は少し反省した。
妻をモノのように扱い、妻のことを人扱いしていなかったように思える。子が生まれていなかったことがせめてもの救い。妻は今頃別の男と一緒になっていることだろう。
不倫は文化だと、かの著名人は言った。それには賛同できる自分がいる。それには大いに大賛成だ。
生物学的に男と女の構造は根本的に違う。男はさすらいの放浪人なのだ。縛られることを極端に嫌うのだ。自身に鎖など必要ない、それこそ噛みちぎって引きちぎってやる。
女は一歩身を引き男を立ててなんぼの世界。女特有の世界がそこには広がる。
時代錯誤も甚だしいと言われそうでもあるが、女性の所作にはそれを行う為の優美さがある。おしとやかに繊細に、憂いをもって人に接する。
ガサツな女は嫌いだ。声の大きい女は大嫌いだ。
男の役割が存在し、女の役割が存在する。男尊女卑を唱える昨今の世の中。
それに反論する気は微塵もない。確かにその通りだと思うからだ。
男女の垣根をなくし新たな世界を目指す。それには大いに賛成だ。だが男は不倫をする生き物だ。そのことを念頭に新たなる世界構築を目指して頑張って欲しいと思う。
大目に見てやってほしい。男は馬鹿であるが故、愚かな過ちを繰り返す生き物なのだ。
ならば男女関係なく不貞行為を良しとする世の中を皆で目指せばいい。他人の妻を寝取り、代わりにこちらの妻を差し出す。winwinの関係を目指そうではないか。
チェスター・ベニントンばりの絶叫で、人の心を揺さぶることは可能かという問い。
ラウドロックやヒップホップ、ハードコアやエレクトロニックなど様々な音楽性を融合させた唯一無二のバンド『LINKINPARK』
そのバンドのヴォーカリストであるテェスター・ベニントン。彼の死後、私は一人悲観に暮れた。妻とそのことで喧嘩となり言い争い、汚い言葉で私は彼女を罵った。
元妻は音楽というモノを理解していなかった。知識的に皆無な彼女の無知さ加減に私は激昂した。
音楽を舐めるな。と私は妻を殴り飛ばし。ならば離婚だと妻に言い放った。実際に妻は家をあとにして行った。
中高生時代に私はLINKINPARKというバンドと出会った。そのバンドのメインボーカルを努めていたのが今は亡きチェスター・ベニントン(享年四一歳)
彼は四一歳という若さで自ら命を絶ったのだ。その四一年間の生涯の中で彼の目撃したものは一体何だったのだろうか。
鮮烈な伸びのある歌声。時には激しいシャウトで絶叫する。誰もが彼の歌声に魅了された。そのうちの一人に私も含まれている。
不倫についての見解と銘打っておきながら少し話が脱線してしまった。話を元に戻そう。
つまりは不倫とは文化であるということ。誰に迷惑を掛けるわけでもない。事実迷惑を被った誰かがいるとするならば、一言ゴメンと謝りさえすればいい。謝りの言葉を述べて誠心誠意反省の意を示せばいい。
意固地になる必要などない。人は人を罰さず、人は人を許す生き物なのだ。であるならば、人とは許しを乞い、人から許される生き物なのである。
つまりはLINKNPARKの名盤として挙げられるのがhybridtheoryとmeteoraとの二つがアルバムが存在するが、私自身としてはlivingthingsも捨てがたいのである。
打ち込みやサンプラーなど独自の音楽性で知られる彼らではあるが、特筆すべき点がマイク・シノダとテェスター・ベニントン二人によるツインヴォーカルである。歌詞の表現と声質の異なった二人の感情表現が巧みに絡み合い独自の音楽性を確立した。
メロディーパートをチェスター・ベニントンが担当し、ラップパートをマイク・シノダが担当している。
緻密に構成された近代的なエレクトロサウンド&ダブルヴォーカルを軸にLINKINPARKは2000年代を代表とするロックバンドの一つであるといえよう。
かたや日本はというと、日本の音楽シーンに彗星の如く現れたツインボーカルバンドといえば、皆さんお気づきKINGGNU(キングヌー)が挙げられるだろう。
彼らの音楽性は時に意外なまでの暴力性を持ち、時に繊細であり、今の時代だからこそ生ま出た特異なバンドであるといえる。
ツインヴォーカルとは如何なるモノか。私が考えるに静と動とを体現する両極端の存在なのである。声質の違いはバンドサラウンドに奥行きを出す。更には二重人格を思わせるような交錯する二つのハーモニー。人生そのものをその音楽性で体現しようとしているのだ。
昨今のSNS全盛の時代。音楽シーンは昔と比べてガラリと姿を変えた。個々が自由に音楽としてのミュージックを発信できる土壌が出来上がったのだ。
私が思うにこれからもう一段階音楽シーンは殻を破ることになる。音楽性そのものが多種多様な顔を持つようになり、若い才能が違う形の音楽というものを生み出してゆく。それが私楽しみで仕方がない。
だいぶ話が脱線してしまったようで。話をもとに戻そうかと思う。
つまりは不倫とは独自性を持った奇異なる不貞行為なのである。
妻がなんだ。夫がなんだ。婚約指輪などただの鉄の塊。婚約届。ただの紙切れですよねソレ。
このような社会構造になるようにしてなった。誰が悪いわけでもなく、悪事を働くような者も存在せず、悪者は誰一人としていないのである。
荒唐無稽な戯言をここで一つ申し述べておくと。不倫=勝手にすればいい。なのである。見事に本質を突いた答えではなかろうか。自分で言ってて実に清々しい。
本来であれば貴方にとっての貴方なのだから、誰に遠慮することもなく自由気ままに生きればいいのだと思う。
そんな私は自分勝手に自由気ままに自分の人生を歩んでいる。今現在歩んでいる。元妻は私の足枷でしかなかった。足元くるぶし部分を鉄の輪っかで拘束され、重い存在として私の自由を奪った存在だったのだ。
この国には婚約の自由が定められている。それすなわち男女の契りを果たすことに政府や国は微塵も関与はしないのである。勝手に婚姻どうぞどうぞ、出生率を上げ国力増強に励んでください。そう私達は国に言われているのである。
私の私見は以上になる。
四人家族の歪な物語は終わりを迎えたかに見えた。しかしこれはまだ序章にしか過ぎない。
目を疑いたくなる光景がそこには広がる。
さあ皆さん、ページをめくる準備はできているだろうか。躊躇するのであればここでページを閉じてもらって構わない。
貴方はこの世の地獄を目撃し、ただ一人の目撃者として自身網膜に事の一端を焼き付けることになる。
再度忠告しておく。
その覚悟が貴方にはおありか。
今からその門を開けます。開け放ちます。形として形容されない禍々しい何かが貴方の身体を包み込みます。
――私は素直に思う。ページをめくる読者として存在する貴方の指を私は舐め回したい。そして快楽の渦へと二人落ちていこうではないか。
最初のコメントを投稿しよう!