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 雌犬である希美からの現在の視点。  スペンサー教官である名雲の後ろ姿。玄関前に二人の男女。面識のない知らない男女のいる光景。  不思議に思う希美。犬である自分が他人に見られている感覚。恥ずかしさなどは微塵もない、これが私の本当の姿。生まれたての衣服を身に纏わない姿。犬に服を着せる飼い主あれはどうかと思う。  お座りの姿勢で股間部分を玄関先見知らぬ男性に凝視されている。希美は男性の股間部分に目をやる。膨らみに興味をそそられる生き物としての本能。  名雲が男女二人に怪訝そうに尋ねる。 「あの、なんですか? 何か御用ですか?」 「名雲様! あの女に噛まれたんですよね? ああ可愛そうにこんなに血が出てしまって」  気味悪そうに露骨に不審がる名雲。 「え、何? あなた方何?」  根岸が割って入る。 「嫌、すみません、なんでもないんです、もう帰りますので」 「あの女! あの女が全部悪いのよ! 名雲様あなたは騙されています、どうか正気を取り戻してください、あれは人間です犬ではありません」  困った表情を見せる名雲。いまだ根岸の股間を見つめ続けている希美。種の保存の理。生物としての本能がそうさせる。 「私は。あなたが名雲様が好きなんです、もう気持ちを抑えきれません、助けてください」  桜井が懇願する。女として見てほしい、あなたを手に入れたいという欲望。 「え……なんで私の名前知ってるんですか、なんなんですかあなた」  露骨に不審な顔を見せる名雲。 「初対面ですよね?」  首を傾げまたも気味悪そうな顔をする名雲。 「名雲様! 名雲様! 名雲様!」  いきなり叫ぶ桜井をどうにか大人しくさせようと、後ろから手を回し口を塞ぐ根岸。それでも叫ぶのをやめない狂ったストーカー女。  慌てる名雲は二人の手を引いて室内に入れドアを閉める。 「ちょっと、なんなんですか、まあ話は中で聞きましょう近隣住民の迷惑もありますので」  室内に二人を招き入れる名雲。お邪魔しますと言って玄関を上がる桜井と根岸。  三畳ほどの狭いキッチンとユニットバス。隣合った短い廊下の先に八畳ほどのリビングが広がった。清潔感を漂わせる綺麗な室内。天井の三連スポットライトがお洒落で大きな観葉植物なども部屋の隅に飾ってある。  セミダブルサイズのベットの横に黒いレザー製ソファが置かれ、ガラス張りのローテーブルの上にコンドームの箱が置いてある。 「どうぞ座ってください」  正座の姿勢で座る根岸と桜井の二人。名雲もソファに腰を下ろす。雌犬は飼い主の足元に擦り寄り白い尻を振っている。  間近で三十二歳元専業主婦の裸体を目撃し、素直に興奮する変態が室内に一人。  思っていた以上の破壊力と衝撃。形のいい乳房と若干崩れた腰回り、丸くて白いお尻に目が釘付けになる根岸。思わず口が開いてしまう。圧巻の光景、これが愛玩犬だというのだから不思議でならない。 「まず本題に入ります、あなた方は誰ですか? なぜ私を知っているのですか?」  押し黙る二人。素直に正直に白状できない理由がある。行動を監視していたストーカーだなんて口が裂けても言えない。  二人の押し黙る姿に質問を変える名雲。 「では質問を変えます、私はあなた方を知っていますか? 初対面ではない? どこかで会ったことがある?」  答える根岸。 「名雲さんは私たちのことは知りません、初対面……これは答えが出ません、会ったこと……これも分かりません」  神妙な面持ちで言葉を述べていく根岸。 「私達は名雲さんのことは存じ上げております。私根岸と申します、こちらの女性は桜井と申します」  会釈をする根岸と桜井。  ずっと考え込みローテーブルの上を眺めている名雲の姿。ピンときたものがあった。導き出された答え。 「ストーカーか」  先ほどと同じように押し黙る二人。その光景を不思議そうな顔で眺めている雌犬。 「ストーカーか」 「はい」  根岸が正直に答えた。桜井のほうは黙っている。 「どうにも私には分からない。何故男女ペアのストーカーなのか? いくら考えてもよく分からない」  部屋の隅に置かれた観葉植物が妙に緑が濃くて視界の隅にそれがチラチラ入る根岸。本当に濃い緑色。この場では現実逃避もしたい。  正直に話してしまおうと根岸は考え口を開く。 「私が希美さんに、桜井が名雲さんに好意を抱いております、不快な気分にさせてしまい申し訳ございませんでした」  考え込む名雲。 「根岸さんと桜井さんがお二人でいる意味は? 普通共通点なんてないですよね、偶然にしては出来すぎている、何か裏がありますね?」  ギクリと心臓が鳴る根岸。痛いところを突かれた、非常に痛い。説明しようにも説明ができない。 「この人希美さんのバッグに盗聴器仕掛けてたんです」  ここにきて裏切り行為を図った桜井。  目を泳がせ冷静さがどんどん失われていく変態男。死にたい。今すぐに死にたい。穴があったら入って死にたい。 「ホテル前で盗聴してました、この人が」  大胆な裏切り。ここまではっきりとした裏切り行為は珍しい。この変態女もイヤフォンで盗聴していた張本人。責任のなすりつけを華麗に決めてみせる女。 「少し話が分からない、僕らのプレイを盗み聞きしてたってこと? 全部?」  またも押し黙る二人。話の着地点が見えてこない。  神妙な顔つきになり色々と考え込んでいる名雲。知ったこっちゃない雌犬はご主人様の膝に乗りご機嫌のようだ。 「あの、まあ、見ての通り私は雌犬を飼育しているわけだけども、その点に関して根岸さんはどう思う、正直に答えてもらって構わない」  意見を問われ困ってしまう根岸。雌犬の飼育に関して意見を言えと言われても、これは明かに人間であって。犬ではなく人間なのであって。正直に言うと気持ち悪いと思ってしまう側面があって。 「あの、少しですが、気持ち悪いです」  素直に考えを述べた根岸。  顔色を変えない名雲は桜井の顔を見て同じことを問う。 「桜井さんはどう思う、率直な意見を聞かせてほしい」 「気持ち悪いです」  静まるリビング内、天井のスポットライトが悲しく光っている。部屋の空気は重い。重くしている張本人がこの部屋の主人名雲であって、ソファに座り裸の女性を膝で抱える姿が非常に滑稽で。どこかの国の王様かと思ってしまう。 「素直なご意見ありがとうございます、では質問の角度を変えてみます、桜井さんあなたは私のストーカーだ。もしもの世界で私があなたに犬になれと命じたとします、最愛の人の命令を素直に聞き入れることができますか?」  瞬時に頭の中で名雲所有の愛玩犬M奴隷になった自分の姿を想像しちょっといいかもと思ってしまった桜井。  ほのかに頬を染める。 「多分受け入れます、ちょっと怖いけど」 「では桜井さん、私の奥さん妻になれと言われたらどうしますか? 最愛のパートナーである契りを交わし一緒に生活を共にする」  心をときめかせる桜井。即答した。 「結婚します」 「いいでしょう、では結婚しましょう、あなたはこれから名雲姓を名乗るといい。婚姻届は明日提出しましょう、晴れて私の妻となりました、さあ喜びなさい」  奇跡が起こった瞬間。大逆転勝利。大番狂わせ。  願いは信じ続ければきっと叶う、それを体現してみせた桜井。あり得ない光景に目を丸くする隣に座る根岸。 「次に根岸さんあなたに問います、私の息子になってみる気はありませんか? この雌犬を見てみなさい、いつでも一緒に居れますよ」  頭の狂った発言をこの場でぶちかましていくスペンサー教官。根岸に自分の息子になれと言っている、話が飲み込めない様子の変態男。 「いや、ちょっと、どうですかね、それは……」  愛想笑いを浮かべながら顔を傾げる根岸。 「自分に正直になったほうがいですよ、自分に嘘をついてこれからも生きていくんですか? あなたは希美のストーカーだ、こんなものなんですかあなたの希美への愛は」 「息子はちょっと……」  肩をすぼませ縮こまる根岸、名雲が決め手の一手を投げかける。 「セックスできます、雌犬とセックスし放題です、あなたが今ここで息子にならなければ今後一生希美に触れることはできないですし、エッチすることも出来ないです。五秒以内です。五、四、三、二、一」 「――なりますっ! 息子になります!」  ニヤリと笑うスペンサー教官。 「桜井さん貯金はどのくらいある?」 「え、と、0円です」  根岸に視線を向ける名雲。 「根岸さんあなたの貯金額は?」 「え、えと、親の遺産があるので三千万くらいです……」  急にソファから立ち上がる名雲。ゴロンと床に落ちる雌犬。正座姿の二人を見下ろし高らかにこう宣言する。 「一軒家を購入します、私たち三人と一匹はこれから晴れて家族だ。大きな白い一軒家です、広い庭も付いています、最高です」  突然の一軒家購入宣言にたまげた様子の桜井と根岸。  白い一軒家に三人と一匹の新しい生活。名雲が望んでいた未来。こうも簡単に望みは叶う。人生は楽勝だ。  明日市役所で結婚届けと養子縁組届けを提出する。妻ができ息子ができ愛犬もいて、幸せな家庭がこれから待っている。期待に胸を膨らませる名雲。  名雲家一家ここに誕生せり。
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