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僕のお母さんが体調を崩すのは、だいたい5月のGW明けからだ。
別にもう何十年と付き合ってきたからどうってことはない。
そう思っていても、自分の手に追えるのには限界がある。
いつの間にか、お父さんは家に寄り付かなくなった。
ただ、生活費だけは毎月手渡しするために家へと来てくれる。
お母さんも、その日だけはきちんとした格好でお父さんを出迎えていた。
今日はお父さんが来る日。
さっきまで窓際でぼんやりと外を見ていたお母さんが、立ち上がると洗面所へ歩き出す。
僕はその様子を黙って見守っていた。
「尚くん、これでどう?」
「うん、綺麗だね」
「本当? じゃあ、お父さんもきっと帰ってきてくれるかもね」
「そうだね」
お母さんが嬉しそうに微笑んでいる。
でも、僕は知っている。
どんなに綺麗に着飾ったって、お父さんは決してここへは帰ってこない。
お金を渡せばすぐに本当の家へと帰って行ってしまうんだ。
ーピンポンー
インターフォンが部屋に響く。
髪を耳へ掻き上げると、お母さんが足早に玄関へと駆けていく。
「お帰りなさい」
「こんにちは。尚之は?」
「中にいますよ」
「じゃあ、失礼するよ」
「どうぞ」
お父さんが靴を脱ぎ、中へと入ってきた。
僕の姿を見つけると、優しい笑顔で会釈をしてくる。
僕も答えるように会釈し、「座ってください」と声をかけた。
僕たちの関係は奇妙だ。
きっと僕とお父さんは本当の親子で、お母さんも本当のお母さん。
ただ、一つだけわかっているのは、この家族の関係は、初めから本物ではないということ。
お父さんには本物の家族があって、僕たち家族のことは第二の家族と言えばいいのだろうか。
いや、もしかしたらその域にも達していないかもしれない。
お父さんは僕の向かい側に座ると、スーツの胸ポケットから銀行から下ろしてきたばかりであろうお金の入った封筒を目の前に差し出してきた。
「今月分だよ。お母さんのことをよろしく頼むね」
「はい」
「それじゃあ、またね」
「はい」
封筒を自分の手の中に収めると、僕はお父さんと目を合わせて合図を送った。
このお金をお父さんが毎月持ってきてくれるのは、僕とお父さんがビジネスという名の形で繋がっているからだ。
一言で言えば、僕が誰かと行為を行うことで得ることの出来るものということになる。
僕が中学生になったと同時に紹介された仕事で、お父さんから言われたのは、養育費は小学生までしか払わないということ。
それからは自分の力で稼ぐようにと……
働くことのできないお母さんに代わって、僕が働くしか稼ぐ方法がなかった。
法的に中学生が働ける所なんてあるわけもなく、お父さんに言われるまま僕には自分の体と引き換えにお金を得るという選択肢しかなかった。
相手をするのはお金持ちの叔父様たち。色々な人たちがいる。ノーマルな人、アブノーマル人、コスプレ好きな人、ショタ好きな人。でも、どの叔父様もとても優しくて決して僕を傷つけることはない。
それはきっと、お父さんがそう扱うように初めにきちんと説明してくれているからだろう。
帰っていくお父さんの背中を見送りながら、玄関で待っていたお母さんが、お父さんのスーツの裾を必死で掴んでいるのを遠目で見つめる。
「あなた、今度はいつ帰って来るの?」
「また来月、会いに来るよ」
「もっとゆっくりしていって欲しいのに……」
「それは無理だよ。君もわかっているだろう」
「だけど、私はまだこんなにもあなたのために綺麗になれる」
「無茶は言わない約束だよ。尚之がどうしてもというからここへ来ているんだから」
「私のことももっと見てよ」
「じゃあね。尚之と仲良くするんだよ」
「何で……尚くんばっかり……私たちの子供なのに……」
「また来月ね。今日も綺麗だ」
掴まれていた裾からお母さんの手を優しく包み込むと、お父さんはお母さんに向かって微笑んだ。
すごい剣幕だったお母さんが、一瞬で恥ずかしそうに顔を赤く染めて大人しくなる。
たった一言でお母さんの感情を沈めてしまうお父さんはすごい。
僕には到底真似できない。
「尚くん……」
「お母さん」
「お父さん、帰っちゃった……」
「そうだね。でも、今月もこうして会いに来てくれたでしょ?」
「そうね……私たちのこと嫌いになったわけじゃないわよね?」
「嫌いになんてなるわけないよ。大丈夫……」
そう言うことで、お母さんは少し安心したように笑うんだ。
本当はもうとっくに壊れていることをわかっているのに……
そして僕も何も考えたくない日が続いてしまう。
この季節は人をダメにする。
全ての感情を無くしてしまうかのように、ユラユラと浮いているように……
ーピコンー
スマホにメッセージが届いた。
【今夜、19時にいつもの場所で】
お父さんからのメッセージだ。
今夜、僕は誰かに抱かれる。
逃げ出したくても逃げ出せない。
だって、目の前のお母さんを守らなきゃいけないから。
そのために、僕は約束の場所へと向かうんだ。
お母さんの手を握っている手に自然と力が入った。
いつまで僕はこんな生活を続けなきゃならないんだろう?
早く抜け出したい……
そう思っても、誰も助けてはくれない。
生きていくためには、お金が必要だから……
「初めまして。尚之です。今日は僕を好きにして下さい」
部屋に入るなりベッドの上に仰向けになると、僕はそのまま目を閉じた。
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