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最後の射精は古い児童公園のくたびれた和式トイレのなかですませた。手に飼いならされた陰茎は、数十年の歴史を感じさせる臭気が充満した未明の薄暗い空間に臆することもなく、最後の放出欲を満たすのにわずかな時間しか要しなかった。
精液をだしおえたあとの特有の空しさは感じるが、疲れはまったく感じない。膣内で射精するのにくらべれば、要する時間もエネルギーもはるかに少なくてすむ。
生命の危機を感じるとき、男はとにもかくにも精子を放出することを欲するらしい。種族保存本能というやつだろうか。ぼくは今まさに生命の危機に面している。もっとも、自発的に招いている危機であるのに、そんな本能が働くとは意外だった。しかし、放出欲を覚えるという予想外の出来事が、子供のころに毎日のように遊んだ懐かしい児童公園に寄り道をさせてくれた。
塗料がすりきれた鉄錆色のジャングルジムと鉄棒。ブランコは肝心の鎖と横木が取り外されている。「冒険山」は頂の展望台からぶら下げていた鎖を一本も残しておらず、変わらず十字にトンネルが走っているが、すっかり色あせ黒灰色を浮かび上がらせていて、さながらコンクリート要塞の遺跡のようだ。
よくコマ回しをした黒土は氷点下の硬さだったが、歩を進めるにつれて地面はしだいに柔らかさを増し、色を薄めていく。山砂の混ざったかつての少年ソフトボール用のダイヤモンドが近づいてくるのが足音でもわかる。もはや緑色とはいえないバックネット。その裏手にある出入口から坂道を上りきったところにある1C―2号棟まで、あと歩いて五、六分だろうか。
人手に渡った隣町の実家を最後に一目見て、一時間かけて歩いてやってきたが、走っている自動車はバス通り以外では見かけなかった。古びた市営団地の裏通りにはコンビニなどない。ぼくはシンと静まりかえった坂道をゆっくりと上りはじめる。
眩いばかりの満月とその子供たちのような外灯の明かりを受けながら、茶、ベージュ、白と順に規則正しく色を変えていく五階建ての集合住宅は、色がひとまわりするごとに二階分の標高を増していく。やはり昔の通学路の傾斜はきつい。幼稚園児や小学一年生にとって帰り道は難関だった。
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