おともだち布

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「ぬいぐるみとサヨナラしなさい。そうしないと人間の友達はできませんよ」  占い師の前で、私は絶句した。ぬいぐるみの存在を言い当てられた驚きと、彼らを手放さなければならないという警告へのショックが、ダブルで心を揺さぶる。 「あなたは寂しがってる。子供の頃から友達が出来なかったんでしょう?それ、ぬいぐるみを大事にしすぎているせいですよ」  男の占い師は、私がショックを受けているとわかっているだろうに、ズカズカと言葉をつづけた。女性の占い師にすればよかった。いくら占い師としての実力が本物でも、客が若い女だからってこの物言い、失礼じゃないか。確かに私は寂しい。自分でも感じているし、はたから見ても寂しい女だろう。二十四歳になっても恋人はおろか、まともに友達だって出来たためしがない。人と関わるのが苦手で、家で細々と絵を描く仕事をして生計を立てている寂しい人生。一人でいるのは慣れているけど、時折猛然と沸き起こる寂しさに年々耐えられなくなっていく。そんな人生を変えるきっかけが欲しくて、評判の占い師のもとへやって来たのだ。  それなのに…。 「私にとって、ぬいぐるみたちは唯一の友達と言える存在なんです」 「そうでしょうね。だから手放すべきなんです」 「どうしてですか?大人のくせにぬいぐるみなんて持ってたら引かれるから?私、そんなこと気にする方とお付き合いするつもりありませんから」 「苦しいのはわかります。しかしぬいぐるみを手放しさえすれば、恋人も友人も思いのままですよ」  私は顔を上げて占い師の顔を見据えた。ほとんど睨みつけるような目だったのだろう。占い師は困ったようにため息をつく。 「あと少しで、あなたは戻ってこれなくなる。人との繋がりを望むなら、それは避けないといけない」  ぬいぐるみは全てで三つだ。全て子猫ぐらいのサイズで、ベッドの隅にいる。ライオンのふさ太郎、イルカのボボ、ミミズクのムツ子。動物園で出会ったり、知り合いがくれたものであったり、私のもとへやってきた経緯はそれぞれ違う。しかし、どの子も私の立派な友達だ。 狭いワンルーム、ベッドの反対側に構えたデスクには仕事道具が広がっている。私はベッドの隅にいる三匹を持ち、膝にのせてデスクに向かった。占いから帰ったばかりだけれど、仕事をしなければならない。すでに下書きは済んでいる、あとは彩色していくだけだ。ふさ太郎の立派なたてがみに顔をうずめ、目を閉じる。 「早く虹の下に行こうよ!」  青空を泳ぐのが得意なボボが意気揚々と先へ進む。終わりの見えない草原に私たちは立っている。夜行性のムツ子は私の左肩で眠そうに目をしばたたかせて、ふさ太郎は私の足元で声を張り上げる。 「おいボボ、一人で先に行くなよ」  空が高い、風が吹きさらしてピン留めで抑えた前髪が揺れる。実際に吹いているのはクーラーの冷風なのだけれど。色鉛筆を手に取り、描き始める。小さな画用紙を覗いただけで、見た人が広い草原に立てるように。 「早くしないと虹が消えちゃう」  ボボがじれて尾びれを揺らす。ハイハイわかったから、と私たちはボボの後に続いて歩き出した。  私の絵は、ふさ太郎を筆頭にしたぬいぐるみたちと過ごす空想世界を通じて描かれる。始めはただ話し相手が欲しくて、布にむかって話しかけていただけだったのが、ある時から彼らは意志を持つようになった。勝手にしゃべりだすようになり、私が目を閉じて念じれば空想世界で一緒に過ごせるようになった。ふさ太郎が初めて「たてがみをとかしてくれないか?」と喋り出した時、驚きより喜びが勝り、未知な体験への恐怖など微塵も感じなかったのを覚えている。どうせ描くなら、自分の知っている一番美しい世界を描きたい。空想世界を活かすようになってから、ぐっと絵の評価は高まった。 今は、とある少女が美しい草原を旅する連作を仕上げているところだ。少女のトレードマークである、赤い棒ピンを最後に描いて今日は終わり。ふっと空想世界から戻ると、ぬいぐるみたちは私の膝の上で折り重なってぐんにゃりとしていた。抱き上げて、ベッドに戻してあげる。 「ぬいぐるみとサヨナラしなさい。そうしないと人間の友達はできませんよ」  集中が途切れた途端、占い師の言葉が蘇った。 「どうかした?」  私の思いつめた表情を見て、ふさ太郎が心配そうに見上げてくる。意志を持ったこの子たちを、どう手放せというのだろう。ゴミ袋に入れる?知人にあげる?どの案も身震いがするほど恐ろしい。ただの布であった彼らが意志を持ったのは、きっと私が命を吹き込んだからだ。それって、人間の友達を作るよりずっと素晴らしいことじゃない? 「なんでもない。今日も皆のおかげで良い絵が描けたよ」 「明日もお絵描きする?また青空を泳ぎたいなあ」 「そうだね、あと一枚残ってるから楽しみにしてて」 「次は夜の絵にしてくれる?明るいと眠くてたまらないの」 「フフ、考えとく」  好き好きに言葉を発する彼らは間違いなく私の宝であり、最上の関係を結んだ友達だ。評判の良い占い師がなんだ、人間の恋人やら友達がなんだ。もう良い、私は今ある幸せを抱きしめるんだ。人と繋がる喜びとぬいぐるみたち、どちらかしか選べないのなら、私はこの愛しい布と生きていく。 「おやすみなさい。また明日ね」  明かりを消して、ベッドに潜り込んだ。  草原を行く少女の連作は、少女が彼方に見つけた虹を目指して進むというストーリーがある。今日は、ようやく虹の下にたどり着いた場面、最後の一枚を仕上げるのだ。 「大きな虹だなあ、口を開いたクジラくらい大きいよ!」  ボボはいっぱいに広がる虹を前に大はしゃぎだ。ウトウトしていたムツ子も、虹の美しさに目を見開いている。 「ねぇ、女の子は虹にたどり着いたあとどこに行くんだい?」  足元で寝転ぶふさ太郎が訊ねる。 「ええ?絵で描いたものの先なんて、考えたことないな」  美しい虹に満面の笑みを浮かべる少女の、小さな手を描きながら答える。あと少し、あと少しで完成する。完成したらすぐ梱包して、展示してくださる画廊に送らないと。 「それにしても、君がつくる世界はまったく素晴らしいよね」  事務的なことで頭がいっぱいになっている私に構わず、ふさ太郎は続ける。 「僕たち、どちらにするか迷っていたんだけど。こちらの方が自由気ままに過ごせる。もう決めたよ」 「決めたって?」  少女の髪の毛を彩色していく、愛らしい栗色の髪の毛だ。よし、あとは赤い棒ピンを前髪に描くだけ。 「これから生きていく場所さ。現実世界は窮屈だからね、こっちにする」 「え?」  顔を上げると、日光の暖かさと草の匂いが全身を包んだ。隣を向くと、ふさ太郎が私を見ている。 「なんかデカくない?ふさ太郎」 「そりゃライオンだからね」  手から色鉛筆が消えていた。画用紙も、机も、座っていた椅子もなくなっている。あるのは無限に広がる草原と、巨大な虹。 「君はどっちにするの?一緒に来てくれたら、僕たち嬉しいよ」  見ると、ふさ太郎の隣にムツ子が、空中にボボがいる。ボボもぬいぐるみの時より何倍も大きくなっている、ムツ子は大して変わらない。 「あと少しで、あなたは戻ってこれなくなる」  占い師の言葉が頭に蘇る。ふさ太郎が初めて喋った時、少しも怖くなかった。今も怖くない。すごくすごく嬉しい。皆と、ずっと一緒にいられるんだ。  私は満面の笑みを浮かべ、ふさ太郎のたてがみに力いっぱい抱きついた。 おわり
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