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「原因には、何か心当たりはありますか?どんな些細な事でもいいんですが」
患者は長い黒髪で顔を隠すように俯いたまま、僕の質問に首を振った。
自分で来たんだから何か言えよ。面倒くさい。
左手でスマホを弄りながら、右手でペンを取る。
「では、藤崎さん。症状が出始めた頃にどんな事がありましたか?どこかへ出かけたり、何か変わった事をしたとか」
よりによって雨の日に、雨音の幻聴なんて新手の冷やかしかよ、という心の声は、勿論おくびにも出さない。
背凭れに寄りかかりもせず、浅く座って身動き一つしない彼女は、青いワンピースの左袖を右手でゆったりと摩ると、ようやく口を開いた。
「…仕事をしていました。残業で遅くなって、帰りは夜の11時過ぎに」
「それは、いつのことです?」
「1年前です」
だから、1年前のいつだよ。とも決して言わない。
昨日の出来事のように話したそれが、幻聴の原因として思い当たる当時の出来事なのだろう。
「その時の天気は覚えてますか?」
「はい。ひどい雨でした」
「帰りは車で?」
「いいえ、バス停まで歩いているところでした」
随分とまた詳細なことを。まるで、いつどのようにして幻聴が発生したか、正確に覚えている風な口振りだ。
わかっているなら最初から書け。僕の仕事を増やすな。
内心から溢れ出る文句を飲み込み、代わりに質問を吐く。
「バス停から先の事は、覚えていますか?」
藤崎ミキハは数秒黙って、再度首を振った。
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