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高校二年生になった今でも、夜から雨が降り出すと、「明日は早く起きなきゃ」と思う。
これまで買った本で最も多く読み返したのは、朝露を集める妖精が登場する児童書だ。夏を心待ちにする緑の葉の上で、つやつやと煌めく朝露を全身に浴びる。すると、妖精がたちまち綺麗な女神になる、という夢のようなストーリーだ。
この本を初めて読んだのは、小学生の時。それ以来、夜から雨が降ると、わたしは目にも留まらぬ速さでベッドへ飛んで行くようになった。
別に綺麗になりたかったわけじゃない。
ただ、「朝露」が特別な魔法のように思えて、それを見たくてたまらなかったのだ。
そしてこの思いは、いくつになっても消えることはなかった。
「――お母さん。明日はちょっと早めに起きて、森林浴しながら登校してもいい?」
「そう言うと思った。それじゃあ、ゆりの朝ごはんは、パパッと食べられるものにしようか」
にっこりと笑うお母さんに、わたしも笑顔でうなずいた。
いつもより三十分早い時間にアラームをセットすると、雫が織り成す不規則なメロディーを聞きながら、眠りについた。
翌日、お母さんが作ってくれたサンドイッチを味わいつつも手早く食べると、歩きやすさを考えてスニーカーで家を出た。
「わっ、いい天気!」
ドアを開けた瞬間、真っ白い太陽がカッと照った。文句なしの晴天だ。
家と学校のちょうど真ん中にある「緑の公園」の白い石造りの門をくぐる。すると、雨上がりの土の匂いがまったりと流れてきた。東京では中々味わえない、健やかな匂いだ。
思わず深呼吸を一つ。
まだ朝方で排気ガスが少ないのはもちろん、雨が埃を払ってくれたおかげだ。そのおいしい空気を、胸いっぱいに吸い込んだ。
テニスコート十面分の公園内には、ユリノキや桜の木、ハリエニシダやニワナナカマドの低木などが植えられ、紫陽花が道なりに咲いている。
その草木の上で朝日をキラキラと乱反射する朝露は、磨かれたダイヤモンドよりも美しい。
しばらくの間、わたしはその光景に目を奪われた。
(……さすがにもう小瓶には集めないけどね)
いつもはスマートフォンばかり見てうつむきがちな顔をクイッと上げ、両手を広げながら歩き出す。すると、雨雲を追い払った風が、わたしの頬や腕に朝露の雨を降らせた。
耳を澄ませば、朝を告げる鳥たちの陽気な歌声が聞こえてくる。
まるで、森の中にいるみたいだ。
(気持ちいいな……)
ふと顔を下げると、わたしが歩く道の一本右隣の道に、人影が見えた。わたしの通う女子校と並んで建つ男子校の生徒だ。
男の子は目を閉じて、両手を広げて立っていた。
(……あの人も、朝露を浴びてるのかな)
もしかしたら、わたしと同じように、あの本を読んで、朝露に対して恋心のような燃える思いを持っているのかもしれない。
そう期待した瞬間、男の子がスッと目を開けた。おもむろに背負っていたリュックをおろし、ごそごそと中を探る。
取り出されたのは、万年筆のインク瓶のような形をした小瓶だ。
男の子は小瓶の蓋を開けると、空色の紫陽花の葉に座る朝露を、そっと小瓶に入れた。
それを見て、わたしは思わず「ふふっ」と笑ってしまった。
思った通りのことが起こったんだもん!
今まで、同じことをする人なんて、一人もいなかったのに。
わたしの心は、雨の雫が紡ぐメロディのように、楽し気に弾みだした。
(次の雨上がりは、わたしも小瓶持ってこよう!)
子どもの頃に買ってもらった、「あさつゆせんよう」と書かれた小瓶はどこに仕舞ったかな。そう考えながら、また歩き出した。
そして次の雨上がり、朝露が入った小瓶を持ったわたしと彼は、初めて顔を合わせた。
最初の一言は、声をそろえて……。
「「あの本を読んだの?」」
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