インパラとラクダ

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 家人みなが寝静まった深夜。  金曜から土曜に日付を越えて(しばら)くのリビングで、僕は独り、録画しておいたアニメを観ている。マッドサイエンティストを自称する歪んだ性格の学生が右往左往する多元世界モノ、の続編。前作を上回るややこしい筋なため家族の誰にも支持されず、故に深夜ひとりで観ていても咎められることが無い。  音量を絞り気味で背後の気配を気にしながら、僕はTVの画面ではなく左手に乗せたスマートフォンを注視している。  手元が蠕動(ぜんどう)し、新しいメッセージがぽこんと現れた。 「さっきね。ほら、前に話してた電車のイベント。洸太郎が行きたがってたアレ。明日なのに、行くのかどうなのかはっきりしてなかったから聞いてみたの。そしたら言うことがイイのよ。あ? ああ、行こうよ。お昼? お弁当。つくって持っていくよ。ですって。私もう絶句しちゃったわ。それってつくるヒトのセリフじゃないの? 七時半には出なきゃいけないって言うのに、いったい誰が早起きしてつくってくれるの? ね。もうあきれちゃうでしょ」  祥子の配偶者は、相変わらず迷走発言を繰り返しているようだ。正直、なぜもっと彼女を大事に思ってあげられないのか理解に苦しむ。だからこそ僕の存在意義がある、などとは考えたくもないが。そんなことを思いながら、軽い口調で僕も答える。深夜の通信。 「笑っていい? っていうかそれって笑い話なの? 『ふーん、そうなの。頑張ってね』って応えてあげたらよかったのに!」  入力する時間だけのタイムラグで、新しいテキストがぽこん。 「そっか。そういう手もあるんだ。昨日の内に教えてくれなきゃ! もう今からお米の準備よ、まったく。子どもたちが前に言ってたんだけど、私を動物に例えたらリスとか鼠ですって! 忙しくコチョコチョ動いてるからだそうです。失礼しちゃうわ(笑)」  祥子を動物に?  手元の画面を見つめながら、僕はしばし黙考する。  イメージを頭に描き、スマートフォンのフリックで固定する。 「鹿系かなぁ。『インパラ』とか? 可愛くて優しそうなんだけど、草原で生き抜くだけあって、足が速くて、ちゃんとタフなの」  返信は早かった。 「インパラ! それって良いの? 悪いの? タフなんだかどうだか。弱くてすぐにいじけて泣くのにね!」  こちらも秒で返す。 「いじけて泣いても、ちゃんと立ち直れる。動物園にいるヤツとはワケが違うよ(笑)」 「なんか変な誉め方。あんまり嬉しくない! っていじけるぞ!」  予備役の脳細胞を招集する。考えろ、俺。 「ゴメンゴメン。ちっとも悪い意味じゃないんだよ。たおやかそうなのに芯は強い、ていうか、優しくて弱々しい印象でもちゃんと(したた)か、だとか」  嗚呼、ヤバい。頭に描いてる良いイメージがまったく上手く伝わらない。  止む無く、思考の流れをそのまま文字にする。 「あー、ヤバイ。全然良いイメージで伝わらない(笑)。話を変えよう。で、僕だったら何か、っていうと……、なんだろう?」  ふた呼吸ほどの間があく。  ぽこん。 「なんか誤魔化された感じ(笑)。まあいいわ。***はね。えーっと」 「えーっと、何?」  祥子は僕を何に見立てるのだろうか?  新しい視点を観るようで、少しドキドキする。  ぽこん、とテキストが届いた。小さめの吹き出し。 「ラクダ」  スマートフォンを片手に、僕は思わず噴き出してしまう。  らくだぁ? 砂漠をぱっこぱっこ歩く、アレかぁ?! 「ラクダねぇ。なるほど。で、どっちなの? ヒトコブ? それともフタコブ?」  今度は彼女が笑う番だ。目に見えない電子の回廊の向こう側。ここと同じように家族が寝静まった深夜のリビングで、祥子が声を殺して笑ってる姿が浮かぶ。  TVの中でも復活した主人公が高笑いを上げている。  約二分のインターバルを置いて、スマートフォンがが振動を始めた。  ぽこん。  見つめる僕の手の中で、小さな画面が祥子の答えを並べて見せた。 「もちろん、フタコブよ!」
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