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「お願いがあるんだ」
「はい」
「最近来ないあの子なんだけどさ……様子、見に行ってもらえないかな」
ある日、病人が躊躇いがちに切り出した話は、最近来なくなった好きな人の様子を見に行って欲しいというものだった。
「僕は病気で行けないからさ……この近くの中学校で、写真はこれだよ」
写真にはいかにも快活な女の子で、後ろでひとつ括りにされているポニーテールが印象的だった。
「剣道部のエースでさ、いつも竹刀持ってるんだ。試合の動画も見せてもらったんだけどさ、本当に格好良いんだよ!」
「なるほど」
「でも最近めっきり来なくなって……クローバーも渡したいし、見に行ってくれると嬉しいな。取材もサービスするからさ」
「別にサービスされなくても、行きますよ」
最近のフレグランスは林檎に固定されたままで、何処か味気ない。その女の子が来れば匂いも変わるだろう。理由はそれだけだ。
「……やっぱり変わったね、陽菜さん」
その日の夕方、私は中学校でその女の子が帰宅するのを待っていた。病人によると、今はテスト期間で部活動も停止しているらしい。
「遅いな……」
5時を過ぎても現れない。もしかして裏門から出たかと思うと、タイミングよくその女の子が現れた。
隣にいる男の子と、手を繋ぎながら。
「今日は何処に行く?」
「パフェとか食べに行きたいな!」
「夜ご飯も有るんだから、もっと軽食にしようよ」
その光景は普遍的な幸せで満ちていた。互いの目からも、幸福を感じられた。
病人の事なんて、少しも気に止めてなかった。病室に来ない理由も、理解してしまった。この真実は、伝えてはいけない事も。
「あれ?もう面会時間終わるのに、また来てくれたんだ」
面会時間は6時までなので、病人は私が今日2回目の訪問をした事に驚いていた。私は紫色の紙袋から、フレグランスを取り出した。
「今日女の子に会って、これを渡すようにと。今は部活の大会練習で忙しいらしく、来れない事を気に病んでいました」
「そんな事で落ち込まなくて良いのに」
病人に私は嘘を吐いた。このフレグランスは私が買ったもので、彼女はもう来ない。本当は来るかも知れないが、心理的な壁はもう超えられないだろう。病人のささやかな夢も、果たせ無さそうだった。
病人は嬉しそうにフレグランスを開けると、葡萄の香りが辺りに広がった。
「林檎の香りが残ってて、あまりいい香り、しませんね」
「そんな事言わないでよ。折角貰ったんだからさ」
病人は本当に嬉しそうにフレグランスをずっと眺めていた。
「ありがとう。陽菜さん」
「取材はきちんと受けてもらいますからね」
病人の事を可哀想だとは思わない、知らない方が幸せな事も、きっとある。
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