三 「WEB小説って」15

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三 「WEB小説って」15

 今回のことで、私はふと人生において、自分が背負った運命のようなことを思い出した。  私は双六(すごろく)が苦手だ。  いや、大の苦手だ。鬼門と言っても良いくらいだ。  人によれば、「双六は人生そのものだ」とか言って、笑っている人もいる。  そうだ。そのなのだ。正に私の人生そのものを反映していると言って良い。  私に限って言えば尚更(なおさら)なのである。  サイコロを振って目の出た数だけを前に進ませる。運命の六つの目なのである。  初めは幸先(さいさき)が良い。出た目の数だけ前に進ませると、止まった場所にはなにやら出来事が書いてある。それを参加者が読んで、みんなで笑う。「うわー」とか、「おお!」とか、「あれっ?」とか、喜怒哀楽(きどあいらく)が沸き起こるのである。和気藹々(わきあいあい)ということなのだ。  小学生の頃は、正月になると家族行事として頭を突き合わせてゲームをすることもあった。  双六には長い道のりのマス目に人生が刻まれている。  何事も積み重ねが大事なのである。そういう意味では人生そのものと言えるのかもしれない。  しかし、しか~し。である。私は一体、誰に主張しているのだ。はずかしい。  人生には必ずと言って良いほど落とし穴となるものが存在する。  特に、私には、縁深い、腐れ縁、幼なじみ、切っても切れない間柄、が存在するのだ。  それは何を隠そう、『ふりだしに戻る』というやつだ。  どうしてこんなものが、子供の遊びに、家族(かぞく)団欒(だんらん)のアイテムに存在するのか(うら)めしく思えてくる。  なぜなら、私はこの『ふりだしに戻る』に必ず落ち込んでしまう。  次。次だ。次に「三の目」さえ出さなければ避けられる。四、五、六の目なら通り抜けられる。六つもあるうちわずか一つの目をださなければいいだけなのに、腐れ縁というか、幼なじみというか、家族づきあいとでもいうのか、それらから解放されるのだが、私が念じた五つの目を避け、『ふりだしに戻る』に吸い込まれていくのだ。そこで参加者が笑いの渦に巻き込まれる。  私の人生にはこの『ふりだしに戻る』が付きまとっている。何をやっても、元の木阿弥(もくあみ)、リセット、やり直し、が、もれなくついてくる。そんな付録なんかいらないのに。今までの積み重ねが消滅してしまう。  こんな私を例えて言うなら、  私の人生は(おと)ひとつ。 「カーン」だ。  そう、あのチューブラーベルの鐘の音がひとつだけ。  のど自慢の鐘の音。自慢にもなりゃしない。  悲しさを通り過ぎて、なんて、虚しくて、情けなくて、惨めなことだ。  それに一年の事始め、正月、元旦から落ち込みたくはない。  一年の計は元旦にある。誰がそんなことを広めたんだろう。心地よく過ごせる人が恨めしい。  小学校のとき、同級生にその事を話せば、 「運が悪い。占ってもらおう」 「S神社へ行って、おみくじを買って、運を調べる」  え? そこっ? ちょっとそこ違いますよ。微妙にずれてますよ。とツッコミでも入れたくなる。 「あそこのおみくじよく当たるんだって」  それはどうとでも取れる書き方をしてるから。お(はら)いじゃあるまいし。  そんなとこはどうでも良いが、とにかく私の人生には「ふりだしに戻る」が付きまとう。  積み重ねたものが、台無しになる。もう嫌だ。もう許して。涙が溢れた。  十月のあの日以来、私は胸にポッカリ穴が開いたように無気力になった。  ぼんやりする時間も増えた。  何かをするという気力が消えたのだ。そう消えた。音もなく消えた。  ふと、Bさんならと思い、Bさんのホームを開いた。  あまり、いや、ほとんど更新はされていないようだ。  動きはない。  まるで()(ふく)しているかのように、寡黙(かもく)を通していた。  最後の望みが(つい)えた。  Bさんにコメントを届ける勇気もない。  何も知らない。誰も知らない。いない。  想像できる返事が現実になる。それが怖かったのだ。  私は思いあぐねる日々を過ごした。虚勢(きょせい)を張る気力さえもなかった。
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