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1.きゃんゆうすぴーく?
死ぬかと思った。
中学に入って間もない私が、このセリフを本気で口にするときがこんなに早く来るとは、頭のすみっこでも予想してなかったわ。
異世界転生させるならさせるで、ちゃんと安全を確保した場所にして欲しかった。下校中のバスの中でうつらうつらしていたら、不意に、ぱちぱちぱちと乾いた音が聞こえてきて、目を開いたらバスの中じゃなく、どこだか分からない山の中腹。それもよりにもよって、山火事の真っ只中だなんて、神様(いるとしたら)何を考えてんの。おかげで手に持っていた学生鞄の一部が焼けちゃったじゃない。英語の教材の被害が特に大きくて、辞書なんてDの項目がだいぶ消失している。これじゃ、宿題ができないかも。
それはともかくとして、異世界に飛ばされた直後に話を戻すと。
たまたま、訓練中の消防隊が近くの河原にいたおかげで素早く助けてもらって、しかもその副隊長のウェントニーさん――緑の目をした金髪イケメン高身長高収入高学歴――に優しくしてもらえて、このどこだか分からない国からも何故か手厚いもてなしを受けるようになって、今のところ衣食住に不自由していない。それどころかかなり贅沢させてもらっている。食べ物が口に合わないなんてこともなく、天候や動植物、時間の感覚なんかもほとんど私の知っている現実世界と変わりがない。極地や未開の土地には、空飛ぶ竜や人食い植物、巨大蟻地獄なんて危ない生物がいるそうだが、都会には出て来ないので安心らしい。
だから快適に過ごせているのだけれども。
やっぱり、さびしい。家族や友達に会えない日々が長くなればなるほど、戻りたい気持ちが高まってくる。でも、元の世界に戻る方法が分からない。ウェントニーさんをはじめ周りの人に聞いてみても、知らないという返事ばかり。
でも実際は、知っている人がいるんじゃないかと思う。何故って、最初の山火事で助けられてから何日間かは私、結構危ない状態で、ベッドに寝かされて絶対安静だったみたいなんだけど、その夢うつつのぼんやりした意識のときに、聞こえて来たやり取りがある。
「年端も行かない子です、速やかに返すのが」
「基本的には同意だが、この持ち物を見ろ」
「……これは」
「役に立ってくれそうだろう? だからしばらく様子を見て、それから戻すことにしよう」
みたいな会話だった。日本語だったからほんとの夢での出来事だったのかなと思っていたんだけど、周りの人達の話す言葉は日本語に聞こえる(文字は日本語とは違う)ので、朦朧として聞いたあの会話も多分、現実のもので、異世界の人達は私に聞こえていないつもりで話していたんだ、きっと。
私に何かさせたいのなら、早く言ってくれればいいのに。できるかどうか分かんないけれど、なるべく努力するから。とにかく、帰れる方法があるかどうかくらい、はっきりさせてもらいたいなあ。あると分かればそれだけで少し安心できるんだからさ。
「ねえ、ウェントニーさん」
というわけで聞いてみることに決めた。退院後のお見舞いにしばしば来てくれるウェントニーさんなら、話してくれそう。
「火事から助け出してくれて、その上、色々と面倒を見てもらって、至れり尽くせりで凄く感謝してる」
「どういたしまして、サトミ殿」
にっ、と笑ってウェントニーさんが言った。サトミは私の名前。他の人は何故だかサットンミとかサトミンとか、余計な音を入れたがるけれども、ウェントニーさんはほぼほぼ正確なアクセントかつ発音で呼んでくれる。
「我らの世界では、“対岸の世界”から来られた方をもてなすのは当然のこと。遠慮なんかせずに、じっくり静養して、治してくれればいいよ」
「でも、私の気が済まないんだよね。ほら、もうほとんど治っているんだから。少しは恩返しをさせてよ。といっても、私にできる範囲で。全然大したことないだろうけど」
「……そうおっしゃってくれるのでしたら……」
やや迷う様子はあったものの、私の方からこう言い出すのを待っていたかのような気配がなくもない。
「実は、“対岸の世界”の人にしかできないとされていることがあるのです。サトミ殿は英語という言語をご存知か?」
「えいごってイングリッシュの英語?」
「そうそう、確かいんぐりっしゅとも呼ぶと聞いた覚えがあります」
期待のこもった目で見つめてくるウェントニーさん。透き通るような白い肌がきれいで、うらやましい。ていうか、こちらの世界のこの国の人達、多分九割ぐらいはウェントニーさんと同様、金髪か栗毛、青か緑の目、白い肌の持ち主でいかにも英語をしゃべれそうなのに。
「英語という言語があることは知っています。けれども、私が自由自在に使いこなせるかというのは話が別でして」
「そうなのですか? でも、あなたが持っていた物の中に、英語のたくさん記された教書や帳面、辞書があった。あれは何なのでしょう?」
「あれは今まさに勉強しているところなの。だから、まったく分からないってわけじゃないけど、書いたり訳したりは単語と基本的な文章だけなんです」
「辞書を使っても?」
「はい」
「うーん。しかし、事態は急を要するのです。まだ国民を動揺させないために伏せられているのですが、国王が重病で伏せっており、御回復のためにはサトミ殿の協力が欠かせないのです」
「え。それを早く言ってよ」
そんな一大事なら喜んで協力します――そう思った一方で、私なんかが病気の王様を治すのに役立つってどういうこと?という疑問が。中学一年生に何ができる?
「で、でもまさか、生け贄になるとかじゃないわよね?」
一番に思い浮かんだ協力の仕方を、恐る恐る言ってみた。
「生け贄? そんな野蛮な風習はとうの昔に廃れました」
昔はあったんだ……。そういう時代に飛ばされなくて、助かったのかも。
「じゃあ何をすれば」
「先ほどから言っています、英語です」
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