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2.魔女の残したレシピ
英語と病気治療が結び付かない。言葉では反応できずに、眉間にしわを作った。
「伝承によるもので、私も人から聞いたことになります。長くならぬよう、なるべく簡潔に述べると……かれこれ五百年ほど前に、サトミ殿と同じく“対岸の世界”から、一人の年老いた女性が現れた。ファラという名の彼女は、我々と似たような肌の色をしており、似通った点は多かったものの、大きく違うことがあった。自らを魔女と称し、不思議な術を使えたのです」
「魔女」
正真正銘の魔女だとしたら、私と同じ世界から来たとは考えづらいんですが……と、よほど言おうと思ったものの、話の腰を折るのも悪い気がして遠慮した。
「具体的に何をしたかは大幅に省き、肝心なのは怪我や病気を治すために、その不思議な術を行使したこと。ファラは長期に渡り、充分すぎるほどこちらの世界のために尽くしてくれましたが、齢を重ね、元の世界で最期を迎えたいと望むようになった。当時の統治者は悩んだ末にファラの願いを聞き届けることにした。ファラは置き土産として、こちらの人でも使いこなせるいくつかの秘術について、説明書きを残してくれました。その中に一つだけ、我々の言葉ではない言語で記述されたものがあり、王が理由を問うと、『これはおいそれと使ってよい秘術にあらず。国運を左右するような一大事にのみ、行使すべし。そのようなときが将来もし訪れれば、自ずと解読の道は開けるであろう』と教えてくれたそうです。ファラという魔女が予言の如く言い残した一大事が、今の国王の重病だと思われます。境を接する国のいくつかとは情勢不安定な上、我が国王の跡継ぎたる王太子はまだ幼く、仮に――口にするのも恐ろしいのですが――現国王が今崩御した場合、諸国の中には絶好の機会とみて我が国に攻め込んでくる輩が出るのは必定。危難を避けるには、王の病を秘術で治すほかないのです」
「大変な事態なのは理解したわ。その五百年前の紙か何かに書かれた英語を翻訳すればいいのも分かった。何が書いてあるのか、だいたいの予想はついてるの?」
「薬の調合方法か、もしくは病そのものを治す手術方法ではないかと」
うーん。専門用語がぽんぽん出て来て、中学生向けの英語辞書ぐらいではとてもなじゃないけど太刀打ち不可能な気がする~。
「私が訳せたとして、実際に薬を作るとか、手術をするとかはできる人いるの?」
「います。そもそも、ファラが将来を見越して残してくださったものですから、我々の手に負えないはずがない」
確かに。材料が揃わないとか、特殊な手術器具が必要なんて不手際はあり得ないのだろう。こうなったら、私も腹をくくるしかない。
「分かりました。やってみます。その英語の書かれた紙は大切に保管してあるんでしょ? 案内してください」
ウェントニーさんに言って、私は出発の準備に取り掛かる。何はなくとも、英語の教科書とノート、そしてボロボロとはいえ辞書がなければ始まらない。
紙はなかなか上質な物で、五百年を経ているとは思えないほど綺麗かつ丈夫だった。そこにインクで書かれた文字も、少し癖はあるけれども読みやすく、消えたりかすれたりはしていない。この秘術を記した紙そのものに魔法を掛けていたのかな、なんて想像した。サイズはA4ほどあって、枚数も二十はくだらないから、これを訳すのは大変だなと気合いを入れた。
そうして訳し始めた私をいきなり困惑させたのは、一行目に『“複写された小さな大輪”のレシピ』とあったから。
“小さな大輪”という矛盾した言い回しが分からない。けれども、これは固有の名称みたいだから、とりあえず放っておこう。
まずはレシピの方。私の知っているレシピの意味は、料理の作り方、だ。他の意味を辞書で調べると、否決や悲報、薬の処方箋というのが載っていたから、ほっとした。
だけどその安心も束の間、続く英文を訳していくと、どう見ても料理の作り方なのだ。カタツムリやクラゲといった私からすればおよそ食べ物らしくない材料も挙がっているけれども、他はごく当たり前の物だ。パプリカがいくつとか、鶏の玉子は黄身のみを使用することとか、合い挽き肉の比率とか、豆腐やツナの作り方まで別個に書いてある。
途中で休んで、ぱらぱらと紙をめくり、後ろの方を見てみたんだけど、期待した物はなかった。料理の完成図がないかしらと思ったのだ。その代わり、最後の最後にある一文が濃い黒で強調されていたから、先に訳してみた。
“以上のレシピに従い、忠実にこしらえた料理を食せばどのような難病でもたちどころに治る! ただし七名の者にしか効能はないので注意されよ!”
単なる料理じゃなく、薬の代わりとなる魔法の料理だったんだ。
確証を得て、私は俄然やる気を出した。
幾度か休憩を挟んだとはいえ、ほぼ丸一日掛かってどうにかこうにかレシピの全体像は掴めてきた。まだ分からない単語はある物の、だいたいは想像で補える。どうやら太陽かひまわりの花をモチーフにしているみたい。そう解釈すれば、“複写された小さな大輪”という表現も、生命の力の象徴である太陽を、手元に置いておけるサイズに模した料理、ってところかしら。だから料理名は意訳して……“太陽のしずく姿盛り”にしておこう。
大皿の真ん中に真っ赤な麻婆豆腐を盛り付け、それが溢れないようにタケノコやカボチャを使って、“堤防”にする。堤防のすぐ外縁には、食用カタツムリをいくつも並べてぐるりと一周。さらにその外側に、色とりどりのパプリカの肉詰めをカラフルに並べるのは、太陽の光(あるいはひまわりの花びら)をイメージしたに違いない。
一方、真ん中の麻婆豆腐の“湖”には上からクラゲの傘を被せて、さらに錦糸玉子で格子模様を描く。デザイン面で結構凝ってるのは、治療として意味があるのか、私には怪しいのだけれども、実績を残した魔女さんの書いたレシピなんだから、疑っちゃ悪い。病は気からと言うくらいだから、太陽やひまわりのパワーを病人にも感じてもらおうという意図があるのかも。
こんな具合に、だいたいの感じは掴めたのだけれども、あと一つだけ、自信が持てない材料があった。その調理した物を全体にまぶすとあるのだけれども、サイズがつり合わない気がしてならないのだ。
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