3.魔女の一刺し

1/1
前へ
/3ページ
次へ

3.魔女の一刺し

 でもこれ以上時間を掛けている余裕はあまりない。材料集めの時間も必要に違いないし、ウェントニーさんと王宮の偉い人、そして数名の料理人を前に、私は訳した内容を伝えた。 「――これで、最後に……今まで言ったように盛り付けた大皿の上から、多分なんですけど、その、竜を二度揚げした物をまぶすようにとあります」 「竜か」  偉い人が呟くように言った。その人やウェントニーさんを始め、料理人の方達の表情に、驚きは欠片もない。竜は食材として、さほど変な物ではないみたい。 「二度揚げというのは何のためか分からないですな。その形状はどのように?」  料理人の一人から聞かれたけれども、私は首を横に振るしかない。だって、記述がなかったんだもの。 「まさか丸々一匹? それならじっくり揚げる必要があるが」 「そ、それが五,六匹と書いてあるのです」 「何と! 竜を五匹となると、別の問題が出て来る。大きさが合わない」  さすがに驚くよね。ある意味、ほっとした。 「サトミ殿。疑うわけではないが、見落としや思い違いはないと言い切れますか」  ウェントニーさんにじっと見つめられ、私はその質問に慎重に答えた。 「何度も確認しましたから、見落としは絶対にありません。思い違いも多分、してないと信じています。他に解釈のしようがありませんから。ただ一つ、竜の揚げ物というのだけが私の世界ではない材料になりますから、そこだけが不安というか」 「うーん。ということは、五百年前のファラは、本来知らなかった、使いようがなかった食材を用いて、新たにこの料理を開発したとなりますね。不思議だ……」  言われてみれば。いくら魔女でも、私の知る私の元いた世界には、竜なんて実在しないのだから。でも魔女なんだから、ひょっとしたら。 「分かりました」  偉い人が手をぱんと打ち合わせて、厳かに言った。 「サトミン殿。私達はあなたを信じます。伝承では、ファラは急いでこの料理の作り方をしたためたとある。彼女自身が書き落とすか誤記した可能性もないとは言えない。たとえば竜の目玉だけを使うとか」  想像したくないけど、してしまった。竜の目玉が十~十二個載っている大皿料理……。 「とにかく作ってみるほかありません。早ければ早いほどよい」  偉い人の指示で、料理人達は散っていった。ウェントニーさんも材料集めに協力するみたいで、何やら細かい指示を受けていた。  結果から記すと、料理を口にした王様は、みるみるうちに回復し、治った。むしろ、以前よりも元気になったらしい。しかも、すべての面に渡って。年齢の割に、その、物凄く、元気、だそうだ。  私は多大な功績を認められ、三日間くらいぶっ通しでお祝いの宴に招かれ、へろへろになってしまった。意識がぼんやりしているところへ何かを食べさせてもらうと、じきに元気を取り戻した。食べさせられたのはファラのレシピの料理で、その効能を身をもって体験したことになる。  宴はそのあとも続けられようとしたのだけれども、丁寧にお断りした。ホームシックにかかっていたんだもの。それまでどうにか我慢できてたのが、回復した王様に抱きつく王女様を見ていて、もう辛抱たまらなくなった。  帰りたい旨を伝えると、かつての魔女ファラと同様に、強く引き留められたけれども、私の意思は固まっていた。ウェントニーさん達にも思いは伝わったみたいで、程なくして認めてもらえ、胸をなで下ろしたわ。  対面でお別れするのはお互いに悲しくて辛いかもしれないとのことで、眠っている間に戻れるよう、手筈を整えてもらった。その手筈が、ちょっとした呪術の儀式めいていて、最初はこれ眠れるかなと不安を覚えたくらいだけど、布団を被って目を瞑ってしまえば、意外にすぐ落ち着いてきて、分からない内に眠りに落ちていた。  次に目覚めると、身体が少し揺れている。バスの中だ。でも辺りを見回す前に、感覚的に、あ、戻って来たって理解した気がする。  そしてまず確認したのは携帯端末の画面。いつの時点に戻ったのか、日付が知りたかった。――よかった。向こうの世界でひと月以上過ごしたはずだけど、こちらの世界では時間は進んでいなかったことになっているみたい。完全に元に戻れた。実感が感情とともにこみ上げてきて、泣きそう。本心では次にしたかったのは、お母さんかお父さんに電話することだったんだけど、こんな気持ちのままじゃ、人目を憚らずに号泣する恐れが高い。さすがに恥ずかしいし、何ごとかと思われかねないので、ここはぐっと堪えた。帰宅するまで我慢よ。  他に確かめなくちゃと思っていたこと、何があったっけ。そうそう、山火事の被害に遭って燃えた英語の辞書。元の世界の元の時間に戻って来たからには、辞書も元通り? それとも、私が向こうの世界での出来事を覚えているのだから、向こうの世界での出来事は元通りにはならない? どっちだろうかとどきどきする胸を押さえ、学生鞄を開けてみる。英語の辞書を引っ張り出すと、まだ使い始めたばかりのきれいな物が現れた。ある意味、最高じゃない? 思い出は残って、破損した物は元通りになるなんて。  嬉しくなって、感情の波もだいぶ落ち着いてきた。それからきれいになった辞書を眺める内に、確かめなくてはいけないことを一つ思い出す。  魔女ファラのレシピにあった食材の中で、辞書がだめになっていたせいで唯一、引くことができなかった物。あれを調べて、はっきりさせたい。綴りを思い浮かべながら、私はDの項目のページを繰っていった。目的の単語はじきに見付かった。  dragonfly 「えっと……」  私の目はそこにあった訳語を見て、きっと点になったと思う。  ドラゴンフライって、竜を揚げたのじゃなくて、トンボのことだったの?  じゃあ、ドラゴンフライをフライするというのも竜の二度揚げなんかじゃなく、トンボの唐揚げ? た、確かにトンボなら五,六匹がちょうどいいサイズ感な気がするけど。  でも、他の材料は一応、食べられる物ばかりだったのに、トンボだなんて……どうしてなんだろう。  私はdragonflyについて、今度は携帯端末を使って、魔法や魔女との関連がないかを検索してみた。するとそれは案外早く見付かった。  トンボ(dragonfly)は西洋では不吉なものとされ、特に欧州では“魔女の針”との異名がある。 「魔女の針」  何となく、納得。  ただ、不吉な物っていうのが心に引っ掛かった。もしかして魔女ファラは、本当に万能薬代わりの料理の作り方を残していたのだろうか。私が偶然、竜の二度揚げと誤訳したせいで、別物の料理ができあがったから何事も起きなかったけれども、レシピに忠実に作っていたら……。  ううん、これ以上はよそう。魔法が使える魔女なのだから、誤訳でこうなることさえお見通しだったのよ、きっと。  終わり
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加