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平日だったこともあり居酒屋の店内は静かな雰囲気だ。窓をたたく雨音が鼓膜を震わせる。
「桃田さん。こんな夜は行きたくなるんじゃないっすか。最近行ってなかったですよね」
日村さんがクスクス笑う。大柄な体に似合わず、日村さんの声は小さい。ぼそりと言って一人で笑う、そんな感じの人だ。
窓の外はしとしとと雨が降る。
「雨が降ると思い出すもんね」しみじみと桃田さんが言う。そして「そがん言うなら今夜はひさしぶりに歌いに行くね」マイクを握る真似をして桃田さんが日村さんを見た。心なしか鼻歌でも歌っているような口調だった。
居酒屋を出るとさっきより雨脚が強くなっていた。路面をたたく雨音に僕の気は萎える。ほんとに行くのかな。
「桃田さん、傘どうぞ」
入口の傘立てから桃田さんの傘を抜いて日村さんは差しだす。歌う気マンマンのように見えた。日村さんは意外とカラオケ好きだったんだと改めて横顔を見る。無精ひげが伸びた口元が何やら歌詞でも口すさんでいるかのように動いている。やっぱり好きなんだ。
僕はあきらめて二人のあとをついて歩いた。行きつけの店らしくその店にはすぐに着いた。
『スナック雨音』。すごいネーミングだ。晴れの日はやっていないような薄暗い佇まいで店はやっていた。
ドラマで見たことはあったけど、じっさいにスナックに入るのは初めてだった。
オレンジの灯りがわずかに照らす木製の扉を開けると、カウンターとボックス席が二つあるだけの小さなスナックだった。驚いたことに客がちらほら入っている。でも、その割に店は静かだった。そう、まるで雨でも降っているみたいに。
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