恋々とけぶる

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 出会いは十五歳の六月。小さな田舎町の中学校。  親が転勤族の私は時期外れの転校生で、あなたは誰もが羨む地元の有力者の娘。  転入から幾日か経った雨の日に、私は昇降口で本を読みながら雨が()むのを待っていた。  そこへあなたがやって来た。私に露草色の傘を差しかけて。  一瞬、晴れ間が差し込んだかと思ったの。 「傘、ないならどうぞ」 「でもそれを借りたらあなたが困るでしょう」 「だから半分よ。一緒に帰ろう」  そう云ってあなたは傘の下に私を招き入れた。  笑いさんざめく級友たちの輪の中にも。  白いシャツの袖から伸びる、あなたの細い腕がきれいだと思った。眼が離せなかった。  通りの向こうにバスがやって来るのを見つけたあなた、私の肩に触れながら、 「走ろう」  と笑いかけてきた。澄んだやわらかな声。  その瞬間、あなたのことがすごく好きになりそうな予感がして、私、怖かったの。  紫陽花(あじさい)が雨と太陽で色づいていくように、降り注ぐあなたの声と笑顔で、友情の花も容易く恋の色に変化していった。  叶えたいなんて望まない。昔から想いが届かないことには慣れている。  そうやって必死に募る恋慕の情をひた隠したのは、あなたに嫌われたくなかったから。  たぶん、あの時ほど私が人生で臆病だった瞬間はない。  私は恋心を背中に隠しながら、誰よりもあなたに寄り添った。  あなたが笑うと私も嬉しい。あなたが悲しむなら一緒に泣こう。  あなたが誰かに触れると苦しい。あなたと眼が合うと笑顔になれる。  全部をひっくるめて、あなたの傍にいられるだけで幸せだった。  純粋な友人を装い続けて二年、高校生になった私たち。  ある時、校舎裏に二人でいたところへ別のクラスの男子がやって来て、あなたの名前を呼んだ。  私は嫌な予感がしてた。だって向かい合った名前も知らないその男の眼は、間違いなくあなたに恋をしていた。隣に私がいても全く怯まず、あなたを真っ直ぐに見据えて近づいてきた。 「一週間前から付き合ってるの」  雲行きが怪しくなっていく空を眺めつつ、バスの中であなたは云った。  ここ数日は走り梅雨。級友たちは雨に降られるのを嫌って、一本先のバスで帰って行った。  天気予報を見逃してうっかり傘を忘れたのはこの日、あなたと私だけ。 「冗談でしょう?」 「ほんとのことよ」 「あんな男、あなたには合わないよ」 「彼は私のこと、好きだって云ってくれたもの」  私はバスを降りるまで口がきけなかった。悔しくて苦しくて、嫉妬で腹の奥が焼けそうなのに、何を云うべきか分からなかった。  バスを降りて湿気を含んだ石塀と黄色い花咲く槇垣(まきがき)が続く道で、あなたを呼び止めた。もう雨雲はすぐそこまできている。 「あの男が好きなの?」 「どうかな、よく分からない」 「どうして好きかどうかも分からない人と付き合えるの」 「だってあなたは私に何も云ってくれないじゃない」  雨は思ったよりも早く降り始めた。ぬるい空気の中で匂い立つアスファルト。雨脚は強く、あっという間に私たちの髪に沁み込んでいった。  あなたの白いシャツに下着の稜線がうつる。 「雨宿りをしていって」  私のくちびるの上の水滴をあなたが舐めとった。  呼吸と視線が言葉に代わる瞬間。  本当は随分前から、あなたから送られるシグナルに、気づかないふりをしていたの。  何かの間違いだと思ってた。  まさかあなたが私と同じ異端者だなんて、思いもしなかったから。  もし拒絶されたらと思うと、恐ろしくて。  もし受け入れられたらと想像しても、その先は見えなくて。  ああ、けれどこれが、お互いに気が狂いそうなほど、待ち望んでいた瞬間。  私は濡れた掌であなたの頬に触れた。   震える心臓と愛を孕んだ熱い舌。  そこからはキスの雨。  したたる性愛の雫。  雨だれのようなあなたの涙。  これまでした恋の残像を全て溶かしてしまえるようなひとときだった。
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