最後に笑うのはあたしのはず

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 数日後、長美は職場の市役所にて住民票の受付担当に回された。数人の住所変更手続きを行ったところで、訪れた客の顔を見て長美は驚いた。なんと、睦応だったのだ。 睦応も長美の顔を見て驚いた。 「お、長美ちゃん…… ここの役所だったんだ……」 二人はしばし困惑しながらお互いの顔を見つめ合った。先に冷静に戻ったのは長美の方だった。 「あ、あの…… 住民票の受付ですね? 用紙の方を」 「え、あ、はい」 長美は睦応より住所変更の用紙を受け取った。長美は記入漏れの確認を行った後、受付の役割を捨て、一人の女性として睦応に尋ねた。 「あの、ここに印鑑の方をお願いします。それと…… お仕事の方、お決まりになられたんですか? 住所が空港の近くじゃないですか」 睦応は首を横に振った。そして、長美と目線も合わせずに印鑑の押印を行う。 「いや、まだだよ。ぼくには空の仕事しかないからね。いつか空に戻るための願掛けも込めて空港の近くのアパートに住むことにしたんだ。女々しいって笑ってくれていいよ?」 「い、いえ…… そんな!」 「今は地に足が着かない単なる無職だ。ま、地に足が着かない仕事を志望してるんだけどね」 ブラックジョークのつもりだろうか。長美は睦応の下らない自虐に思わず吹き出してしまうのであった。 「あ、ごめんなさい。これで住所変更の方は完了です」 睦応は市役所を後にした。定時も近い時間であったために長美は受付終了の札をカウンターの上に立てようとした。すると、印鑑が転がっていることに気がついた。 印鑑を確認すると、名字は睦応のものだった。 「忘れちゃったんだ」 普通であれば印鑑の紛失は大事件。もし、実印だったとするなら、あたし達役所からすれば改印届の受付が大変だし、銀行印と共用しているならば新しいものを登録し直さなければならなく警察への連絡も極めて面倒だ。 睦応が紛失に気がついているなら、今頃は阿鼻叫喚の恐慌状態だろう。長美は睦応のことが心配になった。 「住所分かってるし、届けに行くか」 この手の遺失物で仕事を増やすのは面倒だ。長美は業務終了後、睦応のアパートに印鑑を届けに行くのであった。
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