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午後早くに洗濯を終え、キッチンに戻った私は、香草茶を入れ、テーブルについた。
ついでに、ケーキを切り分けて皿に出しておく。
菓子類は正確な計量が重要なので、私にはもってこいのレシピが多かった。
ただヴァシロピタは新年を祝うケーキだった気がするが、その辺りはあまり構わないでいいだろう。
少しくらい大雑把なほうが、生活の楽しみは多いものだ。人間のように。
もう春が近い。
エルダーフラワーを切らさないようにしなくては。暖かな午後には、兄さんに、あのお茶を入れてあげたい。
「戻ったぞ」
兄さんは、ここのところ仲良くなったらしいクロジョウビタキを家に入れないよう腐心しながら、ぽんぽんと服の裾をはたいた。
「明日には、市へ買い出しに行こうと思っています」
兄さんが肩をすくめる。
「……だめとは言わんが。僕は新型の開発が大詰めだ。しばらく遠出したくないんだが、一人で大丈夫か?」
「心得ています」
「気をつけろよな」
以前とまるで変わらない体の兄さんは、相変わらずラボでの研究に没頭している。
兄さんの研究が認められれば、人間の中で、アンドロイドの位置は変わるだろうか。
あまり変わらないかもしれない。
それならこの日々が続くだけだ。そう悪いものではない。
ふと、窓の外に動くものが見えた。
身構える兄さんを目配せで制して、私はドアを開ける。
そこにいたのは、十歳くらいとおぼしき、人間の少年と少女だった。
「……あなたがたは」
そう言いかけた私の後ろから、兄さんが声をかけた。
「度胸試しか、探検にでも来たのか? 残念ながら、ここには怖いものも不思議なものも、なにもないぞ」
少年が答える。
「……そんなんじゃない。約束」
「約束?」
兄さんと少年のやり取りをよそに、私はかがみこんだ。二人の人間は、手に草花の束を抱えている。
白い小さな花が爛漫と咲いたそれがなんなのか、一目で分かる。
「あなたがた、それはエルダーフラワーですね」
二人は、揃ってうなずく。
「なんだベーター、お前の知り合いか?」
「以前村へ買い出しに行ったときに、このきょうだいと知り合いました。この子たち二人ともお茶が好きだそうで、意気投合しまして。エルダーフラワーの、内緒の群生地を教えてくれると言っていたのです」
「へえ……。お前、知らない間にそんな社会性を発揮していたとは。いつの間に身に着けたんだ、そんなもの」
「私たちには、知らないことや、新しいことを成功させることはできません。ですから私に社会背があるとすれば、生来持ちえたものなのでしょうね」
このところ私は、自分がこだわりたいことについて、意地になるということを覚えたらしい。このような言い方をすることが増えた。
つまり、私たちには、可能性というものが存在していると、信じたいのだろう。
「兄さん、私はこの子たちと、その群生地に行こうと思います」
「待てよ。僕も行く」
「いいのですか? 研究は?」
「優先順位の高い事項から取り掛かるのが、人工知能というものだぜ」
「高いのですか?」
「高いね」
兄さんはにっこりと笑った。
私たちは人間のように外出着に着替え、人間のようにかかる時間と道程の安全性について検討した。
チャイ・トゥ・ヴヌーは、兄さんお手製の魔法瓶に詰めた。
そして、二人の新しい友人――そう呼ぶことを彼らは許してくれた――とともに歩き出す。
きょうだいの持っていた花束は家に置いてきたが、彼らの服からは、甘い香りが漂ってきている。
クロジョウビタキが私たちの頭上を舞った。
穏やかな早春の午後だった。
終
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