永遠(とわ)に共(とも)なれ、花は君なれ

2/5
前へ
/5ページ
次へ
 ラボの周りは、自然豊かな地方都市だった。  私たちが寝泊まりしている家とラボは丘の上にあり、私の徒歩で百秒ほどの距離を隔てて建てられていた。丘の周辺には、ほかに家はない。  家事は兄さんと分担し、中でも時間がかかりそうな作業は私が担当して、兄さんには極力研究に集中してもらった。  井戸からの水くみ、鶏の世話、魚の燻製づくりなどであっという間に一日が過ぎていく。  村への買い出しは兄さんの担当だったが、貨幣の使い方などを覚えたらいずれ私に任せると言ってくれた。  ある日、フエタチーズをたっぷり載せた黒パンをほおばりながら――私は高性能なので、人間である兄さんと同じものを食べ、飲むことができるのは、調理手間が増えなくてありがたかった――私は兄さんに尋ねた。 「毎日、家事をしているだけで時間が相当取られますね。兄さんが私を造って負担を軽減しようとしたのもうなずけます」 「いや、そんなつもりじゃないけどな。単純に、その、なんだ」 「ぼっちが寂しかったのですか」 「お前、ぼっちひそかに気に入ってるだろ。まあ当たらずとも遠からずとしておこう」 「当たったのですね」 「お前ほんと堂々と遠慮しないね!? あ、あとお前、冬場は金属に触るときは遮電布の手袋つけろよ。静電気くらいはどうってことないけど、万が一ってことがあるからな。遮電布は地下にいっぱいあるから」  その指令はインプットされていなかったので、脳内のメモリーに新規に追加しておく。  私のデフォルトデータはかなり多岐に渡った事柄があらかじめ入力されていたが、人間と一緒に送る生活というのは、新しいインプットの嵐だった。  ある日、私が家に帰ってくると、兄さんが私を出迎えるなり血相を変えた。 「ベーター、お前どこに行っていたんだ。それにその格好はどうした!?」  私の体は、いくつもの石つぶてや生卵をぶつけられて、ひどい状態だった。 「薪を取りに林へ行ったところ、村の住人と思しき一段と邂逅しました。どのように彼らと接すればいいのか、適当なデータがなかったので特に対応せずにいたら、このように」  ――なんだお前、むっつりしやがって。さてはあの家の住人か。気味の悪い野郎だ、あっちへ行け―― 「……すまなかった。僕の手落ちだ。最低限のコミュニケーションの仕方くらいは教えておくべきだった」 「彼らとの邂逅はイレギュラーだったので、そのようには思っていません。ただ、なんというのか、思ったよりもひどいものですね。兄さんの言っていた、そう、差別が」 「……そうだな。あまり覚えてほしい言葉ではなかったが」 「私の駆動音を聞かれた様子はありませんでしたから、アンドロイドとは思われなかったはずですが、彼らは私を迫害してきました。この家に住んでいるというだけでこの仕打ちとは。よく兄さんは耐えられていますね」 「なに、僕が中央でのし上がればまたあいつらの見方も変わるさ」  兄さんは私の体の汚れを落とすと、タラとイワシの野菜詰め(イェミスタ)を作ってくれた。私はミルクを多めにしたフロスウィ・コーヒーを入れる。  二人でテーブルにつきながら、私の味覚を高性能に作ってくれたことを、改めて兄さんに感謝した。  その夜は、しかし、なかなか寝つけなかった。  昼間に、村の人々に向けられた険しい表情とスラングの罵声が、いつまでも私の回路を行きつ戻りつし、人工神経がとげとげしい熱を持っていた。  私はまるで人間のように、キッチンへ行ってグラス一杯の水を飲んだ。  窓の外には、ラボが見える。  私は普段あまり足を踏み入れないラボへ、この夜は足を向けてみた。  ドアの鍵を開け、中に入ると、以前と同じ機械の群が所狭しと並んでいた。  人間が故郷を訪れたら感じるのであろう落ち着きを、私の場合はここに来ると感じることができるようで、回路は次第に落ち着いていった。  テーブルの上に、古びたテープレコーダーがあった。  スイッチを入れると、知らない人間の声が響いてきた。  何度も繰り返し再生られたせいか、古ぼけ、ひび割れ、不明瞭な音声だったが。 <……君に去られるのは耐えられない。それなら僕がいなくなろう……>  聞き取れたのはその程度だった。  その意味を兄さんに聞いてみる気には、夜が明けてみても、なぜかなれなかった。 ■
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加