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私たちに、その特別な日がやってきたのは、冬のさなかの夕暮れだった。
昨日まで乾燥していた空に暗雲が走り、激しい雨と雷が舞っていた。
一通りの家事を済ませた私のところへ、びしょ濡れの兄さんが、ラボから帰ってきた。
「いやあ、すぐそこからだっていうのに濡れた濡れた。タオルをくれ」
「シャワーを浴びてしまえばどうです?」
なるほど、と言って兄さんはシャワールームに消えた。
その時、窓の外にひときわまぶしい稲光と、地まで震わせるような音が鳴り響いた。
いけない。
ラボに、雷でも落ちたとしたら。
私は地下から遮電布のかたまり――広げれば、あの小さなラボならば覆ってしまえるだろう――を持ち出すと、ラボへ向かった。
つぶてのような雨粒が私の人工皮膚を叩き、衣服があっという間にずぶ濡れになる。
強風の中、苦労してなんとかラボの上に遮断布を行き渡らせ、布の端を地面に打ち込んだ釘で固定する。
「ベータ―! なにをしている!」
兄さんの声が、家のほうから響いてきた。雨で視界が悪いが、どうやら外に出ているようだ。まったく、シャワーを浴びたばかりだろうに。
「ラボを遮電布で覆いました。今戻ります」
すさまじい轟音がした。
見上げると、黒い雲を青白い光が縦横に切り裂いていた。今にもここへ、落雷が放たれそうになっている。
私の体内のすべての計器が、緊急事態を告げていた。
「兄さん、家の中へ。雷が落ちるとしたら、金属である私が先です」
「ふざけるな!」
兄さんが家を離れて、私のほうへ近づいてきた。手には、遮電布の切れ端がある。それを兄さんは、頭に被った。
「兄さん、動いてはいけません。棒状の物体が動いていると、雷はそちらを優先して落ちる可能性が高まります。遮電布を持っていたとて、人間では無事で済まな……」
「だったら、お前こそ腹ばいにでもなれ! 今行くぞ、ほら、もう少しだ」
私には理解ができなかった。これが人間というものかと、回路という回路がおののいた。
人間の中ではかなり聡明な部類に入るはずの兄さんが、こうも理屈に合わない真似をするとは。
「兄さん、おやめなさ」
その瞬間、弾けるような爆音が、私の全身の人工骨を震わせた。
人工網膜の映像が真っ白に染まり、空気の伝える衝撃が平手打ちのように私に叩きつけられる。
視界が回復すると、見えてきたのは、アンドロイドの体に使われる、ネジ、フレーム、ワイヤー、大小の回路、後は判別のつかないなにかの破片……
それらが、濡れそぼる下草の上に散らばっていた。
しかし、落雷によって破壊されたのは、私の体ではなかった。
遮電布によって守られた箇所、右腕と胸部から上だけが残った兄さんの体が、雨を受けながらそこに転がっていた。
「同じ程度の高さ、同じ金属なら……」
はい。
「動いているほうに、雷は落ちる……道理だよな……」
ええ。
「これでは、僕はもういくらも持つまい……でもこれは、僕の望みでもあるんだ……だから、止まれなかったのかもしれない。ベーター、お前いつか、僕がよく差別に耐えていると言ったな。それは違う、耐えられなかったのさ、人間には――僕のマスターには。だからあたりに人のいないこの丘に家を造り、ラボを造り、僕を造った……」
「兄さんも……アンドロイドだった」
しかし、それはおかしい。アンドロイドならば、人工知能が、今のような非合理的な行為を実行するはずがない。
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