万物料理人 味がわからないのに異世界であらゆるものを調理する

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「仕事?自分にですか?」    仕事に就いたことは一度もないし、特定の任を負った役割を任されたことすらほとんどない。たまに洗い物を取り込む病院職員に手を貸したり、食器を回収するサポートをしたり、せいぜい子供のお手伝いと呼ぶレベルのものしかしたことがない。その自分が仕事?鼻で笑ってしまうくらいに現実感がない話だった。 「あなたにならできると思うんです。いえ、あなたにしかできない、のかもしれません」 「そんなものあるとは思えないんですけど」    あまりに話が嘘くさくて、タチの悪い詐欺にでも引っかけられてるような気分だった。 「あなたは致命的というか、珍妙的なほどにあらゆるものに染められていない。人生経験がないというか、こう言っては失礼かもしれませんが、人生経験が極めて薄い」  確かに自分の人生は薄っぺらい。否定しようのない事実だった。 「良し悪し、の話ではありません。厚いものもあれば薄いものもある。どちらに価値を置くか、どちらの価値を信じるかは千差万別。ただし私はその薄さに価値を見い出しています」  いよいよ怪しい勧誘めいてきた。ひょっとしてこれは夢で、パチンと自分の頬をはたけば、あのどうしようもない現実に戻ってしまうのだろうか。それはそれでうんざりだった。あの薄くてぺらっぺらの自分へと戻るくらいなら、いっそのこと。 「任せたい仕事とは、どんなものなんですか」    やけっぱちのように自分は尋ねた。こんな怪しい話に乗るのもどうかと思うが、この夢が覚めてしまうよりもよほどマシだ。快癒するあてもないままにただ病院で過ごすだけの生活よりかは。 「あなたにしてもらいたいのは、料理人です」  就業経験のない自分には、なにを打診されても驚いただろうけど、それにしたって意表を突かれる提案だった。一番ありえないものをずばり突きつけられた。 「料理人って、料理を作る人ってことですよね?」  確認するように言った。 「はい。まあコックやシェフ、煮炊きや飯番、炊夫や賄方など、呼び名は色々とありますが、とにかくあなたには、ある世界、ある場所で料理を作ってほしいのです」  自分にとっての料理人、コックやシェフは、ミキサーだった。  生まれつきの内臓の病によって、栄養摂取の方法が限られていた。栄養補助剤、点滴、そして流動食。これが自分が生きる上でのエネルギー源を充填する方法だった。  なので自分の身体でも消化可能なほどに細かくどろどろにしてくれるミキサーが、自分にとっての調理担当者と言えた。  自分が口や舌で感じる味わいや食感は、いつもどろどろでネチャネチャしていて、素材ひとつひとつの際立ちは消え失せて渾然一体としたマーブル状になっていて、微妙な風味や繊細な香りが失われた曖昧模糊としたものだった。  だからこそ少しでも味わいやテイストというものを知りたくて、色んな人の食べている姿を横目で伺ったり、料理の技法や食材の特徴などを本で学んだり、病院職員の食器の後片付けを手伝ったりして食後の人それぞれの様子や充足感などを観察したりした。  その意味で自分は常に、料理に飢えていた。病気のせいでお腹が減るという感覚を味わったことのない自分だったけど、常に飢餓感に苛まれていたと言えなくもなかった。  身の回りにあるものを利用して、両親に隠れてこっそり包丁さばきや皮むきの練習をしてみたりもした。時間だけは膨大にあったので、色彩の勉強や盛り付けのコツを学んだりもしたけど、仮に自分で作ったとしてその味を確かめることもできないし、調理場に自分の足で立って料理を作り上げるだけの体力も自分にはない。自分の栄養摂取量ではほんのわずかな筋肉しか発達せず、病院内をのろのろと歩き回るくらいのパワーしか蓄えられないのだ。  料理について触れようとするたびに、どこか馬鹿らしいことをしているような自覚が常にあり、けどそれでも、だからこそ少しでも繋がりを持ちたくて、料理にまつわるあれやこれやを自分なりに摂取しようとしていた。 「そんなあなただからこそ、ふさわしい」  ローブシルエット(仮称)は病院暮らしだった自分の事情をよく知っているようだった。
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