万物料理人 味がわからないのに異世界であらゆるものを調理する

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「いや、そんな自分だからこそ、最も不似合いなのでは?もっと適任がいるでしょう?」 「それが意外にもいないのです。もちろん、料理の技術にすぐれた者やあらゆる料理に精通したものは数多くいます。しかしそういう者の中で、やり直し、延長戦、モラトリアム、などの選択肢を与えてもよい者となるとぐっと数が減りますし、なによりあなたのように何者にも染まってないものとなると…皆無です」 「何者にも染まってないというのはそれほど重要なんですか?」  というか、何者にも染まってないという意味自体がいまいちよくわからない。 「かいつまんで説明しますね。あなたやってもらいたいのは、ある世界、これまであなたが生きていた世界とは異なる世界で、料理を作ってほしいのですが」 「異なる世界とは?」  怪しい話になってきたが、それを言ったら目の前の存在から今いる空間まで全て怪しいので今更それはスルーした。 「人とか魔王とか魔族とか精霊とかが存在するような…」  ファンタジックな単語が出てきたけど、特に驚きはなかった。信じがたい話ではあるけど、驚くような話ではない。現実に自分の身に起こるかはともかくとして、ある意味じゃよくある話だ。ファンタジックな異世界に転生して人生をやり直すなんてのは、掃いて捨てるほど、佃煮にするほどよくある話。 「その世界でなぜ自分は料理を?なんのために?」 「ありていに言えば、平和、安定、穏やかさ、のためでしょうか。生物は皆、お腹が空けば不安定になり、攻撃的にもなれば閉鎖的にも狭量にもなります。逆にお腹が満たされれば安心し寛大になり寛容になります」  身体的な空腹感は知らないけれど、精神的には常に腹ぺこだった自分は、だから人間としての器が小さかったんだなと納得せざるを得なかった。 「その異世界には、そこに生きる者たちを満足させられる料理人がいないのですか?」 「いえ、いないわけではないのですが、あらゆる者たちを満足させられる者となると、見当たりません。助っ人が必要なのです」  杖をバットに見立ててホームランをかますようなフルスイングをしてみせるローブシルエット(仮称)。どうやら助っ人外国人スラッガーを模しているようだ。意外とお茶目な性格。 「繰り返しになりますけど、なぜ自分なんですか?他にも適任が」 「いません。なぜなら、その世界に生きる者たちは、それぞれ種族や部族などでそれぞれ味覚や感覚が異なります。例えばあなたの生きていた世界で名コックだったものが異世界に転生したとして、そこに生きる人たちの舌を満足させることはできるかもしれません。しかし魔族の舌を満たすことができるかとなると……」  なるほど。言いたいことはわかったが、 「それは自分も同じなのでは?」 「いえ、だからこそあなたなのです。何者にも染まってない、特に料理の味ということではほぼ無職透明のあなただからこそ、先入観や偏見なく、あらゆる調理法や食材を通して異世界に生きる者たちの舌を満足させることができるはずなのです」  美味いも不味いも知らないからこそ自由な料理人となることができる、ということのようだ。確かに伝統に浸かりきった料理人などが新たなものを受け入れるのは容易ではないのかもしれない。けどそれにしたって。 「自分には料理人としての経験がまったくないんですよ?」 「経験がないのが強みになることもあるでしょう」 「技術も体力も足りてません」 「技術的には、もちろん学ぶべき事はたくさんあるでしょうが、一定のレベルに達していると私は思います。体力面では異世界では新たな肉体が付与されるので問題ないかと」  あの不自由だった身体から解放され、自由に動き回れる身体が手に入るのかと思うと、それだけで思わずこの話を了承したくなってしまう。 「もちろん、新たな身体では存分に料理を味わうこともできます」  目の前に人参をぶら下げるみたいに、ローブシルエット(仮称)は言った。餌に釣られるみたいで気分は悪いけど、この時点で自分の心はすでに決まってしまった。  あんなにも求めてやまなかった味が、決して味わうことのできなかったものが手に入るのであれば、これに乗らない手はなかった。 「わかりました。お引き受けします」 「おお、素晴らしい。ではここに、万物料理人の誕生を祝福します」  ローブシルエットはそう言うと、自分へと手をかざし光を放った。まばゆい光に包まれて、自分の意識は遙か彼方へと遠ざかっていった。
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