紫陽花が香る頃に君を見つけた

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紫陽花が香る頃に君を見つけた

それから数日が経った休日の昼下がりに、土岐さんと僕は土岐さんのお母さんの墓参りに来ていた。 墓石の間にある狭い道を二人で窮屈になりながら歩く。 土岐さんは毎月、お母さんの月命日の日に墓参りに来ていると言う。 聞く話によると、今月の月命日の日に早く帰ろうとして道端の公園を通りかかったときに、姫川さんと僕を見つけたらしい。 それはそうと僕の右隣を歩く土岐さんと僕の距離が近いことが気になる。 籠を持って歩く土岐さんからはなんだかいい香りがする。 香水でもつけているのだろうか。 いや、墓参りなのだから香水はつけていないと思う。 ということは、シャンプーのにおいなんだろうか。 そんなことを考えていたら、恥ずかしくなってきた。 頭を振って煩悩を退散させる。 「どうしたの?頭を左右に振って?」 「な、何でもないよ……」 「何かよからぬことでも考えてたの?」 そう言われて言葉に詰まる。 別にそう言うわけではないのだが。 そんな僕をからかうように微笑む土岐さんをなんとか理由をつけてごまかす。 「別にそんなんじゃないよ……。なんていうか、その……。土岐さんの私服可愛いなって思ってさ……。見とれないようにしてただけだよ……」 上は白色の半袖シャツ、そして下は紺色のロングスカートを着ている土岐さんは、何というか、清楚な雰囲気がしてとても可愛い。 まあ、そういう服が似合うのは普段から土岐さんが清楚だからなんだろうけれど。 ごまかすつもりがごまかせないようなことを言ってしまったことに、言ってから気づいたが、もう遅かったみたいだ。 土岐さんの方を見るとほほが少し色味を帯びている。 「あ、ありがと……」 そんな風に照れた土岐さんを見ていると、僕まで照れくさくなってきて、目線を土岐さんから逸らした。 「あった、ここだよ」 そう言って土岐さんが立ち止った墓石の前には「土岐家」と書いてある。 ここが今日の目的地らしい。 「今日は別に月命日じゃないけど、特別」 そう言って土岐さんは籠から何かを取り出す。 それは青色の紫陽花の花束だった。 「今日は、七草君が初めてお母さんに会う日だから、これぐらいしてもいいよね」 そう言って土岐さんは墓前に花束を手向けた。 「結構したんじゃないの?それ」 立ち上がって僕の右隣に並ぶ土岐さんに、そう尋ねた。 「そうだね。結構したね。でも、いいの。だって今日は特別な日だから」 そう言って土岐さんは墓石に向かって優しい声で話し始める。 「お母さん、久しぶりだね。と言っても、まだひと月も経ってないか。今日はね、七草薫君を連れてたよ」 そう言ってから、土岐さんがこちらの方を見てくる。 お母さんに挨拶をしろということだと思う。 背筋を伸ばして、呼吸を整える。 目の前に人はいない。 あるのは墓石だけだ。 けれども、土岐さんのお母さんがそこにいるのだと思うと緊張した。 知らず知らずのうちに、右手に力が入る。 「お初にお目にかかります。七草薫と申します。今日は土岐さん……じゃなかった、奏さんの付き添いで参りました」 僕の挨拶を聞いて、何かがおかしかったのか、土岐さんは微かに笑った。 「七草君、硬くなってたけど、いつもはもっと柔らかい感じなんだよ。そして、なんと、七草君は私の彼氏です!驚いたでしょ。私にもついに彼氏ができました。どうか、お母さんには私たちのこと認めてほしいな。お母さん、見つけたよ……。豊太郎が悪い人だって言わない人に……出会えたよ……」 そう言って、土岐さんは涙ぐんだ。 そっと、自分のポケットからハンカチを取り出して、土岐さんに差し出す。 「あ、ありがと……」 そう言いながら、土岐さんは涙をハンカチで拭って、僕にハンカチを返した。 「ほら、見て、お母さん。七草君はね、涙を流す女の子にハンカチを差し出せる、優しい男の子なんだよ。男子高校生でハンカチ持ってるとか、女子っぽいけどね」 そう言って、土岐さんは微笑む。 「土岐さんまでそんなこと言わないでよ。まあ、皆、そう言うけどさ。今にハンカチを携帯するのが常識になる時代が来るよ」 土岐さんにつられて僕も笑顔になる。 「そうかなあ。ふふ。ごめんね、お母さんの前でいちゃついてるところ見せつけて。そんな感じで仲良くやってます」 墓石からは何も声が聞こえないはずなのに何だか、土岐さんのお母さんの笑い声が聞こえたような気がする。 それはきっと僕の想像なんだと思う。 小説好きで、空想好きな僕の悪い癖だ。 「それでね、おかあさん。聞いてほしいことがあるの。私、ずっとお母さんに嘘ついてた……。お母さんが遠くに行っちゃってから私ずっと辛かった。でも、お母さんには心配かけたくなくて、元気にやってるよって、嘘、ついてた……。ごめんなさい」 そう言って、土岐さんは墓石に向けて頭を下げた。 「多くの人から、陰口叩かれたとき、お母さんが私の味方になってくれた。けれど、お母さんが死んでから、私の味方はいなくなったの……。ずっと、一人で辛い日々を過ごしてた。それでね、私耐えきれなくなって死のうとした時があるの。そのとき、七草君がそんな私を引き留めてくれた……。だから、七草君は命の恩人なの……」 命の恩人。 その言葉の重い響きから、土岐さんが本当にそう思っていることが伝わってくる。 僕は土岐さんの右隣で土岐さんの言葉を静かに聞く。 「それから、少しずつ、時間をかけて仲良くなって、お互いのことを理解していった。あるとき、七草君に豊太郎はどんな人だと思うかって聞いてみたの。そしたら、七草君は自分なりに考えて、豊太郎は辛い人生を歩んだ人だって言ったの……。そのときから、七草君は私の大切な人なんだ」 そこまで言って、土岐さんは少し黙った。 なにか考えているのだろうか。 そして、小さく息を吸って吐いて、また静かに語り始めた。 「それでね、私は七草君とどんな形であれ、一緒にいたいと思ったの。でも、私以外にも七草君のことを大事に思う人がいてね……。なかなか私の思い通りにはいかなかった……。どんな形だっていいって思ってたけれど、段々と七草君と恋人同士になりたいんだって思うようになってから、辛くなった……。でも、それからいろんなことがあって、今こうして七草君の隣にいるよ、お母さん」 まるで思いをこめるかのように、土岐さんが小さく息を吸って吐く。 「その途中で大事な友達のことを傷つけて、私も傷つけられた。でも、それで改めて、相手が大事な人だって気づいたの。だから、これでよかったんだって、今は思うんだ。七草君は私と私の友達のためにたくさん辛い思いしたと思うの。だから私、これからも七草君のそばにいる。七草君の大事な人になる。」 そこまで言って、土岐さんは僕の方を向いた。 そして、手を前で組みながら微笑みながら告げる。 「だから、これからもよろしくね。七草君」 土岐さんの凛とした声が響く。 梅雨らしく湿った風がそよいで、土岐さんの髪を微かに揺らす。 僕をまっすぐに見つめた、ガラスのように透き通った瞳。 肩ぐらいまで伸ばした艶やかな髪。 自分を強く主張するわけではない、慎ましやかという言葉が似合うような雰囲気。  初めて会ったときの土岐さんの姿が一瞬、脳裏をよぎる。 そうだ、僕はあのとき、今僕の目の前にいる女の子に恋をしたんだ。 それから時間をかけて、自分なりに君のことを理解した。 理解したつもりになって君のことを傷つけたときもあった。 そして、君のためと言いながら、本当は自分のために君以外の人を選んで君を一人にしたこともあった。 そのあと、自分なりに答えを見つけて、君を選んだけど、その選択は自分を含めた周りの人を不幸にした。 自分の間違いに気づいて、もう一度君を選んで、こうして今、君は僕の目の前で微笑んでいる。 これが僕の選択が描き出した光景。 僕は自分がした選択を後悔しない。 だって、目の前の君が笑っているのだから。  土岐さんのお母さんの墓参りを終えた僕たちは最寄りの駅に向かうために住宅街を二人並んで歩く。 「籠、持つよ」 「え、じゃあ、お願いしよっかな」 そして、空になった籠を持つ。 この籠には墓前に手向けた青色の紫陽花が入っていたんだっけか。 そう言えば気になっていたことがあるんだった。 そのことを思い出して、土岐さんに尋ねてみる。 「ねえ、土岐さん。一つ聞いてもいいかな?」 「何?」 そう言って、土岐さんは小さく首を傾げた。 「土岐さんのお母さんの墓前に紫陽花を供えたよね。どうして、紫陽花だったの」 「ああ、そのことね」 土岐さんは何か懐かしむような表情で話し出す。 「お母さんが生きてた頃にね、私、お母さんからよく、紫陽花みたいな人になりなさいって言われてたの」 「紫陽花みたいな人?」 「うん、そう。初夏に咲く、あの紫陽花」 そう言われて踏切前の紫陽花が見えたような気がした。 「お母さんが言うにはね、紫陽花って強く自分を主張するわけじゃないけれども、自分を持っているような気がするんだってさ。奏もそんな人になりなさいってよく言われてたんだ」 ああ、そういうことだったんだ。 だから、土岐さんに出会ったとき、土岐さんのことを紫陽花みたいな人だって思ったんだ。 「今の土岐さんは紫陽花みたいな人だと思うよ」 「そう?どうして?」 土岐さんは自分では紫陽花みたいな人だと思っていないのか、疑問ありげな様子だ。 「内緒」 「七草君は秘密が好きなんだね」 そう言って土岐さんは微笑んだ。 自分を強く主張するわけではない、慎ましやかという言葉が似合うような雰囲気を、土岐さんと出会ったときに感じた。 でも、今、僕が、土岐さんが紫陽花みたいな人だと思うのはそれだけが理由じゃない。 だって、青色の紫陽花の花言葉は「辛抱強い愛情」なのだから。 「手つなごうよ」 僕は土岐さんにそう呼びかける。 「え、うん、いいよ……。ちょっと恥ずかしいけどね」 そう言って土岐さんは僕の手を握る。 手のひらから土岐さんの体温が伝わってくる。 土岐さん、体温高いんだな。 そんなことを、手をつないでみて初めて気づいた。 こんな感じで土岐さんのことをこれから理解していくのだろう。 そして、土岐さんが紫陽花みたいな人であるとして、紫陽花に香りがあることを知る人は少ない。 離れてみる分には紫陽花は綺麗だけど、その実、紫陽花の葉には毒がある。 でも、近づけば紫陽花のほのかに甘い香りを味わうことができる。 理解したくて近づいてみては遠のいてみてを繰り返して、段々と土岐さんのことを理解していけたらいいんだと、そう思う。 いつか君のことを今よりも理解できる日が来ると信じている。 だって、僕は紫陽花が香る頃に君を見つけたのだから。
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