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 高原には穏やかな風が吹き、一面に咲く小さな花が静かに揺れている。人の往来のない細い遊歩道沿いに、一軒の食堂がある。店の名前は「朝霧と潮風」。店内に客はおらず、ヨウムの獣人である女性と小柄な人間の青年が手持ち無沙汰にしている。遠景には澄んだ山脈がそびえ、山頂から吹き降ろされた風が草原と食堂を撫で、高原の下に広がる街へ、そして海へと流れていく。  青年は人参のスティックを手に、キッチンの大きな窓を眺めていた。空の青が鮮やかな日で、白く統一された街がいかにも眩しい。マーケットは今日もにぎわっており、白亜の街に色とりどりの天幕が並んでいる。町の奥の港には白い帆を畳んだ船が並ぶ。遠くの海の上空に飛空船が三隻、幸福な思い付きのように悠々と浮いている。山間には広大なトマト畑も見える。あとひと月もすれば収穫だろう。  街道では荷物を運ぶ巨牛が道草に首を突っ込んで道を塞いでいる。道端のフェロモンを嗅ぎつけて夢中になっているらしい。筋肉のたくましい運送夫たちが熱心に巨牛を押すがびくともしない。青年の腹が鳴る。人参のスティックを齧る。  ヨウムの獣人は青年の半分くらいの身長しかなく、見かけもあどけない。白い長髪を後ろで括り、耳毛が横に突き出ている。横柄な目つきで食器棚の一角に置かれたブラウン管のテレビを見ている。椅子の手すりに頬杖をつき、ゴミを投げるような手つきでリモコンを押してはチャンネルをしきりに切り替える。画面に映るのは現代都市の夜の風景だ。ビルの隙間、ガード下、潰れたガソリンスタンド。この店と同様、人はいない。 「シェフ、客来ませんね」青年は言った「今月の借金、あと三日で返済期限来ちゃいます。いよいよ僕らヤバいんじゃないでしょうか」 「うるさい、わかっとるわ」半獣は青年に目もくれず画面を睨む。「向こうでは伝染病が蔓延してどいつもこいつも引きこもりだ。人間の営む通常の店も潰れてる。こっちの世界まで客なんて来ねぇよ」 「マーケットに降りてお弁当でも売りません?」 「一人でやってこい、おつかれ」 「もう、シェフもお腹ぺこぺこだろうに」 「おい静かに」  半獣の女性は椅子から立ち上がり、手で上げて青年を制した。  ブラウン管の画面、一人の若い女性が映っている。飲み屋の並ぶ路地裏をかなり怪しい足取りで歩いている。ずいぶんと深酒したらしく、手すりを持たずに吊り橋を歩いているかのように揺れている。  青年はブラウン管を注視するが、腑に落ちない様子で首を傾げた。 「何か映ってるんです?これ。僕にはずっと黒いガラスに見えるんですけど」  半獣の女性は括っていた髪紐をほどき、首を振って後ろ髪を広げた。 「ちょっと出掛けてくる。ジョルジュ、留守番してろ」 ジョルジュと呼ばれた青年は、返事を待たず出ていこうとする半獣に向かって声を掛けた。 「行ってらっしゃい、サンドラさん。早めに戻ってきてくださいよ。出掛けた時に限って客が来るんですから」
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