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「ありがとうございました」
祖父の墓参りを終え、掃除用具を返した七瀬と光一郎は胸に袋いっぱいのミカンを抱えていた。
寺の関係者なのだろうエプロンを着けた老婆が、
「あんたたちのお爺さんには色々おせわになったから」
と渡してくれた。年のころは祖父と同じくらいだろうか。にこにこと寺の出口まで七瀬たちを見送ってくれる。
「こっちのね、裏道から行きなさい。迷いにくいから」
「道具まで貸して頂いたのにこんなにたくさん、本当に有難うございます」
「次来るときはこのミカンのおかげでお肌つやつやになってると思います」
「あら、あたしみたいに?」
「あははは」
「このミカンはね、あんたたちのおじいちゃんも好きだったのよ。家に帰るまで大事に持ってるのよ」
中学生二人組の墓参りがそんなに珍しいのか、またね、と笑顔でいつまでも手を振ってくれた。
「七瀬のじいちゃんの人徳やな」
「え?」
「なんか、あったんちゃうん? 若かりし頃の恋人同士とか?」
軽い口調で言いながら、光一郎はここにないものを透かして見るよう遠い目をする。
「もっと話をききたかったぁ」
それはあのおばあさんにだろうか。それとも祖父にだろうか。祖父が死んでからずいぶん経ったような気もするし、まだまだ色んな気配が残っていると思うこともある。でも、祖父のいない生活に慣れてきて、祖父の話をするときに痛い気配がすることはもうほとんどない。光一郎だけは今でも、特別な話し方をする。泣きたい気持ちを殺して笑うようなどきりとする気配。祖父のかかわるところでは、暗さや悲しさを押し殺そうとする。そういう光一郎の気持ちは七瀬のものよりも強く確かな気がして、くらべてしまうことが怖くて、負けてしまうことをおそれて、七瀬はあまり光一郎と祖父のことを話せない。
だから足早に進もうと光一郎をうながした。
「もう遅くなっちゃったからな。行かないと」
西空はうっすらと色がかわりはじめ、冬のもの悲しさを感じやすくなる時間が近づいていた。このまままっすぐ帰るのであれば良かったのだが、そもそも祖父の墓参りにふたりで来ることになったことの始まりは、蟲本屋の店主の依頼だった。
「七瀬、今回はとても簡単な依頼だよ。本を回収してくるというより、ただもらってくるだけ。僕の知り合いの店、月詠堂から本を受け取ってきてほしいんだ」
新橋の細い路地奥にある蟲本屋。店表には店主が選書した新旧の本が並び、それなりの常連客がにぎわう。奥、と店主が呼ぶその場所は、しんと暗闇を閉じ込めたような空間で、店主の集める特別な本が並ぶ。
「別にいいですけど」
どうせ簡単な仕事じゃないんだろう、と七瀬はため息をつく。
「いやね、この前届けてもらった本の中に一冊入れ忘れてしまったらしくてね」
「送ってもらってください。なんならアプリで俺が依頼する」
「七瀬。そこらの本とは違うんだよ。貴重品なんだ。ぺろっと封筒に入れてコンビニから送ってもらうわけにはいかないんだよ。それなりの梱包、それなりの業者にお願いするんだよ。つまり……お金、もったないでしょ?」
「……。まぁ、別にいいですけど。住所は?」
「茨木」
「……送ってもらってください」
「そんなに遠くないだろ?」
「そんなに近くもない」
「七瀬は寂しがり屋だな。そんなに一人旅が嫌いなら。おともをつけるといい。月詠堂のある街は、君の家の菩提寺があるからね。お墓参りも行くといい。そうだ明日は土曜日だ。明日にでも行くといいね。お弁当はきっと光一郎が作ってくれるだろうから」
店主がまるで物分かりの良い教師の様に、細い眼鏡の奥で目を細める。
「たまにはふたりでゆっくり仲良くしておいで」
七瀬は嘆息した。全部仕組んでやがったな。深くため息をついたが店主は大変楽し気に微笑んだ。
そういうわけで、七瀬と光一郎は祖父の墓参りに向かわされ、さらにここから店主の知り合いの店を訪ねなくてはならないのだった。教わったとおりに寺の裏手にぐるりとまわり、竹林の小道を歩いて突き当たった細道を抜けると、静かな住宅街に入った。家々は生垣に囲まれた庭を持っているようで都内に比べて立派な景色に七瀬はおもわず周囲を飽きずに見渡しながら歩く。桜や木蓮が枝をのばし、春が来たらずいぶんと華やかになるのだろう。しかしこの季節の木々はひっそりとしたままだ。一方で、目につくのは菊の花だった。朱や橙が道端に揺れている。冷ややかな空気に落ち葉と菊の花の香りがまじりあう。
「そういえば菊祭りが毎年開催されるとか聞いたな」
家々の庭で競うように花開く菊の種類に驚きながら七瀬が感心する。親戚たちの集いでそんな話をきいたときはちっとも興味がわかなかったが、こんな風にどの家にも菊があるのを見るのはなかなかの迫力だ。
「ふーん、菊ねぇ」
光一郎はほとんど興味をしめさずただ道の先だけを透かすように見つめている。
「つーか、道あってるん?」
「この辺なんだけどな」
店主にもらった住所を七瀬が確かめる。
「どれどれー? むむ。この先を左っぽいな。こんな辛気臭い場所さっさとぬけて、なんか食べたい」
「辛気臭いっておまえなぁ」
周囲の家に聞こえるだろう、と七瀬は眉をひそめるが、不思議なほど人気はない。声もしないし音もしない。加えて、天気が崩れる兆候なのか少しけむるような霧が漂い始めていた。いつの間にやらふたりそろって足を速め、左に折れた道の先の坂道を何かから逃げるように歩くこと数分。目的地は唐突に表れた。
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