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「なんや……?」
光一郎がひそめた声でつぶやいたときには七瀬は動き出していた。
「七瀬、待てっ」
とまらない七瀬に眉をひそめたが、光一郎もすぐにそのあとに続く。隣の部屋は妙に薄暗く、そのほぼ真ん中あたりに、七瀬たちに背を向けた月詠堂が横座りの姿勢でうなだれていた。
「だいじょうぶですか?」
背後からそっと七瀬は声かける。月詠堂を支えようと伸ばそうとした七瀬の手を光一郎がつかむ。
「七瀬、待て」
光一郎はそのまま月詠堂をじっとみつめる。七瀬に見えないものを透かし見るように目を細めて。
「なにかみえるのか?」
そう問いかけながら、七瀬は以前店主から言われたことを思い出していた。『七瀬にはそう見えるのか』。店主はそう言っていた。蟲にからむ出来事の見え方は人によって異なる。じゃあ、光一郎にもきっと七瀬とは違うものが見えるのだろう。それは、どんなものなのか。光一郎がにぃっと口の端をあげる。
「どーりで。寺で会ったあの人、いやぁ~な感じがしたんだよなぁ。この店はいたるところ気配がするからわかんなかったけど」
「あなたにはみえるのね? あなたたちのおじいさんと同じく」
月詠堂はつぶやいてゆっくりと顔をあげた。薄暗い部屋に白い影のように彼女の顔が浮かんで見える。
「あ、孫はこっち。僕は単なるつきそいでーす」
「そう。じゃあ、お世話になった側なのね。わたしと同じように」
光一郎は隙をつかれたように表情をうしなう。七瀬が一歩前に出て問いかける。
「……何が起きたんですか?」
人なのか、蟲なのか。相手の様子が分からない。七瀬の懸念をくみ取ったのだろう。月詠堂は体をゆっくりと起こして髪を整えると困ったようにほほ笑んだ。
「私は蟲じゃない」
光一郎が首をすくめてみせる。何か言いたいことがあるようではあるが、月詠堂の言葉を否定するわけではないようだ。七瀬も、彼女からはそう言った気配が薄いとみている。この家に充満している気配の中心というわけではない。
「妹よ。本から抜け出したのだとあなたたちの話を聞いてわかったから、戻るよう術をはったけれどダメだった」
月詠堂は立ち上がり着物の裾を整える。あまやかなほほ笑みを七瀬に向けた。
「だから、彼女をみつけて本に戻すのを手伝ってほしいの」
「妹? さっき寺であった人?」
「そう。あなた、回収屋さんのお孫さんでしょ? ならきっとあの子は姿を現す。そういうもんなのよ」
はぁ、と七瀬はため息をつく。ただ本を預かるだけの仕事だったはずがやっぱりずいぶんなことになってきた。
「妹さんねぇ。なんで家族が喰われた本を後生大事にとっておくかね。あの本焼いちゃう? 焼き払うてしまう?」
光一郎が、もといた部屋の方をみて言う。冗談めかせた口調ではあるが表情は七瀬からはみえない。
月詠堂がゆるく頭を横にふる。
「だめ。あの子は確かに本の中にいる。彼女が選んだ一瞬一瞬の時間を繰り返しているだけ」
光一郎はまだなにか言いたげだった。が、何も言わずに本のある部屋歩き出す。
「光一郎!?」
あわてて七瀬と月詠堂も追いかける。部屋につくなり光一郎はリュックをあさりだした。ほんとに燃やす気か。七瀬は蟲に干渉することはできないが、光一郎であればやれないことはない。
「よし、あった」
「とりあえず何するにしろ俺に一度話せよ」
とにかく光一郎を制しようと身を乗り出した七瀬の前に、光一郎が赤い布袋を差し出した。
「食べましょうではないか」
「へ?」
「光ちゃん特性おにぎり弁当!」
「……食う? ここで?」
「もうお夕飯の時間やで」
さも当然のように光一郎が神妙な顔で言った。
おにぎりはめちゃくちゃ美味しかった。
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