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イルマ
あの鉄塔に登っていたならば、彼女の人生はどうなっていたのだろうか?
進藤悠希は、己の人生において、あの鉄塔が自身の現実の感じ方に決定的な影響を及ぼしているように思えてならなかった。
十歳の頃である。
田舎育ちの彼女は、特に好きでもない悪童どもと関わりを持たなければならない状況が多々あった。
そのため、悪童らとのくだらない、知性のかけらも感じられない付き合いは、自ずと要領の良い処世術を培っていった。
それは、彼らのようなくだらない悪童どもの愚かな要求には無関心を装いつつ、適度な距離を取り、最終的にはその要求に応えてやるような態度を装い、そのうえで人間関係上の攻撃を受けるのを巧みにかわしてゆくという比較的良くあることであった。
こうした日々の淡白な処世術をこなしていた頃、ある事だけ、ただ一つのある要求だけを、進藤悠希は悪童どもから拒否したことになぜか後悔を抱いていた。あの選択は間違っていたのだろうか? 進藤悠希の脳裏に浮かぶこの疑問は、いまなお、『後悔』という形を取り、彼女の内部で共振し、現在の彼女の宿痾となって離れることがなかった。
*
「いいだろう悠希? いま大人たちは出払って夕飯を食いに行ってんだから」
「鉄塔に登るチャンスなんかいましかないぜ? ほら、一緒に登ろうぜ」
あの悪童どもの快活な口、魅惑的な説得、夏の夕暮れの涼しげな風、暗い林のひぐらしの涼しげな鳴き声は、いまでも悠希の脳裏に鮮明に思い出される。
「馬鹿じゃないのあんたたち? わたし登らないよ。やって良いことと悪いことくらい、わたし分かってるんだから」
あのとき、大人たちの許可なく電話交換所の鉄塔に登ってはならないという道徳的な理由を口にしたのも、進藤悠希は覚えている。
「大人たちの目を盗んで何かするっていうのが楽しいだけでしょ? 私、やらないよ。そういう遊び興味ないから」
「ちっ、相変わらずノリが悪いな」
「いいや、悠希は放っておいて、俺らだけで登ろうぜ」
悪童どもが鉄塔の敷地内に入っていくのを、悠希は腕を組みながら「勝手にすれば」と言い捨て、雑木林の一本の木に背中を預けて彼らが戻るのを待った。
悠希は空を見上げる。
空まで届くように高く聳える鉄塔が、あたりに響き渡るひぐらしの鳴き声を巧みに切り離し、巨大な沈黙を背にして、屹立しているように見える。晩夏の夕陽に染まる涼しげな空気と不釣り合いの、鉄塔にまとわりつくような明確な輪郭。そして明確な輪郭線がもたらす曖昧な現実感。この静止する世界とその世界の中に立つ巨大な存在感との相克を悠希の大きな瞳は鮮明な映像として記憶してしまった。彼女の感覚の宿痾はここから始まった。
*
彼女の生まれ故郷は、何処にでもあるような少子化の進む田舎町であった。町の背中に小高い山があり、そのふもとに高さ二〇メートルほどの電話交換所の鉄塔が建てられていた。
悠希の町に背の高いビルなど何一つないこと、水田に適した平らな土地であることなどが相まって、その鉄塔は、この町のどの場所からでも見ることができた。
彼女が小学校から下校するときも、田畑の裏側に粗大ゴミが捨てられた空き地からでも、市内に向かう車の窓からでも、鉄塔が見えないことは決してなかった。
故に、電話交換所の鉄塔が、悠希の空想遊びの際に非常に使い勝手の良い道具となっていた。
あるときは、古代のロマンを想起させた。古代人が櫓の上から見張りをするとき、その櫓の上で見渡された昧爽の陽光は、寂寞とした海の闇を侵す寂光は、どれほど美しかったのだろうか。
はたまた、SF映画に登場する巨大生物との比較。父が愛好していた怪獣が、電柱の電線を断線させながら街を蹂躙してゆくあの無慈悲。その電線の断絶から溢れる電気の火花の光は、感性豊かな彼女の心に歓喜を与え、その聯関の延長線上に、田舎町の鉄塔が、巨大生物の巨きさを根拠付け、その生物がこの閑静な空間に不釣り合いな存在感で佇立する想像に一役買った。
進藤悠希にとって電話交換所の鉄塔は、自身の空想の象徴であり、また現実世界に存在するものでありながらも同時に彼女の主観世界の中のものでもあった。
……だからこそ、あのとき悪童どもの説得に対し、彼女の口から出た道徳的な拒否とは裏腹に、その心のうちには、自身の言葉と矛盾する欲求が生まれていた。その欲求を自分で悟ったとき、十歳の進藤悠希のなかで、現実世界と主観世界の融合を告げる鐘が鳴ったのであった。
『鉄塔のうえには、一体なにがあるのだろう?』
*
「進藤さん、またこういった作風ですか?」
神経質そうな痩せ細った男が見つめているのは、一見なんら変哲もないが、見方によっては奇妙な作品であった。
テーブルの上に置かれた一枚の白い皿の上に、一斤のパンと、その左上に漂う光に照らされた無数の埃、といったなんの変哲もない絵である。
「秋のコンクールに出す作品としては弱いと思いますよ、こんな地味な写生画では。うちの美術部が出す絵画は毎年それなりに高い評価を頂いているのですから、こういうのではちょっと困りますよ」
しかし、十七歳の進藤悠希はこれを否定する。
「写生画ではありません。現実の事物から受けた私の心象を写したものです」
美術部顧問の教師は興味なさげに「はぁ、そうですか」と口にするばかりであり、絵を一瞥するとすぐにそれを机の傍に押しやった。
「黄金に輝く小さな埃という動的な存在と一斤のパンという色も形もそのままの静的な存在がひとつの映像の中に同時に存在するのが、私には奇妙に思われたのです。だから描きました」
「あのね、進藤さん。君の独りよがりな作風を押し付けられても、見る側はちょっと困るんだ。良い絵というのは、見る人の心に感動を与えるもの。進藤さんも、それくらいのことはわかるだろう?」
『何故? 私はそうは思わない』
悠希は決してそのような言葉を発しはしなかったものの、彼女の瞳が否定的な色に染まるのを顧問の男は見過ごしはしなかった。彼は大人気なく不機嫌に己の苛立ちを露骨に見せた。
進藤悠希の否定は、顧問の言葉に反抗するためのものではなく、ただ彼女の純粋な疑問な発露したものであった。だが、顧問の男にはそれが伝わらなかった。相手の言葉に耳を傾ける気持ちをそもそも持ち合わせていなかったのだ。
「美しくなければ絵ではないという絵の定義はないと思います。だって、絵なんですから」
「……とりあえず、描き直して来なさい」
男は美術室の机から立ち上がり、夕陽の影に覆われた廊下へと姿を消した。
*
あの日以来、進藤悠希にとって、現実という曖昧な存在は常に彼女を悩まし続ける痼疾のようなものであった。十七になったいまもなお、その感覚は彼女の内部で共鳴している。
主観と絶縁された客観、客観に穢された主観ともいうべき現実は、進藤悠希の青春の道程に於いて、さしたる難儀もなく、その難解な姿をありありと目の前に現した。
時には主観に染まり、時には客観に身を包んで、人通りの少ない道や旅行先の建造物、そしてあの鉄塔の頂きに現実はその姿を現した。
*
秋の金閣寺。
中学二年生の時、修学旅行の予定をまとめたプリントに載っていた金閣寺は、思春期の進藤悠希に甘い空想を与えた。
黄金色を深く反映させた濃紺の鏡湖池、小さいながら誇らしく天に飛翔しようと胸を張る鳳凰、そして、紅葉を背にして建つ金閣寺の究竟頂の輝きは、まさに幻想の具現化そのものに思えた。
テレビやドラマ、アニメなどで見るあの金閣寺を実際にこの目で見ることができるという興奮。
旅に行く前に起こりがちの高揚した心は、未来に出会すであろう事物を空想の中で色鮮やかに装飾するものである。
……そのため、彼女が本物の金閣寺を初めて観たときの落胆は、想像に難くない。
「……こんなものなの、金閣寺って?」
こじんまりとしたように小さく遠慮がちに建つ寺は、事実の上では紛れもない本物であるにも関わらず、進藤悠希の感覚的な瞳には非常に出来の良い偽物に見えてならなかった。
そのため、女性ガイドの「実は、金閣寺は一九五〇年に一度燃えて無くなってしまったものなんです。ですから、いま目の前にあるのは再建された金閣寺なんですよ」という説明に、進藤悠希はほっと息をついたものである。自分の感覚を間違っていなかったと思いこみたい気持ちが、無意識的にガイドの発言を保証価値のある根拠として捉え、それに縋ったというわけだ。その自分の心理の道程を客観視していたのも、いまでも良く覚えている。
故に、小説の『金閣寺』と出逢った高校二年生の春、進藤悠希はあのときの感覚がある意味で間違いでなかったことを悟る。
つまり「本物の金閣寺を巧みに作られた贋作のように思ったあの感覚は、他人にもありうる現象だ」ということを理解したのだ。もしかしたら、おそらくこれが彼女にとって初めての『本に毒された』経験だったのかもしれない。
あの物語の主人公も再建前の金閣寺を見た時、初めて金閣寺を見た時は、たいしたことのない寺を見たような大きな落胆を味わったのだ。
この金閣寺との体験により、自分の現実に対するものの見方に不信感を高めると同時に、現実感の問題は誰にでも理解してもらえる事なのだと考えるようになった。誰にも理解してもらえると考えたが為に、それを口で伝えたり芸術で表現しようとしたりしても、誰にもまったく理解してもらえないことが多かった。そのために、歯痒い青春の苛立ちが募るのに彼女は耐えられなかった。
*
だが、時々現実は天邪鬼な態度を取ってみせる。日々心のなかに抱いていた空想の類いが、現実の世界としてそのまま顕現したかのような出来事もあった。
高校二年生のゴールデンウィークの時。
その日、悠希は同い年の親戚の少女の家に遊びに行く予定だった。夕方の六時にA駅に着くのを事前に電話で連絡をし、手短な準備を終えた悠希は、すぐに最寄駅の電車に乗った。
こうした、日常生活の中において、突如現れる非現実的な世界、もしくは、シュルレアリスムの使者ともいうべき存在が彼女の目の前に現れた。
一匹の白猫がB駅のホームから電車の中に乗り込んできた。
猫は彼女の隣に凛とした態度で座った。猫の首には薄桃色のリボンと銀色の鈴が付けられており、艶のある綺麗な毛並みもあって、この猫が飼い猫であることが悠希にはすぐにわかった。
飼い猫がふらりと散歩気分に自分の家を抜け出して、手慣れたようになんの抵抗もなく人間同様に席につくものだから、悠希はこの子を珍しげな目で見つめた。
そして、普段と変わらぬ日常の世界に現れた一匹の飼い猫という特異点が、この電車内の空間に快い不協和音をもたらすのを、そしてその空間の中に自分が座っているのを悠希は客観的に理解した。
電車がある駅で止まる。悠希にとっては関係のない土地である。が、そのとき猫が悠希を一度振り返ったあと、何事もなかったかのようにその場で席から離れ、電車から出てゆく。その子が出てゆくというので、悠希も当たり前のように電車を降りて猫について行った。
奇妙な期待があった。あの猫についてゆけば、普段味わうことのない世界と出会すことができるはずだと直感した。その直感に何の根拠があるのかと問い詰められたなら、悠希は相手に対して面と向かって言ったであろう。
「根拠なんてない」
せめて理由を挙げるとすると、他人と比べて、彼女の現実との向かい方が、異なる方向へ向いていることぐらいであった。
さて、猫が駅のホームに立つ。猫が辺りを見回す。悠希は猫に追いつき、猫は身体を悠希のデニムズボンに擦り付け、彼女の右脚を柱に見立てて一回り二回りしたのち、駅の出口に駆け出し気味に向かってゆく。悠希は追いかける。
駅の出口を抜けた先にあったのは、閑静な住宅街。十年前に開発された土地であり、中産階級層が住む綺麗な家々が立ち並び、その家の住民たちを相手にする洒落た喫茶店や深緑の蔦に身を預けた雑貨屋などが建ち並んでいた。
悠希にとってそこは、土地の名とそこがどんな場所なのかを認知している程度で、実際にはこれまで一度も行く機会のなかった場所だった。
そのため彼女は猫を追っているうちに、普段味わうことのない異世界に足を踏み入れていたような実感が湧き上がってきた。
快かった。悠希は時を忘れていた。時間を忘れている間は、彼女はこの世界で間違いなく自由であった。自由な世界とは、法律にも社会的機能にも人間の共通認識にも侵されていない静かな世界であった。
静かな自由の世界が命を落としたのは、猫が目的地についた時であった。気が付けば、悠希は小洒落た喫茶店の前まで来ていた。人の良さそうな三十歳前半ぐらいの女性が店番をしていた。その女がこの猫の主人であったのだ。この子は気に入った人間を自分の家に連れて行こうとする招き猫だったわけである。
*
爾来、悠希はその店に足繁く通うようになったわけだが、そのような非現実的な小説的な出来事が自分の日常で本当に起こるものだから、現実というものに絶対的な信を置くことが尚更できなくなっていった。
現実の不協和音。矛盾する二つの事象の逆説的な効果をもたらす混合。悠希の瞳は、あの十歳の日の出来事をきっかけに、視界の主観と客観を行き来するのに長けてしまった。
*
「正直、私も分からないよ。進藤さんの絵の伝えたいことは。でも、言っていることが矛盾するけど、何となく分からないでもないような気もするな」
「仲川の思うように思ってくれたらいいよ。自分の感性を誰かに完璧に理解してもらうなんてことはもう諦めているから」
高校の放課後。
使われていない教室の椅子に座る仲川詩穂は、机の上に置かれた悠希の絵を手にし、じっくりと観察している。悠希は詩穂の後ろに立って彼女の長い髪をゆっくりと梳かしている。
「絵とか本とか彫刻とか、芸術を作ろうとする人は大変だろうなと思うよ、進藤さん。私は絵心はないし、文学もよく分からないし、恥ずかしいけどその手の方面には疎い自覚があるけれどね、でも進藤さんを見ていると、作り手は精神的に強い人だと思う」
「……強いか?」
苦笑する悠希に「強いよ」とすぐに返答する詩穂。
「自分の想いが理解されないかもしれないという前提を前にして、それでも果敢に挑んで作るわけだから。思うに、表現者は、表現者であるだけで、一人の果敢な挑戦者であると思う。そうじゃない、進藤さん?」
「慰められちゃうね、そんな優しい言葉をいただけるとね」
「ただ……」と悠希は『表現者の表現せずにはいられない性が、彼・彼女をして挑戦者せしめる』という詩穂の言説を用いて、自虐的な反駁をしてしまう。
「表現者は、挑戦者であると同時に、生まれながら呪われた人間でもあるんだよ」
「……呪われている?」
髪を梳かす手の動きを止め、悠希は苦笑しながらため息混じりの言葉を発した。
「理解されない可能性が高いのを百も承知で挑み、それを分かりやすく伝えようと試みる。が、自分の信ずるものが相手に受け入れられず、作品は価値を産めずに、死ぬ。一つの死を覚悟して挑み、長い課程を経て、そして死ぬ。作品を産み出そうと意図すると同時に作品の死の予定説を受け入れるようなもの。時の洗礼を経て生き残れるのは、一握りのごく僅かなものたちだけ……。でも、表現者にとって大事なものは、実は生き残ったものよりも死んだものたちのほうだったりする。生き残ったものよりも、死んだものの中にあったものを大事にしたがるんだから、一種の呪いに近いものなのさ、これは……」
詩穂はゆっくりと後ろを振り返り、悠希の顔を見つめる。窓から射す紅の夕陽に頬が染まるなか、悠希の表情は諦観に満ちた微笑みで詩穂を見つめた。
「だからね、仲川は私の絵をただ純粋に楽しんでくれるだけでいい。というより、そうしていて欲しい。無理に理解しようとして頭を悩ませるより、そういうものもあるんだ、って軽く認めてくれたらそれでいい」
そして、会話を和らげるために「まぁ、表現者にも色々な人がいるだろうから、生まれながら呪われた人間だなんて、極論にも程があるけどね」と冗談めかした口調で、再び詩穂の髪を梳かし始めた。
*
近頃、悠希は考える。もし、あの鉄塔に出逢わなければ、今頃どうなっていたのだろうと。
いや、もしかしたら、そもそも、あの悪童らとは完全に距離を置いておくべきだったのかもしれない。普通の人間の処世術で人付き合いをしていたのが、他人に理解されにくい感覚を得るきっかけになってしまったのは皮肉な話である。
仮にいま十七になった悠希が実際に鉄塔に登ったらどうなるか。試す気はまったくないが、おおよその検討は付いている。
『なんの感動も起こらない』といったあたりであろう。
あれは十歳という、無垢な子どもの頃に感じたのが問題だったのだ。感受性豊かな、外界の刺激をありのまま受け止めやすい子どもの眼が、鉄塔の歪な影像を取り除くことのできない心の奥深くに置いてしまったのである。
ある程度の知性と良識、道徳と教養を学び始めた十七のいまでは、あの時ほど鮮明な鉄塔の歪さを見出せないであろう。むしろ、現実の歪さを見出すのは、鉄塔以外の事物である事の方が多くなっているのだから。
そして、高校二年生の秋、すなわち今年の秋より、主観や客観とも異なる見方、主観の極致とも客観の極地とも言える感覚に襲われることも起こり始めた。その経験をした刹那、強力な頭痛に見舞われたあの夏の日を、悠希は出逢ってしまったのである。
*
【偶然の交錯】
その日に名を与えるならそうなるだろう。
それは、悠希の現実に対する悩みの種が、奇妙な巡り合わせで鮮明な感覚の萌芽を見せた日である。
午後六時。
塾の予習を済ませた彼女は、学校の図書室を出て行った。
日の落ちる時刻が早まりはじめる季節、いつもの道を歩くと、冷えた風が夏の爽やかさの死を告げていた。微かに凍てつく空気と鈍色の空、緑を失った梢の葉など、四季の移ろいの境目という曖昧な時の流れを肌に感じる。
なんとなしに見上げた空の向こう側に、周りの鈍色の雲とは異なる一群の黒い雲が見える。今夜、あの雲は、この付近のどこかで局地的に雨を降らせるだろうと悠希は思った。そのあと、彼女の関心は目の前の小さなスーパーに移り、そこへ入って勉強中に飲むためのお茶を買った。
イヤホンで明るい曲調の流行歌を聴きながら、やや軽快な足取りで歩く。そこから五分ほど進んでようやく塾の前に着いた。
だが、塾の扉を開けると予想外の光景に戸惑った。塾の机に座っているのはいつもの高校生の塾生たちではなく、小学生の子どもたちであった。
小さな子どもたちの視線がこちらに集まる。悠希が黒板の前に立つ先生を見ると、いつもの高校生を担当する男性の先生ではなく、小学生担当の女性の先生が立っていた。
「進藤さん? どうしましたか?」
「……どうしましたって、塾なので来たんですが」
「あれ、伝えてませんでしたっけ? 今日から高校生と小学生の授業の時間帯を交換すると」
悠希は目を大きく開いた。先週の授業の終わりごろに、自分たちの担当の先生がそう口にしていたのを思い出したのだ。するとたちまち、きまりの悪い思いが起こり、悠希は恥ずかしそうに塾から出てゆく。戸を閉めながら「そう、でしたね。すみません、私、勘違いしていました。じゃあ塾に来るのは明日ですね。どうもすみませんでした」と言って頭を下げて塾を後にした。
さて、途端に手持ち無沙汰になり途方に暮れる。親には、九時半に塾が終わると伝えていた。そのため、それまでの間、家に帰らなければならない義務を感じる必要はない。
思いつくままに、悠希はどこかの駅の近くの静かな場所で勉強をしたり、軽い軽食を摂ったりしようと考えた。空はまだ雨が降っていなかった。
学校の最寄駅から自宅の最寄り駅までの間にある、とある駅に降りようと思っていたが、その計画は異世界の使者の出現により、いとも簡単に崩壊した。
例の喫茶店の招き猫が、この日も電車の中にいたのである。
猫は悠希を見つけると彼女の足元に近づき、靴と彼女の顔を二、三回見比べたあと、いつものように悠希の隣の席に座った。この子が隣に座るのであるから仕方がない。この猫の要求を叶えてあげようと悠希は思った。それは愛する主人の願いを叶える執事か、はたまた孫の乱暴さが愛くるしく思えて、その頭を撫でてあげようと思う祖母か、そのいずれかは知らぬが、いずれにせよ、猫を好む人間ならば猫の甘い無言の要求に応えてあげようと思ってしまうのが自然である。悠希は猫について行く、猫は悠希を喫茶店に連れて行く。
レトロ風の店内のカウンターで、猫の飼い主である店員の女と他愛のない会話を五分ほどしたのち、悠希は店の隅で少しの間勉強をすると言う。店員の女は良いと言う。猫が悠希のもとへ駆け寄る。教科書とルーズリーフに目を落とした少女に対し、喉をごろごろと鳴らしても、身体を擦り付けても、一向にかまってもらえないと分かると、不機嫌になって飼い主のもとへ帰っていく。
いくつかの問題を解いた後、ひとつ息をついて、左手の窓から見下ろせる街の風景をなんとなしに眺めた。家々を染めていた夕日の薄い朱色が真っ黒な宵闇に隠れはじめ、徐々に静けさが増していく。
街の建造物は完全に静止しており、その静止した世界を、まばらな人影が壊している。まるで、建物というひとつの静と、人影というひとつの動とが、一枚の絵の中に同時に存在しているように見えた。一枚の絵の中に、まったくの矛盾の存在があたりまえのように同時に並行的に、それぞれが独立して存在するように見えたのである。
……そうして、気がつくと十分が経過していた。窓の向こう側で日は完全に沈んだようだった。
悠希が、自分の答えを見出すまで、もう間もなくであった。
喫茶店を出てから、駅まで歩いてゆく。このままどこへも寄り道せずそのまま帰宅しようと思った。
そこへ、頬にひとつの冷たい雫が当たるのを感じた。次に肩、指先、また肩に当たる。
雨が降ってきた。
それを見上げると、悠希の真上に闇に染まった雨雲があり、その雨雲の周りに、月明かりにほのかに明るむ濃紺の空が見えた。
「周りの鈍色の雲とは異なる一群の黒い雲が見える。今夜、あの雲は、この付近のどこかで局地的に雨を降らせるだろう」
あのときに見た雨雲であった。雨は闇の中でその姿を見せず、一滴、一滴、アスファルトに身を投げて墜死していく。悠希がふと駅前の灯りに目を向けると、その光を背に一瞬の輝きを見せる雨粒を見た。その雨粒のかすかな輝きを悠希は綺麗だと思った。
すると、数十分前まで店の窓から見ていた静と動の混在する世界を思い出した。そして、自分と光り輝く雨粒がこの空間の動の存在であり、背景の常闇と街灯の光がこの空間の静の存在であった。彼女はその混合する空間の一部に過ぎないと、ここで自覚した。
そのとき、悠希の頭のなかに清洌な感覚が現れた。
その感覚は確固たる印象を刻み残して、瞬間的な速さで彼女の中を走り抜けた。
鮮やかな純白の感覚は脳の頂きから端を発し、刹那的な擦過を経てその余韻を徐々に下へ下へと降ってゆく。清洌な白は脳から額、額から瞳の映像へと降ってゆき、首から下の肉体にも広がってゆくように思われた。
『今夜、あの雲は、この付近のどこかで局地的に雨を降らせるだろう』
もし自分が塾の時間帯を間違えていなかったら、もし自分が異世界の使者に会うことなくそのまま家に帰っていたならば、徐々に勢いを増すこの雨と出くわすことはなかったであろう。
「悠希の偶然の連続的な体験」と「雨雲の偶然の連続的な道程」とが、いま偶然にも闇が囲む灯りの空間で、光り輝く雨粒を見るきっかけが生まれたのだ。
『複数の連続的な偶然の交錯が人間の瞳に現実を生み出す』
「……なんてね」
悠希は苦笑しながら駅構内の中に入った。
*
あの鉄塔に登っていたならば、彼女の人生はどうなっていたのだろうか?
この疑問も、自分があの町で生まれたから抱いた疑問だろう。
そして、あのときの自分の年齢、あのときの多感な感性、あの鉄塔の監視たちの怠惰などが重なって、目の前の鉄の事物を、不思議な色に装飾したのかもしれない。それが進藤悠希にシュルレアリスムを感じるきっかけを、悩ましい青春の装飾を与えたのかもしれない。
もし、あのとき、本当にあの鉄塔に登っていたならば?
進藤悠希がどの時間軸でも同じ人間的性質を有しているならば、同じ悩ましさを抱くことになっていたかもしれない。
鉄塔から見下ろす装飾された映像と、主観と客観の入り混じる感覚と、そして、動と静の同時平行の映像に「この感覚は何なのだろう?」と。
2012年9月19日
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