第六章 ラストワルツ

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 頭が、硬いもので殴られたようでした。  雷が落ちたような音で、曲が展開されていきました。何が起こったのか分からず、わたしはただ呆然とその音に耳を傾けます。はじめ優しく弾かれていたのが、どんどん乱雑な曲へと変貌していきました。  かつてわたしと月読が過ごした、音無の家。そこに呼び出したのは、あの人のはずでした。この場所を知っているのは、わたしと、義父と、母と、月読だけ。このピアノを弾いていたのも、彼だけでした。  ここにいるのは、月読であるべきなのです。  それなのに、目の前にいるのは月読ではなく、聞こえてくるものは月読の指先が生み出すぽったりとした甘い音ではありません。雑で、未熟で、それでも一瞬だけ鮮烈な光を持つ。  そんな不安定な音でした。  こんな激しい音、わたしは知りません。  こんなに未熟な音を、わたしは知らないのです。  心の底から楽しい、という顔であの人は弾きません。あの人はけもののような瞳で、弾いたりなんかしないのです。  やめて、と叫びたくなりました。このピアノで、そんな音を出さないで。だんだんと気が遠くなり……だけど一瞬訪れる優しい音に、意識を引き戻されるのです。  目の前にいる人は誰?  この人が、わたしが追い求めていた夜の神ではないの?  この人は、一体誰?  鍵盤から最後の音が生み出されて、彼は指を離しました。  全てが終わった彼は、肩で息をしていました。わたしが知る夜の神は、弾き終わった後も静かな余韻を持っていて、無様に汗をたらしたりはしません。瞳は充足を物語っていました。  わたしは呆然と、目の前の人をじっと見つめました。  金いろの瞳ではなく、真っ黒の瞳。清潔そうに揃えられた黒髪。あの方ほどではなくとも、涼しげに整った顔立ち。細身の体。……ずっと隣にいた旅の仲間。 「……ひどい」  あの人は、仲間の姿を借りていたのではなかったのです。 「音は嘘をつかない。それは君が言ったことだ。これが俺の音。どうしようもなく未熟だろ?」  荒い呼吸を宥めながら放たれた言葉は、冷たくわたしに響いてきました。こんな残酷なことがあるでしょうか。この音は月読のものではない。  この人は月読ではない。  なら…… 「ならわたしのあの人はどこにいるの?」 「亡くなっているよ」  その一言に。  わたしは息を止められた心地になりました。 「亡くなってるよ。夜の神、正しくは雨宮の兄さんは。2年前に。君はそれを、ずっと認められなかったんだろう」  旅の仲間……遠野くんは、あくまで淡々と、わたしに告げてきました。
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