琴、薩摩おごじょ

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**  見ちょった者がおって、だいたいは分かっちょっ。  兄は言った。    同じ郷中の少年が、様子を見かけていたと言う。  (そんなら助けてくれたら良かったのに)  内心憤慨したが、誰もが兄のような振る舞いはできないのだと思えば納得できた。  「俺のことを思ってやったことだ。どうして叱ることができる」  と、小吉は言った。もう泣くな、と、琴の涙を太い指で拭った。  「兄い、琴は悔しい」  琴は訴えた。  抱いてくれる太い腕。この温かな強い右腕は、もう真っすぐには伸びない。傷跡は一生消えない。    「悔しいなら、郷中でいっばんのおごじょになれ」  小吉は言う。    悔しさで自分を磨く術は、小吉が既に体得している。  今は、どうにもならない辛さ、哀しさ、悔しさに溢れている。人に手を上げても悔しさは変わらないものだ、と、小吉は言う。  「明日、兄いと一緒に、相手の家に謝りに行くか」  小吉は言った。  琴が黙っていると「行くか」と、ちょっと怒った声になった。  「あい」  琴が頷くと、小吉はやっと笑顔になった。 **  兄の笑顔が大好きだと、琴は思う。    家族の誇りの兄は、長男なので、貧しい御前であってもおかずが他より一品多い。  だけど兄は、自分にあてがわれたものを、吉次郎の皿に放り込み、琴を呼び寄せて、口の中に入れてくれる。  小吉の食べる分がなくなってしまいますよ、と、母が言う。    桃の節句でも、ひな飾りなどない。  だけど、壁にはいつも、兄が描いたひな人形が貼り付けられていた。  どうじゃ、うちもひな祭りができたぞ、と、兄は言う。  (兄いが、そう言うなら、いくらでも頭を下げる。兄いが、そう言うなら、一番の薩摩おごじょになる)  「謝りに行くのは怖いか」  小吉がからかうように言うので、琴は「いいえ」と答えたのだった。
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