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――逃げてしまった。
怖かったのだ。あの転校生――日野君に話しかけられた時、私は心の中の何かが崩れそうになるのを感じた。特に、私に向けられた屈託のない笑顔。それが、何かを開いてしまいそうで怖かった。あんな笑顔を誰かに向けられたのは、いつぶりだろう。もう思い出せない。
私は、屋上へと続く階段の踊り場で縮こまった。ここは、私の唯一の居場所だ。屋上は生徒だけで立ち入ることが出来ないから、滅多に人が来ない。一人になれる場所は、私にとって大切だ。感情を抑え込める空間がないと、皆に迷惑をかけてしまう。
小さい頃は、私は普通の子供だった。だけど、小学校に入った頃から、私は突然“雨女”になってしまった。雨女といっても、一般的な意味での雨女とは違う。私の感情が昂ると、それと連動するように、雨が降ってきてしまうのだ。影響が出るのは、私を中心に半径三キロ程。私のせいで、多くの人に迷惑がかかってしまう。
だから、決して感情を昂らせてはならないのだ。楽しむのも、悲しむのも、怒るのもいけない。人と関わると感情が動きやすくなってしまうから、私は出来るだけ人との接触を避けている。いや、避けられていると言った方が正しいかもしれない。私が避けるまでもなく、周りも私を避けている。それはそうだろう。私みたいな人間は、扱いづらい。私はずっと独りで、心を静かに保って生きていくしかない。最近は、割とそれを上手くやれているように思う。だから、今回もきっと大丈夫だ。彼は私のことを知らない。だからこそ、あんな風に笑ってくれたのだろう。でも、それももう終わりだ。きっと今頃、クラスメートから私について色々教えられているだろう。私のことを知ってしまったら、彼も皆と同じになる。それで良い。私は何も感じてはいけないのだから。
それなのに。
どうして、心がざわつく感じがするのだろう。
早く落ち着けないとまずい。雨が降り出してしまう。私は深呼吸をすると、胸に抱えていた本を開いた。私は、この本の作者の「虹橋明日架」という作家が好きだ。この人が書く物語は優しい雰囲気で、いつも読み終わると心が温かくなる。落ち込んだ時に、この人の本を読むと、気持ちが落ち着いて良い。私はあっという間に物語の世界に没頭した。
そしてそのまま、予鈴が鳴るまで物語の世界に浸り続けていた。
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