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 墨を溶かし込んだような空からフロントグラスに降る雪を、ワイパーが規則正しく掃き続けている。病院からの帰り、父はずっと無口だった。父の心の痛みは漠然としか想像できない。無感動な自分が人でなしのように思えてくる。 「ぜんぜんちがうな」  ぼそりと父が言った。カーラジオから流れる天気予報のことだ。 「……降水確率は20パーセント、予想最高気温は+2℃、最低気温は-8℃です。帯広釧路地方の天気は晴れ……」  雨氷への注意などどこに対しても出されていない。 「母さんは何日の天気って言ってたかな」 「おぼえてないよ」 「また、未来予知をしてたのかもしれないな」  どうでもいいよ。  そう思っているが口には出さない。  沙流川の手前で左折、日高国道を北上する。古平の町が近づくにつれ、耳の奥で蝿が飛んでいるような、奇妙な耳鳴りに悩まされる。遠くから帰ってきたときはいつもそうだ。車は山間部を進み、やがて三風谷が近づいてくる。「ひかりの環」の病院と神殿、そして用途不明の白い塔が視界にせりあがってくる。耳鳴りの原因はあの塔だと、冬悟は理由もなく思っている。 過疎の町古平に、「信者の人たち」が移住し始めたのは、十年まえのことだ。奈良に本拠を置いていた宗教団体「ひかりの環」が、何故本来の地盤を捨てて北海道にまるごと引っ越してきたのか、昔の話すぎて、冬悟にはわからない。三年をかけて百人あまりが、それ以後も新たな「修行者」「出家者」が流入を続け、町はかつてないほどに賑わうようになった。「ひかりの環」が所有する総合病院も奈良から移設され、これは古平町にとどまらず、沙流郡全体の福祉に役立っている。  しかし、習慣や価値観を異とする宗教団体に不気味さを感じる人も決して少なくはなく、移住者が増えるにつれ、町をのっとられるのではないかという不安を訴える声もささやかれはじめた。特に三風谷を先祖伝来の聖地とみなしていたアイヌ系住民は最初からはっきりと「ひかりの環」受け入れ反対を表明していた。彼らを侵略者とみなし対立の姿勢を隠そうともしなかった。  子供たちの間でも、地元の子供と信者の子との間には深い溝が生じていた。金づくの妥協がないだけ、大人たちの間のよりもその対立は尖鋭だったかもしれない。
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