1

6/6
前へ
/10ページ
次へ
 翌日もほろ香は登校しなかった。家にも帰ってっていないらしい。「ひかりの環」の施設のどこかにいる、それ以上のことは何もわからず、それさえも結局のところ憶測でしかなかった。  翌々日には小さな変化があった。登校してみると、ほろ香の机に花瓶が置かれ、仏花が活けられていた。頭に血が上った。ほろ香の机から乱暴に花瓶を払い落とすと、陶器の割れる音が響いて教室じゅうが静まり返った。  誰の仕業かはわかった。何故分かるのか自分でも不思議に思うよりも早く、その生徒に向かって足を踏み出していた。 「おい……」  教室の隅で固まり、こちらを見て凍り付いている女子生徒の群れ、そこにつっこんでいこうとする冬悟の腕を、文月が背後からつかんだ。  くっきりした眉の下の、黒目がちな大きな瞳。それを見つめ返すうちに、いくらか冷静さをとりもどした。  証拠は何もないのだ。知らないと言われればそれきりになってしまう。  わかった、と目でうなずいた。文月が腕を放した。その瞬間だった。首筋を刃物がすべるようにしてイメージが落ちてきた。  ほろ香の机を振り返る。頭骨がきしむような頭痛の中で、冬悟は見た。  制服を着て黒髪を長く伸ばした女の人影を。火のついたフィルムが溶けるように、そのイメージはゆがんで消えていった。顔はもやに包まれたようにかすんでいた。青白いシルエットだけが残像の様に残っていたが、それもしばらくすると消えた。  よろよろと席についた。文月はちらりと冬悟を見たが、何も言わなかった。文月はただ静かに、ほろ香の席を見つめていた。  放課後。掃除の終った教室。  冬悟は一人、ほろ香の机を前に立っていた。今は何も見えない。ただ、まだそこに何かいることがわかるだけだ。亡霊なのか、生霊なのかの区別もつかない。母ならそれが誰だかわかっただろう。何を伝えようとして自分に姿を見せたのかも。  母のような霊能が欲しいと思った。多分生まれて初めて、切実にそう願った。  彼女の机に手をつき、跪き、祈るような姿勢をとった。心の中で、ほろ香に呼びかけた。  今どこにいるのか、どうしているのか教えて欲しいと、生きているならせめてその証を見せて欲しいと。  どれくらいの間そうしていただろう。  ドアの開く音に顔を上げた。汐見文月だった。 「声が、聞こえたから」  文月は言った。 「俺の声が?」 「耳では聞こえない声」  文月にもある種の霊感がある。尋ねるまでもないことだった。はかない希望をこめて尋ねた。 「ほろ香の声か?」  文月は首を横にふった。 「知らない人の声。気をつけてって」 「気をつけて、か」  安心すればいいのか落胆すればいいのかわからなかった。例えばほろ香の声が「助けて」と呼んでいたなら、少しはマシだったろうか。  なんとしてもほろ香の安否を確かめなければ。  そう思った。  たとえ、どんな強引なやり方をしてもだ。 「私も、手伝うから」  ぽつりと文月が言った。 「だから、無茶なことはしないで」  曖昧にうなづき、コートを羽織り、マフラーを身につけた。 「心が読めるんだな」  今更、聞くまでもないことに思えた。 「聞こえるの」と文月は答え、そしてポケットからケータイを取り出した。バイブしている。少し目を細めて液晶を見つめていた。SMSのようだ。つかのま眉を顰めた。人形のような無表情になって、冬悟に画面を見せた。  タケルのとりまきの女子の一人からだった。今、タケルたちとカラオケ屋にいるから、一緒に遊ばないかという誘いだった。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加