4人が本棚に入れています
本棚に追加
翌日もほろ香は登校しなかった。家にも帰ってっていないらしい。「ひかりの環」の施設のどこかにいる、それ以上のことは何もわからず、それさえも結局のところ憶測でしかなかった。
翌々日には小さな変化があった。登校してみると、ほろ香の机に花瓶が置かれ、仏花が活けられていた。頭に血が上った。ほろ香の机から乱暴に花瓶を払い落とすと、陶器の割れる音が響いて教室じゅうが静まり返った。
誰の仕業かはわかった。何故分かるのか自分でも不思議に思うよりも早く、その生徒に向かって足を踏み出していた。
「おい……」
教室の隅で固まり、こちらを見て凍り付いている女子生徒の群れ、そこにつっこんでいこうとする冬悟の腕を、文月が背後からつかんだ。
くっきりした眉の下の、黒目がちな大きな瞳。それを見つめ返すうちに、いくらか冷静さをとりもどした。
証拠は何もないのだ。知らないと言われればそれきりになってしまう。
わかった、と目でうなずいた。文月が腕を放した。その瞬間だった。首筋を刃物がすべるようにしてイメージが落ちてきた。
ほろ香の机を振り返る。頭骨がきしむような頭痛の中で、冬悟は見た。
制服を着て黒髪を長く伸ばした女の人影を。火のついたフィルムが溶けるように、そのイメージはゆがんで消えていった。顔はもやに包まれたようにかすんでいた。青白いシルエットだけが残像の様に残っていたが、それもしばらくすると消えた。
よろよろと席についた。文月はちらりと冬悟を見たが、何も言わなかった。文月はただ静かに、ほろ香の席を見つめていた。
放課後。掃除の終った教室。
冬悟は一人、ほろ香の机を前に立っていた。今は何も見えない。ただ、まだそこに何かいることがわかるだけだ。亡霊なのか、生霊なのかの区別もつかない。母ならそれが誰だかわかっただろう。何を伝えようとして自分に姿を見せたのかも。
母のような霊能が欲しいと思った。多分生まれて初めて、切実にそう願った。
彼女の机に手をつき、跪き、祈るような姿勢をとった。心の中で、ほろ香に呼びかけた。
今どこにいるのか、どうしているのか教えて欲しいと、生きているならせめてその証を見せて欲しいと。
どれくらいの間そうしていただろう。
ドアの開く音に顔を上げた。汐見文月だった。
「声が、聞こえたから」
文月は言った。
「俺の声が?」
「耳では聞こえない声」
文月にもある種の霊感がある。尋ねるまでもないことだった。はかない希望をこめて尋ねた。
「ほろ香の声か?」
文月は首を横にふった。
「知らない人の声。気をつけてって」
「気をつけて、か」
安心すればいいのか落胆すればいいのかわからなかった。例えばほろ香の声が「助けて」と呼んでいたなら、少しはマシだったろうか。
なんとしてもほろ香の安否を確かめなければ。
そう思った。
たとえ、どんな強引なやり方をしてもだ。
「私も、手伝うから」
ぽつりと文月が言った。
「だから、無茶なことはしないで」
曖昧にうなづき、コートを羽織り、マフラーを身につけた。
「心が読めるんだな」
今更、聞くまでもないことに思えた。
「聞こえるの」と文月は答え、そしてポケットからケータイを取り出した。バイブしている。少し目を細めて液晶を見つめていた。SMSのようだ。つかのま眉を顰めた。人形のような無表情になって、冬悟に画面を見せた。
タケルのとりまきの女子の一人からだった。今、タケルたちとカラオケ屋にいるから、一緒に遊ばないかという誘いだった。
最初のコメントを投稿しよう!