30.心配しなくていいと伝えたいだけなのに

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『うん、大丈夫だよ。――久しぶりだね』 「はい、えっと……お久しぶりです。その、ご無沙汰しております」  数年前までは父と二人で実家住まいだった杏子(あんず)だけれど、二十五を過ぎたあたりから段々、父親からの〝見合い圧〟に耐えられなくなってきて、逃げるように会社近くの一〇階建て女性向けアパートに一室を借りた。近くにコンビニや神社があって、これと言った住民トラブルなどもなく、割と気に入っている。  実家にいる時は、土井恵介とも月に一度くらいの頻度で顔を見かけては挨拶することがあったのだけれど、アパートへ移り住んでからはもう何年も見かけていない。 『ホント久しぶりだね。元気にしてるかい?』  杏子は当たり障りのない社交辞令に「はい、元気にしています」と答えながら、次に続く言葉はきっと長いこと待たせたことへのお詫びと、お見合いの日取りについての連絡に違いないと思っていた。  それのなのに――。 『お父様から釣書を預かったままずっと連絡できていなくてごめんね。たいちゃ――、ああ、えっと……僕の(おい)っ子の屋久蓑(やくみの)大葉(たいよう)とのお見合いのことなんだけど』 「はい!」  ――私はいつでも大丈夫です! と勢い込んで告げようとした杏子の耳に、『……ごめんね、大葉(たいよう)がどうしても受けられないって言うんだ』などという信じられない言葉が飛び込んできた。 「えっ? あのっ、……それって……」 『お見合いのセッティングは無理になっちゃったんだよ、アンちゃん。長いこと待たせたのに本当申し訳ない。僕もアンちゃんなら知らない仲じゃないし、何よりだと思って、だったんだけど』  そのあと散々土井恵介から謝られた杏子だったけれど、ほとんど頭に入ってこなかった。
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