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結局、杏子の心を慰めるきっかけが掴めないまま、仕事のことを中心に何ということのない、取り止めのない話をしてしまったのだけれど。
そうする中で、杏子が事務用品を扱う会社の経理課に所属していることが分かっていつの間にか、「わー、僕も経理課を取りまとめる財務経理課長なんだ。なんか縁があるねー」と大いに盛り上がってしまった。
業種は違っても、経理というのは大抵やることが同じというのも良かったんだろう。
もし一緒に行っていたのがアルコールありきの店だったなら、酒の力でもっと別の話に展開していけたのかもしれないが、ソフトドリンクばかりが並ぶファミレスのドリンクバーではそこまではのぞめなかった。
だが食事に行く前は、アパート前まで送るのが関の山だと思っていた杏子が、「すっかり遅くなっちゃたし、部屋へ入るところまで見届けさせて?」という岳斗の願いを聞き届けてくれただけでも上々だろう。
(わー、これは結構ニアミス)
彼女を部屋前まで送り届けてみて分かったのだけれど、杏子は荒木羽理の部屋の、ちょうど真下の部屋に住んでいた。
隣室とかでなかっただけマシなのかも知れないけれど、恋人の部屋へ屋久蓑大葉が結構頻繁に出入りしていることを思うと、心がざわついてしまった岳斗である。
(先手を打っといたほうがいいかな)
生来の腹黒さ発動で、そんなことを思ってしまった。
***
――もしよろしければ、お茶でも飲んで行かれませんか?
今現在フリーの異性を部屋まで送ったのだ。
結構打ち解けることが出来たと思うし、岳斗だって男だ。そんな誘いを期待していなかったわけじゃない。けれど、杏子はそこまで身持ちの緩い女性ではなかった。
「あの、岳斗さん。……本当におごって頂いてよかったんでしょうか?」
自宅ドアをほんの少し開けた状態で戸惑ったようにノブを手にしたまま岳斗の方を振り返った杏子が口走ったのは、岳斗が期待したような〝お誘い〟ではなかった。
だけどそこがまた杏子らしくていいな? と思ってしまった岳斗だ。
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