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重なる違和感
彼女は紅茶を、凛はホットコーヒーを頼んで向かいあった。
「ここは、ちょっと不便やねぇ」
注文を取り終えたウェイトレスが奥に下がっていくと、ゆったりとした口調で母親は口を開いた。
「そうですね、主要の駅より少し外れていますから…関西の交通の便に比べたら、そうかもしれません」
「…慣れてない土地やし…もっとわかりやすい所に住んでくれたら楽やったんやけどねぇ」
多田の母親だから、彼の住む場所に利便性を求めても当然だという余裕で凛を牽制しているのか。
「…それで、匡平には話しできたん?」
母親の穏やかな目は決して笑っていないように見えた。
「…匡平さんと、別れる意思はありません…それをお伝えしたくて参りました」
喉から胃が出てきそうだったけれど。
凛はその目から視線をそらさずに言い切った。
ふ、と多田とよく似た笑い方だたった。
でも違うのは、その目に優しさが無いこと。
「…アナタは、それでええん?」
けれど、声はやけに優しく囁くのだ。
多田の母親に対してこんな気持ちを抱くのは申し訳ないのだけれど。
正直、背中を何かが通るような、薄ら寒いものを感じた。
「と、言いますと?」
「あの子に、心底愛されんで、幸せなん?」
どうしてなのだろう。
多田と長く会わずに、さらに多田と凛とを合わせて見たことも無いのに。
どうして多田が凛を愛さないと言えるのか。
「…どうしてですか?」
「え?」
「お母様は、どうして匡平さんが私を愛さないと、仰るんでしょうか?」
人と接する事も、その相手と打ち解ける事も不得意では無い凛の、真っ直ぐな視線。
その視線に、嫌悪も怒りもない事に母親は少し驚いた様だった。
「…あの子、私の事なんて呼ぶか、知ってる?」
「…?いえ」
そもそも、多田から母親の話しを聞いた事はない。
呼び方など、知りようもなかった。
「貴美子さんって、呼ぶのよ?」
何故呼び名の話しを?と貴美子を見ていた凛の背中を、ぞぞぞっと今度は確かな悪寒が走った。
異様だった。
その緩んだ目元も、まるで女友達に恋人との事を惚気ける時のような、弾んだ声も。
かち、かち、かち、と音がして、頭の中に最悪の答えがパズルのように浮かび上がった。
…彼女の、貴美子の中で…多田は息子では無いのではないか。
「…」
「あの子ホンマにまだ若いし、ヤンチャやから…多分、遊び足りひんのやわ」
喉がからからだった。
ちょうど運ばれてきたコーヒー。
アイスにすれば良かった。
「…遊び、ですか」
「うん、まぁ…貴女には可哀想やけど…あの子には、私が居てるから」
それは母親としてなのか、彼女の中ではそうでは無いと言う確信に満ちた笑顔。
頭の中に多田の言葉が響いた。
『俺は、あれによく似た目をした人間を知ってる』
島崎の目が、今目の前にいる貴美子と同じかどうかは正直分からなかった。
けれど彼女の目が、ごく一般的な『母親』のそれでは無いことだけは、間違い無かった。
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