朝チュンもどき

4/4
前へ
/99ページ
次へ
するりと多田の手が凛の腕を滑り、そのまま手を取って歩き出す。 ほんの数秒壁際に寄っただけ。 誰にも目撃されずに遂行されたキス。 今度は凛が多田の背中を見ながら黙々と歩いた。 触れた唇と、一瞬間近で見た焦げ茶色の優しい瞳。 …うどんなんか食べられる気がしない。 心臓が破裂しそうだ。 「……朝、凛さん言うたでしょ、出来心…」 多田の唇に触れた凛の言い訳。 多田はそう言うと、 「…あんまり…可愛いと…こうなる…気ぃつけて下さい」 うどんの好みの話しをしてただけですけど…。 イカ天と昆布のどこが多田を刺激したのと凛は赤い顔で俯いて歩いた。 デートとは、楽しくてドキドキして。 離れがたくなるものなのだと、凛は助手席で噛み締めていた。 うどんと蕎麦で昼食を済ませ、しばらく店をぶらぶら歩いた二人は、夕方になって帰路に着いた。 「…後は…寝袋やけど…それはネットで見ときます」 「はい、お願いします」 明日からまた仕事。 日に一度は顔を見られると言えど、仕事中だ。 特別な会話が出来る訳では無い。 寂しいな。 「…疲れましたか?」 隙あらば話そうとする凛が静かになった事で、しばらく走った多田は問いかけた。 「…いえ…楽しかったなって」 にへ、と笑う凛。 多田はハンドルを握っていない方の手を伸ばし、凛の手を取った。 「次の、土曜日…飯…」 「行きますっ!」 「…」 きゅっと凛の手に力が入り、多田の指を握りしめた。 寂しい、が熱になって多田に伝わっただろうか。 「…」 「…」 この週末で急激に近くなった距離。 まだ慣れないその感覚なのに、心は柔軟に多田を好きだと理解している。 多田はコインパーキングに車を入れず、マンションの前に車をつけた。 今日はこれでサヨナラだ。 「ありがとうございました…買い物楽しかったです…あと、ドライブも…」 それじゃあまたと、すぐに車をおりるのが嫌で凛は言葉を探していた。 あと…と多田を見つめた。 多田は凛の言葉を待ってその目を見つめていた。 「あと…えっと…」 多田がゆっくり瞬きをした。 大きな手がするりと解けて離れていく。 (…おりなくちゃ) 凛が諦めて少し微笑んだ。 離れた多田の手が頬に触れる。 シートを軋ませるデニムの生地の音がした。 凛の白い頬に影が落ちて唇が触れ合う。 ちゅ、と短いキスをして多田が離れる。 まだ覗き込む距離で、その目が綻んだ。 「…さっき、気ぃつけてって、言うたでしょう…」 表情とは少し温度の違う声。 「ゆっくりして…また…凛さん」 コクコク頷いて凛がギクシャクと車をおりる。 いつかと同じに軽く手をあげた多田が車を出して見えなくなった。 無口で、優しい熊さんの生態。 『キスの合意はとらずに…不意打ちを好む』である。
/99ページ

最初のコメントを投稿しよう!

951人が本棚に入れています
本棚に追加