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から回る眼鏡店員と動じない熊さん
「はぁ…はぁぁ…」
身体の中の幸せを全部放出しきるため息を朝からずっと繰り返していた。
昨日家に帰ってからもあの失態を思い出して悶え倒した凛は、もう寝てしまおうと早くベットに入ったけれど。
結局ベットの中でも思い出して眠れなかった。
黒縁眼鏡の奥のクマの出来た目元はファンデーションで隠せているか…微妙なところだ。
「凛さん、俺検品変わりませんよー」
最近は二人とも出勤していれば中野とペアで配置されている。
加工で手を取られる店長は、上の階に地下の分の一人も上がらせているのだ。
中野が他の新人より要領良く動くせいである。
「…別に、変わってとは、言わないもん」
「あら、可愛い♡」
完全に面白がっている中野を横目で睨んだ所で、視界の端に多田が現れた。
(…来たぁ…)
ビシっとマスクをしてカウンターから出た。
顔の赤みを隠す苦肉の策と、昨日のあれは、風邪の前触れでしたよーのムリからのアピールだ。
「おはようございます」
いつもより低めに小さく挨拶してみる。
「…おはようございます」
受け取った伝票。
しかし、その先を多田が離さない。
「??」
「…今日は、俺が品番と数を…」
風邪を気遣ってくれてるーっ!
優しい、そしてごめんなさい。
めちゃめちゃ健康体です…。
「ありがとうございます」
決して声を張ってはいないのに、多田の声はよく届いた。
いつも数だけ返されていたけれど、品名と数を先に添えてくれる声。
ロボットの抑揚だが、ちょっと得した気分だった。
「ありがとうございました、助かりました」
多田は、小さく頭を下げた。
今日はポケットに手を入れない。
(…ああ、やっぱり熊さん迷惑だって勘違い…)
心の中でしょぼんとした凛だったが、多田はズボンの後ろポケットに手を入れた。
ピランと差し出されたのは、貼るカイロ。
「…今日はこっち、で」
「…ありがとう、ございますぅ」
嬉しい、申し訳ない…優しいっ!
忙しない心を抱えて顔を上げた。
無意識に多田の胸ポケットを見つめてしまう。
元々今日は、凛に手渡す気があったのかどうかが気になったのだ。
「…」
「ふ…」
微かに聞こえた、熊さんの吐息。
はっと顔をあげたら、熊さんが能面じゃなかった。
目元が優しく細まっていたのだ。
「…あります」
いつもと同じ動作で、胸ポケットに指を入れると中からマシュマロが出てきた。
(食い意地がはってると思われたっ、けどっ)
熊さんが笑ったーー!
「やったぁ!」
はしっとマシュマロを受け止めた凛は、マスクの下で満面の笑顔。
すっと表情を消して小さく会釈した多田が帰っていく。
多田を見送る凛の背中を見ていた中野は思った。
あの喜びの雄叫び、風邪じゃないってバレたんじゃね?と。
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