熊さんのプライベート

1/4
前へ
/99ページ
次へ

熊さんのプライベート

多田さんお付き合いされてる方いらっしゃいますか? 多田さんご結婚は? 多田さんクリスマスのご予定はー? 無理、無理無理、絶対聞けない。 あの無表情で「は?」なんて言われたら立ち直れない。 もうすぐ師走だ。 もしかしたら、年末いっぱいで配送さんが変わったりするかもしれない。 季節の変わり目に人が変わる事は時々あるのだ。 そしたらきっと、聞かなかった事を後悔するだろう。 「もしかしたら」が少しでもあるのなら聞いておけば良かったと、きっといつまでも後悔する。 それがわかっていながら、凛には訊ねる勇気が無かった。 知りたい気持ちと、誰かのものだった時のショックをやり過ごす自信を並べれば、答えは明白で。 出来れば少しでも長く、熊さんと関わっていたいのだ。 特別な関係じゃなくても、関わっていたい。 「…」 「…」 「…どうか、しましたか?」 え? はっと顔を上げると、真顔の熊さん。 しまった、検品中だ。 「ご、ごめんなさい、えっと」 仕事中にぼんやりするなんて、駄目すぎる。 けれど、慌てて伝票に目を向けるけれど…どこまでやったか全然検討もつかない。 どれだけぼんやりして、熊さんを待たせていたのだ。泣きそうだ。 「本当に…ごめんなさいっ」 「…構いません、セロテープの…12ミリまで終わりました」 「はい、すみません」 「…」 後は必死に目で文字を追い、検品を終わらせる事だけを考えた。 検品を終えると多田はゆっくりオリコンの隙間から立ち上がり、ポケットに指を入れた。 しかし、少し考える間を開けて指を抜いた。 そして、作業着のファスナーを開けて内ポケットに手を入れる。 「…良かったら、どうぞ」 そう言って、多田が差し出したのは細い封筒だった。 洋型の封筒を受け取り、中を見る。 プラネタリウムのチケットだった。 「…え、いいんですか?」 「ええ、俺は行く相手もいませんので」 ペアチケットだ。 行く相手もいない。 何故だか指先が熱くなって痺れた気がした。 デートに誘った事も、もちろん誘われた事もない。 けれど、これがチャンスで…もう来ないであろう唯一だと瞬時に理解出来た。 「わ、私もっ、一緒に行ってくれる人が、居ないですっ」 多田が、凛には相手がいるだろうと渡してくれたのだろう。 彼氏じゃなくても、女性の友達とでも構わないのだから。 あまり、男同士で行く所では無いと多田は凛にくれた。 それでも、それは凛にとっての精一杯だった。 一緒にいきませんかと言える勇気は無かったから。 多田は、凛を見下ろしていた視線を少しだけ背後に流した。 ドキンドキンと胸が鳴る。 「…あー…もし、あれなら…」 大きい手が彼の顎を撫ぜた。 「…行きますか?…一緒に…」 「っ、はいっ!ぜひっ」 彼の答えを待つ間、緊張で潤んだ瞳が見開かれ嬉しそうに微笑みに緩むのを多田が目で追って。 「…じゃあ…」 多田が、胸ポケットのボールペンを抜きとって差し出した。 受け取った凛の前に大きな手の平を差し出した。 「連絡先を…ここに」 凛のエプロンのポケットにはメモ帳が入っている。 でもそれを出す事はしなかった。 多田のゴツイ右手の親指をキュッと握って支えながら、広い手の平に丸い数字の羅列を丁寧に書き込んだ。 …顔が熱くて、燃えているんじゃないかと思った。
/99ページ

最初のコメントを投稿しよう!

941人が本棚に入れています
本棚に追加