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凛はその性格も相まって、人から攻撃される事は少なかった。
ましてや、理不尽に怒鳴られる事など経験した事がなかったのだ。
怖いと言うよりも、ただショックだった。
多田がオリコンの隙間に屈んで待っている。
検品を終わらせなくては。
何ともない顔をしていなくては、心配させてしまう。
そして、仕事中に怒鳴られるなんて事、知られたら恥ずかしい。
「お待たせしましたっ」
上手く笑えたつもりだった。
オリコンを一つ挟んで腰を下ろして、チェックを入れた次の文字を目で追って…。
その伝票が細かく震えた。
動揺が指先で燻って止まらない。
「…」
「えー、っと…ごめんなさい、次は…」
じわり、涙が滲んで唇を噛み締めた。
「凛さん、俺変わります、一人下に降りてもらいますから…とりあえず休憩してきて下さい」
後ろに中野が立って、凛の手から伝票を引き抜いた。
「え、大丈夫…」
「じゃないです、顔…真っ白…行って下さい」
多田の顔を見れずに立ち上がる。
情けないやら、悔しいやら。
凛は早足に休憩室に逃げ込んだ。
どうして。
休憩室のメモパッドには、確かに10枚入と書いてある。
ちゃんとFAXで移動報告を送らなかった事が悔やまれた。
そうしていれば、もし万が一聞き間違えだったとしてもこんな事にはならなかったのに。
あんなに、冷たい声を向けられた事がなかったから。
耳の中で何度も再生されてしまう。
攻撃的な声色だった。
どうして?
…浮かれて、気が抜けてる…って何の事?
元々、移動を頼んだのは向こうだ。
品薄になる商品でもない。
向こうの店舗に在庫を持っていない事がそもそも…。
急ぎだったのだろうけれど、あんなに怒鳴る必要があるのだろうか。
泣かないと必死で唇を噛んだ。
理不尽な事で涙を流したら負けだ。
数回深く深呼吸をして、凛は売り場に戻った。
レジに入ってくれていた新人に礼を言い、そのままレジに入る。
中野はまだ検品中だ。
途中で割って入る必要は無いし、多田に心配をかけるのも違う。
明るく声を張りながら接客をこなした。
中野や、多田から見れば空元気かもしれないけれど。
泣いて凹みそうになっている自分が嫌だったから。
検品を終えた中野がレジに入ってきた。
「大丈夫ですか?…なんすかあれ、ここまで声漏れる程怒鳴るって普通じゃないですよ」
「うん、ごめん…ありがと」
多田が台車を押して前を通り過ぎていく。
「ありがとうございました」
凛の声に顔を向け、いつもの顔で会釈して自動ドアを潜って行った。
「あとで、連絡した方がいいですよ、多分めっちゃ心配してますよあの人」
「え?」
「島崎って、〇〇店の?って一瞬あの人眼光鋭くなりましたもん」
そうか、多田はこの一帯の各店舗に荷物をおろす。
島崎の事を知っているのだ。
昼休憩、凛は多田にメッセージを打った。
「変な所見せちゃってごめんなさい、大丈夫です」
既読はすぐについた。
「夜、顔だけ見に行きます」
平日は時間が合わないし、多田の朝は早い。
お互いそれがわかっているから、あの日から今日まで、交わしても短いメッセージだけだった。
心配させてしまった。
申し訳なさと会える嬉しさで、凛は複雑な気持ちで仕事を終えた。
ただ、その間もずっと…人懐っこく可愛い後輩だった島崎の声と顔が頭から離れなかった。
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