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そして数分、多田の気配はドアの前から動かない。
凛はそっと詰め物を取って確認してみる。
(あ、大丈夫そうだ)
ほっとして流して証拠隠滅。
鼻のまわりに血はついていないだろうか。
鏡が無いからわからない。
でも、血が止まれば次は多田だ。
そっとドアを開けて顔を出した。
多田は案の定ドアのすぐ前に居た。
「匡平さん、お待たせしました」
「…」
まだ痛む鼻を手で押さえて身体を出すと、多田に即座に抱き上げられた。
「…ごめん」
きゅうっと多田の腕に力が入る。
「あの、匡平さん」
「うん?」
「…保冷剤、ありますか?」
冷凍庫から、大きめの保冷剤が出てきた。
クッションに座らされタオルと一緒に手渡される。
大き過ぎてちょっと使いにくいけれど、万が一鼻が腫れたら明日の仕事がやりにくい。
凛はそーっと鼻に当てた。
そこでやっと、多田が少し首を傾げた。
そりゃそうだ。
ここは普通、当てるのは目。
「…」
「匡平さんの、胸に負けました」
「……………え」
目を見開いた熊さん、貴重な表情だ。
多田に腕を取られ、保冷剤が外された。
ずいっと顔が近づいて、じっと鼻を見られる。
「腫れてます?」
「いや…少し赤い……ごめん」
「匡平さんは悪くないですよ、私の踏ん張りがきかなくて…えへ」
ふーっと多田がため息をついて、胡座の臍を覗き込む勢いで俯いた。
ガシガシと大きな手が後ろ頭を搔いた。
「…匡平さん?大丈夫ですよ?」
凛が手を伸ばして多田の膝小僧に触れる。
多田が俯いたまま、その手を包んで。
小さく頷いた後、ゆっくり数回呼吸を繰り返した。
顔を上げまたじっと凛の鼻を見つめた後、膝に抱き上げられる。
「…痛いな…ごめん」
「匡平さんは悪くないですってばー」
自分の身体の大きさの威力をちゃんと理解している男だ。
だから多田が凛に触れる時、十分なくらい優しいのを感じている。
「…ふふ、一生忘れない思い出ですね?…昨日も、今朝も」
くすくす笑い出した凛と、まだ浮上していないだろう無表情の多田。
「昨日は…うん、一生忘れへん」
こつんと、額まで慎重に凛の肩に預けて多田がまた息を吐く。
「いや…うん、多分今のも…忘れへん」
可愛い。
「ねー、匡平さん、朝ごはん何ですか?」
「……色々買ってきた…」
「早く食べましょうよー、お腹空きました」
凛の欲求には、即座に応える男、多田。
テーブルには多すぎるくらいの菓子パンと調理パン。
コーヒーとカフェオレと、サラダ。
「…甘いのか、しょっからいのか…聞かんと行ったから…」
凛が手に取ったのはクリームパンだ。
多田はソーセージの乗った調理パン。
「…凛さん、あの女と…会うことある?」
「…んー、たまぁに、本社の集まりとかで」
さっきの島崎の表情を多田も見ている。
何かしてくると思ったのかもしれかい。
「…」
「あ、でも大丈夫です…島崎さん側に佐和さん、こっちに中野くん、事の次第を知ってる人もいますから」
「…中野…ああ」
それでも考える目をして多田は凛を見ている。
確かに、あの島崎の表情は怖かった。
何もしないとは考えにくい。
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