初めてのお泊まり

7/9
前へ
/99ページ
次へ
そして数分、多田の気配はドアの前から動かない。 凛はそっと詰め物を取って確認してみる。 (あ、大丈夫そうだ) ほっとして流して証拠隠滅。 鼻のまわりに血はついていないだろうか。 鏡が無いからわからない。 でも、血が止まれば次は多田だ。 そっとドアを開けて顔を出した。 多田は案の定ドアのすぐ前に居た。 「匡平さん、お待たせしました」 「…」 まだ痛む鼻を手で押さえて身体を出すと、多田に即座に抱き上げられた。 「…ごめん」 きゅうっと多田の腕に力が入る。 「あの、匡平さん」 「うん?」 「…保冷剤、ありますか?」 冷凍庫から、大きめの保冷剤が出てきた。 クッションに座らされタオルと一緒に手渡される。 大き過ぎてちょっと使いにくいけれど、万が一鼻が腫れたら明日の仕事がやりにくい。 凛はそーっと鼻に当てた。 そこでやっと、多田が少し首を傾げた。 そりゃそうだ。 ここは普通、当てるのは目。 「…」 「匡平さんの、胸に負けました」 「……………え」 目を見開いた熊さん、貴重な表情だ。 多田に腕を取られ、保冷剤が外された。 ずいっと顔が近づいて、じっと鼻を見られる。 「腫れてます?」 「いや…少し赤い……ごめん」 「匡平さんは悪くないですよ、私の踏ん張りがきかなくて…えへ」 ふーっと多田がため息をついて、胡座の臍を覗き込む勢いで俯いた。 ガシガシと大きな手が後ろ頭を搔いた。 「…匡平さん?大丈夫ですよ?」 凛が手を伸ばして多田の膝小僧に触れる。 多田が俯いたまま、その手を包んで。 小さく頷いた後、ゆっくり数回呼吸を繰り返した。 顔を上げまたじっと凛の鼻を見つめた後、膝に抱き上げられる。 「…痛いな…ごめん」 「匡平さんは悪くないですってばー」 自分の身体の大きさの威力をちゃんと理解している男だ。 だから多田が凛に触れる時、十分なくらい優しいのを感じている。 「…ふふ、一生忘れない思い出ですね?…昨日も、今朝も」 くすくす笑い出した凛と、まだ浮上していないだろう無表情の多田。 「昨日は…うん、一生忘れへん」 こつんと、額まで慎重に凛の肩に預けて多田がまた息を吐く。 「いや…うん、多分今のも…忘れへん」 可愛い。 「ねー、匡平さん、朝ごはん何ですか?」 「……色々買ってきた…」 「早く食べましょうよー、お腹空きました」 凛の欲求には、即座に応える男、多田。 テーブルには多すぎるくらいの菓子パンと調理パン。 コーヒーとカフェオレと、サラダ。 「…甘いのか、しょっからいのか…聞かんと行ったから…」 凛が手に取ったのはクリームパンだ。 多田はソーセージの乗った調理パン。 「…凛さん、あの女と…会うことある?」 「…んー、たまぁに、本社の集まりとかで」 さっきの島崎の表情を多田も見ている。 何かしてくると思ったのかもしれかい。 「…」 「あ、でも大丈夫です…島崎さん側に佐和さん、こっちに中野くん、事の次第を知ってる人もいますから」 「…中野…ああ」 それでも考える目をして多田は凛を見ている。 確かに、あの島崎の表情は怖かった。 何もしないとは考えにくい。
/99ページ

最初のコメントを投稿しよう!

952人が本棚に入れています
本棚に追加