熊さん鑑賞は、恋か否か

1/3
前へ
/99ページ
次へ

熊さん鑑賞は、恋か否か

場の雰囲気を壊さない為に、無駄に張り切ってしまう自分とは真逆の熊さんに興味を持った。 それは羨望を含んだ純粋な興味だった。 笑わない、喋らない、媚びない。 それがすごく羨ましくて、見ていたくなる。 最初はほんとうにそれだけだったけれど。 不器用に片手を上げて、もう自分を見ない素っ気なさにときめいたなんて、一体全体どうした事か。 結局熊さんは、いつもの納品時間より40分程遅れて現れた。 つまり、熊さんの仕事が40分押している。 凛は少し考えて、オリコンを開き終えて渡された伝票を半分に分けた。 「多田さん、今日は手分けしましょう」 検品とは片方が読み上げ、片方が数を伝えて確認する。 それを1人でしてしまえば、つまり配送側がズルをしてもわからないと言う事だ。 熊さんは凛が差し出した伝票を見て、止まった。 「信じてますから、その方がすぐ終わります」 そう言いながら、凛はオリコンの中身をだいたい同じ分類に分けて入れ替え始める。 「サクサク済ませましょ?…く、多田さんお昼食べられなくなっちゃいますよっ」 思わず熊さんと呼びそうになりながら、凛はもう手の中の伝票にチェックを入れ始めた。 慣れている多田が商品を見つけて数を伝えるのは速い。 けれど凛はその上を行った。 なんせ発注と品出し両方を行うのだ。 作業は、いつもの半分の時間で済んだ。 これならおにぎりくらい食べられるかもしれない。 多田は胸ポケットから粒チョコを手渡した。 これは恒例にするつもりなのか。 「…助かりました」 「いえいえ、お疲れ様です」 恋か否か。 半信半疑の凛の耳に、普段聞きなれない抑揚が飛び込んだ。 「川野さん、手ぇ早いから…渋滞にハマったと思えばもう、通常と変わらんと思います」 「…」 ほんの少しだけ目を細めた多田が、更にほんの少しだけ唇の端を緩めて伏し目がちに会釈した。 熊さんの本来の言語は、関西圏の抑揚だった。 すぐ能面に戻った多田の背中を見送りながら、何故かバクバクと早鐘を打つ胸に手を添えた。 (…やばい、恋だ…) 低い声は、抑揚を戻せば柔らかく。 いつもとのギャップでとても優しく響いた。 難攻不落の高くそびえる城に恋した気分だった。
/99ページ

最初のコメントを投稿しよう!

929人が本棚に入れています
本棚に追加