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「…多田さんの、お母さまですか?」
「ええ…戸籍上は」
…戸籍上…?
よく分からない表現に凛は一瞬言葉を出せずに瞬いた。
「…それで、あなた…ここの鍵、もってはるん?」
「はい」
そうだ中に招いてお茶をと、慌ててバックの中に手を入れる凛の腕で買い物袋が音をたてる。
多田の母親は、多田とよく似た仕草で片眉を上げた。
「…ホンマにあの子も…困ったもんやわ…まぁ、まだ若いからねぇ…」
嫌な言い回しに、たじろぐ凛に母親は柔和に微笑んだ。
「まぁええわ…1ヶ月ほどこっちにおるから私、この近くにホテル取ってるの…あなた、そやねぇ…来週いっぱいには、あの子と別れてくれへん?」
頭が理解を超えた言葉に真っ白になった。
挨拶もせずに同棲した事を怒っているのだろうか。
もしかしたら、多田は名家の生まれで…こう言ったことに厳しい家庭なのだろうか。
色々考えつくのに、凛は一言も言葉を発せずに立ち尽くしていた。
「…あの子は…本気やない…長引いたら…貴女がしんどいだけやのよ…あの子は本気になれへんよ…貴女には」
可愛らしい顔してるねんから、他の人もよおさん居てるでしょうと笑って。
「再来週の頭にまた来るわ…そやないとあの子とゆっくりできへんし…お願いね」
最後まで柔和に、穏やかに多田の母親はその表情を崩さなかった。
ふわりといい香りをさせて、凛の横を通り過ぎていく。
エレベーターが降下する機械音がやんでも、凛はその場から動けなかった。
どこか現実味のない衝撃に、何かが麻痺していた。
苦手な寒さすら消えたみたいだ。
どうしよう。
初対面の多田の母親に、ろくな挨拶も出来なかった。
もう多田と別れることが決定されていた。
これから挽回できるのだろうか。
どうしたらいい?
え?え?
もうパニックなのに、身体が動かない。
そのうちに、止まっていた細胞が動き出した。
バクバクと心臓が酸素を求める様に動き出す。
ガシャンと廊下の硬い床に、買い物袋が落下した。
(ああ、卵が割れたな…ちょっと高いの買ったのに)
と、どこか遠くでボンヤリと思った。
中に入ろう。
卵がわれてしまったから、今日はオムライスにしよう。
多田は具にコーンを入れるバターライスが好きだと、この間知ったのだ。
付け合せはオニオンスープ。
とびきり大きなオムライスにしよう。
そして多田が帰ったら、買い込んで来たお菓子の中からキャンプに持っていく物を吟味するのだ。
きっと付き合って考えてくれる…。
多田はきっと、ぎょうさん買うたねと笑ってくれる。
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