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 目の前のアスファルトを黒いシミがぽつりぽつりと染めていく。様子見をしていた僕が諦めて折り畳み傘を開いた頃には、地面に広がったシミが多数派を占めようとしていた。僕の服やバックパックにも同様のシミが広がっている。  傘を開いてしまうと畳み直すのが面倒だし、かといって開かなければ服を濡らしてしまう。色々と考えあぐねているうちに、結局僕が傘を開くのは、すっかり服に雨水が染み込んでからだ。毎回雨がヒドくなると分かっていれば、迷わず傘をさすのだが、そうでないことが問題だ。  雨には、降り始めの優柔不断な態度を改めて欲しいと随分前からお願いしているが、聞き入れられる様子はない。大量の洗濯物を干している人達が取り込み時間を稼ぐ為、本降りにするのはしばらく待って欲しいと僕よりも強く頼みこんでいるからに違いない。  頭上の傘を叩く雨音は、断続的なものから徐々に間合いを詰めていき、すぐに周囲を走る車の騒音を掻き消すほどの轟音となった。突然の豪雨から逃げ惑う人々の姿があちこちに見える。激しく重なり合った雨筋で街の景色が白く霞むほどだ。  雨に加えて、コロコロと向きを変える突風が前後左右から予告もなく吹き付けるせいで、持っていかれないようにと傘を両手で支える必要があった。風に乗って運ばれてきた雨粒が身体中にまとわり付いてゆく。小振りな傘は僕の両手を塞ぐだけで、本来の役割を全く果たしていなかった。  雨を吸い込み尽くした僕の服が、これ以上濡れることはできないのだと証明してみせるように、受け止めた雨水をだらだらと垂らしている。それが靴の中にも流れ込み、靴下もぐっしょりと濡れた。  いつもは行き交う人で溢れている商店街。そこを貫く通りも人影がごっそり消えてしまい、風雨に抗って前に進もうとする人の姿は、気付けば僕だけになっている。  通りから消えた人々は、店の軒下で身を寄せ合って雨宿りしていた。彼らの群れに属さない僕を、不思議そうな目でみつめている。しばらく待てば雨の勢いも少しは収まるだろうにと言いたげだ。そんなことは僕にだって分かっている。  けれど、僕には急いで駅へと向かう理由があった。 「明日、日本を発ちます」  そんな件名で届いた彼女からのメールには、空港の名と便名が書かれているだけで、暗に見送りに来いと言っているのかもしれないが、そんな言葉は一言も添えられていなかった。
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