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「日本には、いつ頃戻ってくるの?」
覚悟を決めて口にした僕の張り詰めた空気感に反して、そんなことも知らなかったのかとでも言いたげにあっさりと彼女が答える。
「明後日の夜だけど」
当然僕は知らなかったし、知っていれば、わざわざ空港まで駆けつけたりはしなかった。いや、僕が勝手に勘違いしただけだし、来て欲しいと頼まれた訳でもない。それでも、何か言っておかなければならないと思った。
「日本を発つという表現は、少し大げさ過ぎやしないかな」
自分では決して選ばないであろう配色の服を見下ろしながら、僕はそう言ってみる。今日彼女に選んで貰った服の出番は、今後はなさそうだと思った。この服に着替えてからというもの、自分とは違う誰かを演じ続けているような気分だ。
「なんだか、不満そうに聞こえるけど」
そんなことないよと俯いたままで呟いて見せるが、当然不満がないわけではなかった。口から飛び出してしまいそうな様々な言葉をぐっと抑える。もう2度と会えないかも知れないと思っていた彼女に数日後には会えるのだから、むしろ喜ぶべきだろう。
急ぎ足だった彼女が突然立ち止まり、肩に掛けた小振りなバッグを開いた。それに合わせて僕も立ち止まる。バッグから折り畳まれた紙が取り出され、僕に手渡された。しばしの別れを告げる為に手紙でも書いてきたのかと思ったが、そうではなかった。
開いた紙には、僕の名前がローマ字で記されている。印刷済みの予約票だ。帰国便と合わせて2枚あった。
僕は顔を上げる。きっと間の抜けた顔をしていたに違いない。自分の分だと思われる予約票をひらひらさせながら、強い目線で見上げている彼女。
「まさかパスポートを忘れてきたんじゃないでしょうね」
気分屋で行動力はあるが、不器用で傷つきやすい彼女の善意を無駄にするわけにはいかない。
「こんなこともあろうかと」
僕はそう言って、バックパックからふやけてしまったパスポートを取り出して見せる。いざという時には、航空券を購入できるだけの現金を引き下ろしてあることまでは伝えなかった。
当然だと言わんばかりに彼女は頷いてみせると、再びスーツケースを転がしてチェックインカウンターの方角に向けて速歩きを再開する。常識的であれと彼女に求めるのは、どだい無理な話なのだ。
バックパックを背負い直すと、随分離れてしまった彼女を見失わないように速度を上げた。彼女の背中は、どことなく満足げに見える。
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