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かんざし
二度あることは三度ある、又もや恐ろしい経験を彼女はしてしまったのです。
彼女はあくる日、ぱっと目を覚ましました。すると、彼女の体は急に丸まって、転がりだすではないですか!それも猛烈な勢いで。彼女は止めようとしましたが、止められません。まるで何かに引っ張られるようにして体が動いてしまうのです。
ぐるぐる、ころころ。彼女はでんぐり返しをします。いや、させられているのです。ですが、彼女にはそれを止めることは出来ませんし、その原因すらわからないという有様です。
ぐるぐる、ころころ。軈て、目の前に椅子がありました。それはこの間、家具屋で一目惚れして買ったものです。このままでは、ぶつかる。そう思って彼女は目を瞑りました。そして自分の無惨な姿を想像しました。
ですが、そんな事は起こりませんでした。彼女の体は椅子をすり抜けたのです、まるで実体が無いかのように。
そしてそのまま彼女は何事もなかったかのように転がり続けます。彼女はだんだん気持ち悪くなって来ました。そして何回も、何回も嘔吐しました。しかしそれと反対に、彼女は止まりません。寧ろ速くなっていく気さえするのです。
彼女は気が遠くなっていきます。彼女がかろうじて、朧げながら覚えているのは、見たことのない公園の芝生の上に青いかんざしが落ちているという風景でした。それからは記憶が無いのです。
次に目を覚ますと、彼女は、鏡の前で化粧をしているのに気付きました。彼女がいる部屋は和室で、そこに何故か異様な洋風の鏡がかけられているのです。そしてその鏡は、彼女の顔だけでなく、開けた窓の向こうの景色迄もをうつしていました。庭には、沢山の植え込みや、鉢が、真ン中にある井戸を囲むようにして、配置されているのです。それが、鏡にはうつっていました。
彼女は化粧をします。紅を引いていた時、ぽとりと音がするのに気付きました。ふと後ろを振り向くと、椿の花が落ちています。あれは綺麗だけど茶毒蛾が寄るところは厭だと彼女は思い、又化粧をし始めました。
ですが、彼女は恐ろしいことに気づいてしまいました。鏡に先程の椿がうつっていないのです。彼女は急に恐ろしい心持になって、化粧を早々に済ませると、蒲団に潜り込みました。必死に熱であの恐怖を紛らわそうとするために苦心していました。
二時間は経ったでしょうか、彼女はもう、余り怖くなくなって、蒲団から出ました。そして畳の上に座りました。
その時、誰か家の戸を頻りに叩く音がします。ですがその音は小さく、今にも消えてしまいそう。彼女は走って家の戸を開けてやりました。
其処に立っていたのは、一人の男でした。目は虚ろで、顔は真っ青の、髪にかんざしをさした長身の男です。男は言いました。
「寒いンだ、とても。だから暖かい所に居させてくれ」彼女はそれを承知しました。放っておけば、直ぐにでも、その男は死んでしまいそうだったからです。彼女は輪切れの檸檬を入れた紅茶をもてなし、そして蒲団を貸してやりました。
軈て男の血色は良くなり、目も、活気が溢れてきました。すると彼は、厠に行きたいというので、其の場所を、教えてやりました。
何もすることが無くなって、かといって何かをする気にもなれない彼女は紅茶の入ったカップをジッと見つめていました。するとカップの縁に、一匹の蠅が、弱々しく止まりました。
彼女が指で弾くと、蠅はふわふわと上昇していき、今度は下降してきました。そして何ということか、彼女の目の前で、動きを止めたのです。彼女は蠅を手で叩き落としました。蠅は、黒い残像を彼女の目に遺して、地面に落ちました。
蠅は、もう何の蟲か分からない程までにぐしゃりと潰れて、死んでいました。
彼女はそこで目覚めました。そして水を飲むために台所に向かいました。すると、目の前に夥しい数の青いかんざしが浮いています。それが消滅したり出現したりを繰り返しました。
チカチカ、チカチカ、目がくらみそうです。それでも構わず、消滅と出現を繰り返します。消えたり、現れたり。
チカチカ、チカチカ、頭がおかしくなりそうです。それでも構わず、チカチカ、チカチカ、チカチカ、チカチカ。ハーマングリッドの黒い点が現れたり、消えたりする様に。かんざしも、その黒い点みたいに、消えたり現れたり。
軈て動きが止まってかんざしは七個に落ち着きました。そして彼女を追いかけてくるのです。彼女は逃げました。
そして。脚が電源コードに引っかかって転んでしまいました。更に頭を椅子にぶつけてしまいました。そして気を失ってしまったのです。しかし、それは良いことでした。何故ならそれこそ、夢と現実の架け橋なのですから。
彼女は目覚めました。それから彼女には恐ろしいことはおきていません。
そう、おそらく今喋ったことは全て彼女の夢だったのです。
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