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6月。
梅雨入りしているが、今日は朝から晴れていた。
都内のとある高等学校2年生の教室。
昼休みも半ばという時間だった。
昼食を終え、生徒たちは友達とふざけ合ったり、ひとりで静かに過ごしたり、様々であったが、女子たちはたいてい同じ方向を眺めていた。
このクラス1番のイケメンくんがいる方向だ。
イケメンくんは数人の男子たちと笑い合っていた。その男子たちも、もちろん女子たちの視線をわかっていて、わざとイケメンくんと女子たちの視線の間に入って邪魔したりする。
「ちょっと千田じゃまー!!」
女子の誰かが言った。どっとクラスのみんなが笑う。
イケメンくんも笑っている。彼は、クラス公認のアイドルみたいな存在であった。
千田がテキトーに選んだ女子を指差して、
「たまには俺の顔を眺めなよ!」
「ええ!? 考えとく!」
千田と女子たちがコントを繰り広げている。クラスが笑いに包まれる。
「千田くんてほんと面白いね」
ふたりで机を向かい合わせて、イケメンくんを眺めていた女子のひとりが、クスクス笑いながら言った。
「紬、千田に乗り換える?」
向かい合って座る女子がニヤッと笑った。
「うーん、それはちがうかなあ。梨央こそどうなの?」
「え、千田は小学校から一緒だからなあ、好きとかそういう感情ないよ。最近話してもないし。いつも元気だなってくらい?」
「ふふふ。ちがうよ、清瀬くんのことだよ」
「えっ」
清瀬くんとはイケメンくんのことである。
「好きじゃないとか言いながら、いつもわたしと一緒に見てるじゃん。吐いてしまいなさーい」
「いっ、いや、まあ綺麗な顔してるなとは思うけど、好きではない、かな!」
慌ててしゃべる梨央をなんとも疑わしそうに見やる紬。
「ふーん。そうなんだ?」
「そうなの!」
「わかったよ」
紬が頷いた。さらり、と艶やかな黒髪ストレートが揺れた。
対して梨央は、緩やかなくせ毛を生かしたショートヘアを明るく染めている。
ふたりは中学からの友達だった。見た目は真逆であったが、だからこそ引かれ合ったのか、かれこれ5年目になる付き合いであった。
(本当は、好きだけどね――)
梨央は心の中で訂正した。紬が話しを変えてスタバの新作とか、異様に安い通販のワンピースとか、あれこれ話しはじめたので相づちを打ちつつ。
(なんか好きって言うの恥ずかしくて)
思春期真っただ中な梨央であった。
紬は推しアイドルグループの配信に課金して金欠になった話しを熱っぽく語り出した。
それにはさすがに梨央もちょっと引いたので、アハハと乾いた笑いをしてからふと視線をそらす。と――
「――!?」
心臓が跳ねた。
清瀬がこちらを見ていた。
無言で固まる梨央。
「どうしたの?」
紬が梨央の視線を追うが、その時にはもう清瀬はこちらを見てはいなかった。
キーンコーンカーンコーン。
昼休み終わりのチャイムが鳴った。ガタガタと机を動かしたりしてみんな自分の席に戻っていく。梨央のこわばりも解けていく。が、心臓はバクバクしていた。
「あっという間だったねー」
「そ、そうだね!」
「じゃまたあとで!」
「うん!」
梨央と紬もくっつけていた机を元に戻す。
キーンコーンカーンコーン。
ふたたびチャイムが鳴った。本鈴。始業のチャイムだ。担当の教師が教室に入ってきた。
「はい、前回の続き21ページの3からはじめます」
数学の授業が始まった。
だが、まだ梨央の胸は高鳴り続けていた。
(え、やだ、もしかして、もしかして――)
――清瀬がこちらを見ていた。
(――もしかして、わたしを見てた? 清瀬くんわたしのこと、やだ、どうしよう、呼び出されて、告白とかされたり、きゃー!!)
思わず教科書で顔を覆った。
◆◆◆
下校。
自宅最寄り駅で紬と別れた梨央は、空模様が怪しくなってきたので足早に帰途につく。足取りは軽い。ずっと清瀬のことを考えていた。
案の定、もう少しで帰宅というところで雨が降ってきた。
ポタポタ。
パタパタ。
大粒の雨だった。
梨央はカバンから折りたたみ傘を取り出した。
ポタポタッ。
パタパタッ。
雨が勢いよく傘に弾かれる。なんともいえず小気味よかった。
「ただいまー」
帰宅すると、母親がスマホを見ながら迎えに出て来た。
「お帰り梨央。さっそくで悪いんだけど、ライン見た?」
「え、なに」
梨央もスマホを鞄から取り出すと、家族のグループラインから通知が入っていた。
『傘忘れちゃったーごめん迎えに来てー! いま駅で雨宿りしてる!』
妹からラインが入っていた。梨央とは別の高校に行っているひとつ下の妹だ。最寄り駅は同じなので来た道を戻ることになる。
「もー梅雨なのにうかつな妹めっ」
言いつつ、梨央はOKと書かれたスタンプを押した。
「ちょうど魚焼いちゃって、魚見るか迎えに行くかお願いしたいんだけど」
「迎えに行ってくる!」
梨央はいつの間にか増える透明ビニール傘をふたつ掴んで家を飛び出した。折りたたみ傘は使いにくいので、自分もビニール傘をさすことにした。
バララッ。
ザアアッ。
先程より雨が強くなっていた。
家から駅まで半分くらい来たところで、向こうから、ひとつの傘に身を寄せて歩いてくる男女が目に付いた。夕方の帰宅時間なのでそれなりに人通りはあったが、そのふたりが特に目に付いた。
妹だったから。
(え、ど、どういうこと? ていうか付き合ってる人がいるとか聞いてないけど?)
梨央は動揺しつつも相合い傘のふたりを観察する。女子高生と男子高生が楽しそうに語り合っている。とてもいい雰囲気に見えた。
(なんだか分からないけど、楽しそうなのを邪魔するのもかわいそうだし、このまま通り過ぎればいいかなあ)
そのうち妹もこちらに気付いたのか、目を合わせてきて、通り過ぎる瞬間、声には出さずに「ごめんね」と口だけ動かして言ってきた。
そうして、妹は通り過ぎて行ってしまった。
梨央の心は清瀬くんの件から相変わらずドキドキしていたが、今のドキドキは違った。感情がよく分からなかった。妹が少し遠くに行ってしまったような、寂しいような。不安な気持ちのするドキドキだった。
(どうしようかな)
梨央は迷っていた。
(用がなくなったから、このまますぐ引き返してもいいけど、妹のお相手くんにうっかり見られたら変に思われるかな。うーん、せっかく出て来たんだし、駅まで行こうかなあ。よし!)
なにもない小さい駅だが、このまま家に帰るのはなんだか気が進まなかった。
◆◆◆
駅まで来ると、ちょうど電車が到着したのか、人がわらわらと改札から出て来た。中にはうかつな妹と同じく傘がないのか、狭い駅の屋根から出ないで、雨降る空を見上げている人、電話をしている人、スマホをいじってる人、駆け出してくる人――千田だ!
「お、中村!」
梨央が見ているのに気付いたのか、千田が駆け寄ってきた。
「う、うん」
久しぶりの会話だった。小学生以来かもしれない。
「じゃっ!」
言ってそのまま梨央のわきを走り抜けて行った。千田の家と梨央の家は途中まで道が一緒だ。
「傘!」
梨央は叫んで、千田を追いかけた。
「え!」
「貸してあげる!」
「え、いや」
梨央は、立ち止まった千田を自分の傘に入れて、手に提げていた傘を押し付けた。
「返すのはいつでもいいよ。返さなくてもいいし、別に、ビニール傘だし」
「えっと」
千田が戸惑う。
「そのへんのコンビニで買ったやつだし」
グイともうひと押しした。
「そっか」
千田が傘を受け取った。
「ありがとな!」
パアッと勢いよく傘が開かれた。
バラララッ!
雨粒が弾かれる。
千田がニッコリして梨央を見てきた。
(うっ、勢いで傘を渡したけどなにを話したらいいかわらない)
今度は梨央が戸惑う。
「じ、じゃあね!」
それだけ言って、梨央は千田のわきを走り抜けた。
走る必要はなかった。でもなぜか走りたかった。
バタバタッ!
バラバラッ!
走るほど、傘に雨粒が当たる。
バシャバシャバシャッ!
雨に濡れるアスファルトの道を走る。
水がめちゃめちゃ跳ねて、ローファーを履いた足もとが思いっきり濡れた。でも、なんだかとても気分がよかった。こんな天気だけど、心は晴れていた。
雨で困ってる同級生を、ちょっと無理矢理だけど、助けられた。
妹にはフラれたけど、駅に来た意味はあった。
(こっちこそ、ありがとう!)
水たまりも構わず踏み込んだ。
バシャンッ!
ひときわ大きな水しぶきが起こった。
◆◆◆
梨央が風呂から出てくると、妹が飛び付いてきた。
「お姉ちゃんごめーん!!」
雨に濡れて体が冷えてしまいそうだったので、梨央は帰宅して風呂場に直行した。
姉が雨に濡れたのはぜんぶ自分のせいだと妹は思っているようで「ごめんね」を連呼していた。
梨央は自ら雨に濡れに行ったのだが「ほんとだよもー」とか言って怒ったふりをしている。
「ごめんねごめんね」
「で?」
「でって?」
ごめんねよりも、聞きたいことがあった。
「なにがあったの? あの相合い傘の男の子は?」
梨央はツンと妹をつついた。
妹の顔がみるみる赤くなる。
「え、駅で待ってたらね、輝くんが、傘入る? って言ってくれちゃって! 」
「ははーん、お似合いだったねえ」
「こ、断れなくて、断りたくなくて、ほんとーにごめんね!」
「いいよ、もう。それより付き合ってるの?」
「つ、付き、合う、ことになった。さっき」
なんとリアルタイムだった。
「さっき!? きゃー! ほんとにー!」
「きゃー!! ほんとほんとー!!」
姉妹できゃあきゃあ叫び合っていると、
「ほらほら、ご飯食べちゃいなさーい!」
母親が声をかけてきた。
はーい、と姉妹の声が重なった。喜びのハーモニーであった。
梨央は、にこにこしながらご飯を食べる妹を見ながら、また清瀬のことを思い出していた。
つい先ほど付き合うことになったという妹と輝を、なんとなく自分と重ね合わせた。
ポツポツポツ。雨。雨宿り。差し出される傘。相合い傘。談笑。そして――告白。
◆◆◆
翌日、1時間目と2時間目の授業の間の、わずかな休み時間。
梨央は千田にこっそり校舎裏へ呼び出された。
曇天。
雨は降っていないが、いつ降ってもおかしくない天気であった。
「傘、ありがとう」
千田は、誰もいないのに辺りを気にしながら、ささやくように言って、ビニール傘を差し出してきた。
「なんでそんなにコソコソしてるの」
千田の態度がおかしくて、笑いながら梨央は傘を受け取った。
「だってそれはお前さあ」
千田はまだささやき声で言う。
「俺と傘のやりとりしてんのとか、誰にも見られたくないんじゃないかと思って」
梨央は首をかしげる。何を言ってるのか分からない。
「どうせお前ら女子はみんな大海が好きなんだろ。誤解されたら嫌だろうと思って」
「あ」
大海。清瀬の名前である。
なんという気遣い。梨央は思わず胸に手を当てた。
「な、当たりだろ?」
「そんなこと……」
「そんなこと?」
今度は千田が首をかしげた。その角度が普通よりかなり斜めっていて、梨央はプッと吹き出した。
「中村さ、お前とは小学校から一緒だからな、隠してもバレバレだからな」
ここまでずっと千田はささやき声である。梨央はおかしくて仕方なかった。だから、心が緩んで、素直な気持ちが口をついて出た。
「そんなこと……ある!」
「ぶはっ! ほらな!」
「あはは! お気遣いありがとうございます!」
「どういたしまして!」
キーンコーンカーンコーン。
予鈴が鳴った。
「じゃ、別々の方向から教室へ戻ろう」
千田が言った。
梨央はまた吹き出した。
「でき男すぎるね千田」
「もっと褒めて!」
出来る男、千田がウインクしてきた。
「ええと、行動がイケメン!」
「サンキュー!」
千田は満足そうに手を振って、立ち去るかと思いきや、ふと真面目な顔になった。
「あの」
「なに?」
「大海がさあ」
「え!?」
「いや、なんでもない! がんばれよ!」
言って、千田は教室へ戻って行った。
残された梨央は、またドキドキしはじめた。
(清瀬くんが、なに? え、え、もしかして、本当に? 本当に清瀬くん、わたしのこと――)
キーンコーンカーンコーン。
本鈴が鳴った。
「わっ、やばい!!」
梨央は慌てて駆け出した。
◆◆◆
そうして、その日の放課後、梨央は呼び出された――清瀬大海に。
千田にも呼び出された校舎裏であったが、梨央の心から千田は閉め出されていた。
清瀬は真っ直ぐに梨央を見ていた。涼やかな瞳が梨央を捕らえる。
梨央の心臓はこれでもかと高鳴っていた。
「あのさ」
「う、うん!?」
梨央の声が裏返った。
清瀬は気にせず続ける。
「中村さ」
「うん!!」
「新島と仲良いじゃん」
「……え」
新島とは、紬の苗字である。
「新島って、誰かと付き合ってたりする? 好きな人とかいるのかな?」
いつもの凜としたイケメンの清瀬はどこかへ消えて、なんだか気弱な情けない表情で聞いてきた。
(そんな顔、するんだ)
梨央の中に、どうしようもない感情が湧き上がってきた。
(いつもとは違うけど、気弱な感じの清瀬くんも素敵だよ。でも、この顔は、この情けない顔を向ける相手は――)
梨央は背けたくなる清瀬の顔を、がんばって見返した。
(泣きそう)
「い、いないよ! 付き合ってる人は!」
「そうなんだ!」
「好きな人は――」
「好きな人は?」
「ええと――」
「い、いるの?」
梨央はこみ上げてくる涙をグッとこらえた。
「――清瀬くんだよ!」
「――!? ほ、本当!?」
「やだ、もしかして、両想い!?」
「本当!? 新島、俺のこと!?」
「きゃー! お似合いだと思うよ! ほら、早く行って、告白してきなよ!!」
梨央は精一杯の笑顔と明るい声で言った。
「う、う、うん」
「早く早く!!」
(早く!! 早く行ってくれないと!!)
梨央は清瀬の背中をグイグイと押す。
(泣いちゃうよ!!)
ふっと、押す手が軽くなった。
清瀬が自ら紬に向かって歩き出したのだ。
少し進んでから、清瀬は梨央を振り返った。
「中村、ありがとう!! 今度なんかおごるわ!!」
「期待してるー!!」
ブンブンと手を振った。
(さよなら、清瀬くん)
清瀬がいなくなると、梨央はうつむいた。
梨央の足もとに、ポタパタと涙が落ちた。
なにも考えられなかった。ただ、驚くほど心が静かだった。
ポタポタ。
パタパタ。
雨が降り出した。
ポタポタ。
パタパタ。
涙が落ちる音と、雨が落ちる音が、混ざり合った。
空も泣いてるのだろうか。
「いる?」
ふいにハンドタオルが差し出された。
顔を上げると、千田だった。
「あんたほんとに行動がイケメン」
と言ったつもりが、涙と感情の高ぶりでうまく声にならかった。
「あうえ、え、っぐんんんっ」
「大丈夫かよ」
「だいじょ、ぶ、ひぐっ」
「まあ似たもん同士のよしみでなぐさめてやるけど、俺に惚れるなよ」
「なに言ってんの。わたしの好きな人は清瀬くんだもん」
こんな時にまでおどける千田に、涙が引っ込んだ。千田のことは本気でなんとも思っていない。
「そこだけはっきり言えるのウケるんだけど」
「大事なことだから――待って」
「ん?」
「似たもん同士って?」
「そんなこと言ったっけ」
「言った」
千田が梨央から目をそらして空を見上げた。雨が目に入ったのかすぐにやめて目を瞬かせた。雨が、千田の頬を伝う。
「まあ、そーゆーことで。俺もお前のことは好きじゃないから安心しろ」
「ぜんぜん分かんないけど、わたしも好きじゃないから安心して」
「おう」
「でも――」
(――でも、ありがとう……)
涙がまた出てきて、声にはならなかった。
「雨降ってきたから、とりあえず校舎に入ろう」
千田にうながされ、梨央は雨降る校舎裏を後にした。
◆◆◆
ひと気のない廊下。
ふたりで体育座りしながら、無言で窓から聞こえてくる雨音を聞いていた。
少し回復した梨央が、ふと口を開いた。
「わたし、千田のことは好きじゃないから」
「いや、あのさ、それなかなか傷付くんだけど」
「千田もわたしのこと好きじゃないんでしょう?」
「それはそうだけど」
「ねえ、聞いて」
「うん?」
「好きじゃないから、恋人にはならないけど、その、友達には、なりたいかなって……」
(なに言ってんだろ、わたし……)
言いながら、梨央の声が小さくなる。
「友達か」
千田がニッコリした。
「いいんじゃねーの友達! 推しが友達とカップルになっちゃった友達だな!」
「推しって――」
梨央はハッとした。
「やっぱり、さっき言ったよね! 千田、紬のこと好きだったんだ!」
「そうでーす!」
ヤケクソ気味に千田が答える。なんだかんだ千田も傷付いているのだ。
「似たもの同士、ふふふ」
梨央の心が、少しずつだが温かくなってきた。
「痛みは似たもの同士しか分かち合えねーし!」
「泣いてもいいよ」
「泣かねえ」
「強いね」
「いや、ひとりでこっそり泣くかも……」
「わかるよ」
梨央が優しく微笑んだ。千田もつられて微笑んだ。
バラララッ!
窓の外の雨がいっそう激しくなった。
「こーゆー時って、友情を祝して雨が上がって虹がかかったりするもんなのに」
「そんなうまくいかないよ」
「ちぇっ、帰るか」
つまらなそうに立ち上がる千田。その背中に向かって梨央がつぶやく。
「スタバのメロン飲みたい」
「飲めば」
「おごるからおごって」
「どういうことだよ」
笑いながら千田が振り向く。
「失恋に乾杯しよ!」
「なるほど。じゃ、おごるからおごれよ!」
「うん!」
雨が激しく降っていた。
その激しさに負けないくらい、ふたりは元気に学校を飛び出した。
目指すはスタバのメロン!!
――終わり。
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