プロローグ

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プロローグ

 重苦しい積乱雲が天球に跨って、空の蒼さを包み隠している。白と灰のコントラストは、鬱屈な心持ちを抱かせて、僅かな頭痛を呼び起こすようだ。低空に滞留した積乱雲は地を這うミミズのように微かな動性を宿していて、地上に佇むこちらへ迫りくるような印象をもたらす。愚鈍な水蒸気の塊は固有の意思を伴っているように見受けられて、内心の不安感を誘発した。  地上から窺える景色というものは、非常に限定された一側面である。見上げるしか空を仰げない人々は、いずれ自らが空へ上がる方法を模索して、いつしかその技術を会得するまでに至った。有翼機で中空の飛行に成功したライト兄弟という偉人は有名どころであろうが、彼らが初めて空を飛行することに成功してから、既に百年以上の月日が経過している。彼らの初飛行から一世紀もの時間を経て、複葉機や全翼機、その他さまざまな飛行機が開発されて、そして盛衰の歴史を辿った。その趨勢は戦争の累積でもあって、技術闘争が飛行機の技術力の向上に寄与していた事実は指摘するまでもない。人々の生死が鋼鉄の塊の進化を促す時代。そうして延々と世代が積み重なっていて、航空技術は新しい局面を迎えていた。  視界に収めるだけで不可視の重量を覚えさせる低高度の積乱雲。その下部がいきなり弾けて、いわゆるミルク・クラウンのような飛沫を発生させる。飛び散った水蒸気の集合体は中空に霧散して、そしてその宙を影が高速で横切り、白濁した直線のコントレールを形成した。高速で移動する影を目先で追尾すると、先ほど影が現出した積乱雲の下部から、似たような黒みを帯びた飛翔体が新しく登場する。その飛翔体も移動速度が体感できるほどの高速で飛行し、前方に位置している影の追跡を開始した。追走を行う飛翔体は前の影と同様に航跡雲を放出しながら、小刻みに『ハイ・ヨー・ヨー』を繰り出して、加速を継続する。しかし先行する影は追撃を振り切るためか、急制動を掛けて機体を地表に対して垂直に立て、後続機の背後を取った。鮮やかな『コブラ』。技術的な再現性に関しては容易だが、技と呼ばれる技量は再現可能性による一義的な側面からは語れない。一口にコブラと表現したところで、交戦中のどのタイミングで発動するのか、急制動を行使する間隔、機体を水平に戻す手早さなどの要素から複合的な判断が要求される。つまり技を使用できたところで、効果的かつ的確な使用が不可能ならば宝の持ち腐れということだ。その点、コブラを展開した操縦士(パイロット)には、ある程度の熟練が予想される。この“機体”が普及してから大して長い年月は経過していないことから、パイロットは恐らく国内の航空隊を退役した正真正銘のパイロットなんだろう。手慣れたハイ・ヨー・ヨーを行った機体の操縦士も決して下手ではなかったから、もしかしたら彼、いやもしかしたら彼女も生粋の飛行機乗りなのかもしれない。  コブラで後方へリポジショニングした影――戦闘機は入れ替わった前方の戦闘機がダイブアンドズームの兆しを見せたからか、限界までスロットルを開いて、全速力で地表への降下機動に入った。二機の戦闘機が超高速で大地へ向かって驀進する。ここまで来ればもう空中戦闘機動(マニューバ)云々の次元ではなく、操縦者の度胸を試すチキン・レースの段階だ。どちらが先に機首を上げるか。即ちどちらが恐怖に敗北するかの単純な峻別。択一化された問いは思考を単純に陥れて、原始的かつ本能的な衝動を誘発する。そう、生きるか、死ぬか――。極端な二択かもしれない。いくら搭乗している戦闘機が安全性に担保された画期的な代物だとしても、地に失墜する感覚は胸の内に内包された生来的な恐怖心を呼び起こす。死にたくないという脳の簡単なシグナルが、脂汗が伝う指先を震わせるのだ。拡張された時間の中で、二機の戦闘機に登場したパイロットは何を思うのだろう。安全地帯である離れた地表から傍観するしかできない自分にわかるはずもない問い。そして螺旋を描くように失墜を続ける二機の戦闘機の内、先行する機体が地面すれすれで機首を上げる。空気が圧縮される異音が遠く離れたこちらにも響いてきて、自然と眉をひそめさせた。後続の機体は先行した機体が地面と水平に飛行を続けているのを確認しつつ、斜めから角度を合わせて機銃を掃射した。放たれた弾丸――もとい競技用ペイント弾はチキン・レースに敗北した前方の機体に直撃して、桃色の花弁を広げる。  決着がついた。眉の辺りに人差し指をかざして、数マイル離れた位置を飛行する二機の戦闘機を見やる。すると間もなく二機の戦闘機は轟音を響かせながらこちらへ接近してきて。そして互いの健闘を讃え合うように付随しつつ航行する二機は、こちらの頭上を高速で通過していった。その瞬間に破壊的な風圧が頬を叩いて、周囲の野っ原を薙いでいく。驚異的な突風に吹き飛ばされないよう踏ん張りながら、しかし脳裏には鮮烈な光景が灼きついていた。  頭上を通過した二機の戦闘機。しかしその機体は、数年前に空を支配していた制空戦闘機ではない。端的に言えば、そう。あまりにも小さい。全長三メートルほどの小柄な戦闘機。世界的に軍事利用されていた制空戦闘機に比べて、比較対象に不適切な程小型で。しかしその小さな身体に有り余る馬力を宿して、この大空を駆けていた。  小型戦闘機。制空を担当する航空機は小型化を繰り返して、いつしか自動車と大差ないほどの大きさへ洗練(リファイン)される。そして小型化はいずれ民間利用の可能性を示唆し始めた。国防を担当する空の王者は、下町に遍在する普遍的な存在へと変遷する。そうして身近になった戦闘機が、民間で一種のスポーツとして親しまれるまでに、大して時間はかからなかった。
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