第1章 野生児ライジング

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第1章 野生児ライジング

長じてのちには人間の社会にはどうして言葉なんてもんが必要なのか。普通の人に較べたら今でもさほど実感はないけど、それでもようやく最近はその辺の意義がだいぶ理解できてきた気がする。 だけど思い返しても幼少期当時のわたしには、咄嗟のときにぱっと手にしてきっちり使いこなせるほどそれは便利な道具じゃなかった。 自分の考えや気持ちを言語化する習慣がないと、まず何が困るかっていうと。その場その場で起きたことや感じたことがきちんとした形になって記憶メモリに記録されずに終わる、ってことが一番かもしれない。 小さな頃は日々が流れるように目の前を通り過ぎていくのをただ見てるだけで、ちょっと時間が経てば細かい記憶なんてきれいさっぱり何も残ってないのは当たり前のことでみんなも当然そうだと思ってたし。それですごく不自由したりもなかったから、特に問題だって認識がなかった。 大人になってやっと、自分でもびっくりするくらい子ども時代の記憶が残ってないのに気づいた。目の前で起きてる事態やそのとき感じてたことを脳内でだけでいいからいちいち言葉に変換しておかないと。結局水が流れるようにすうっと通り過ぎていってあとには何にも残らないもんなんだ。ってつくづく思い知った次第。 そんな中でもぼんやりながら、いくつか覚えてることはある。 あれは小学校に入って間もなくの頃だったか。 わたしが育ったのは都会の街からほど遠いある地方都市の駅から、さらにバスで30分ほどいったところにある全国的にも無名の小さな町。 不便と言えば不便だけど、わざわざ車で買い物に出ないと近隣にろくな店もないのも学校は全部の学年が一クラスずつしかなく六年間否応なく同じメンバーでずっと顔突き合わせてなきゃいけないのも。外の世界がどうなってるのか最初から知らなきゃ別に不満も何もない、そういうものだと思ってた。 保育園も町の中に一つだけ(幼稚園を希望する家の子は、隣町の園へ送迎バスで通う)。だから入学前から同じクラスの半分以上の子はもともと知り合い、のはずだった。ただ自分に限っては前から親しくしてた子が特にいたって認識はない。幼少期のわたしには友達がいなかった。 理由は多分、言葉より先にまず手が出てしまうこの性格のせいだ。 自分では特別変なことをしてるって意識がない。目の前で起きてることに対して何かしなきゃ、とか何とかしよう。って感じた際に瞬間的に言葉が出てこない。 別にわざとじゃなく、口で何か言って相手を説得したり行動を制止するって方法が取れないので。小さな頃のわたしにはやむなく実力行使するよりほかに手段がなかった。 だからある日の学校の帰り道、大人が見てないところで一人の弱そうな同級生の男の子を大勢で囲んでた小学生の群れを見かけて取れる手はひとつ。片っ端から連中をぶっ飛ばすこと。 「どうしてなんだろうねぇ。この子、体格も別に大っきくないし。両親とも全然暴力的って性格でもないのに、何でこんなに喧嘩っ早いんだろ。特に鍛えてもないのに、あの人数の男の子たちを向こうに回して。自分は無傷だなんて…」 これはごく普通の一般人メンタリティを持つ母親がその日の夜にこぼした台詞。何というか、怒る気にもなれない。といった感じでお手上げと言わんばかりにしみじみと呆れた口調で呟かれたのが何故か今でも印象に残ってる。 父親の方はというと日頃のしつけを母親に任せてる立場から来る余裕なのか、どこか他人事みたいに呑気に明るくそれに応えて母からじろりと睨まれてた。 「まあ。…でも、どう考えてもそいつらが悪いんじゃん?苛められてたのって奥山さんとこの坊ちゃんなんだろ。あの子じゃ、そりゃまあ。大勢に囲まれて小突かれててもなんも言い返せそうもないもんな、大人しくて気弱そうだし」 どうやら両親は苛められてた子のことは知ってるらしい。狭い町だし一学年一クラスしかないんだから当たり前って言えば当たり前だけど。実はその子とは保育園から一緒だった、ってわたしが知ったのはまだもう少し後のことだ。 「そういうの、子どもって敏感なんだよな。こいつなら絶対やり返して来ないだろうとか。小狡い方にばっか嗅覚働くっていうかさ…。だからまあ、口でやめなよって注意して下手に悪ガキたちに目ぇつけられるよりか。問答無用でぶん殴って無双して、初手からがつんと痛い目に遭わせといた方が。のちのちいいんじゃない?今後は思い知って向こうからはちょっかいかけて来ないだろ」 「またそんな呑気なこと言って。…あたしの身にもなってよ。うゆがぶっ飛ばした子たちの家全部一軒一軒回って、頭下げて回るのはこっちなんだから…」 がっくり落ち込んで恨みがましくぼやく母親の肩に両手を乗せて、まあまあと宥めながら疲れを取ろうと軽く揉んであげる父の表情はというと。やっぱりどこか楽しげだ。 「いつも苦労かけてごめんてば。…明日は俺も一緒に同行するよ。二人揃ってひたすらぺこぺこしおらしく謝っとけばそれで何とか丸く収まるだろ。みんなびっくりしてちょっと泣いちゃったくらいで、酷い怪我したやつもいないんだろ?」
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