ひなび山の大神さん

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「爺ちゃん、ちょっと夕食用に山菜取って来るわ」 「おう。気いつけえよ」  スニーカーに足を突っ込むと、私は実家を出て歩き出した。  我が家は別に裕福ではないのだが、たまたまご先祖様が安い時に買ったのであろう山を所持していた。名前をひなび山と言う。  まあ名前の通りひなびたド田舎にある、というか田舎過ぎて開発の声なども一切掛からない、価値のない小さな山なのではあるが、主に山菜、特に秋には栗や松茸なんかも取れたりして、かなり我が家の食卓を潤してくれるのである。最近野菜は特に高いのよねえ。 (当分戻る予定はなかったんだけどなあ……)  てくてくと山道を歩きながら私はため息を吐いた。  私は東京でデザインの専門学校を春に卒業したばかりだ。  本来ならば、そのまま内定が決まった会社にグラフィックデザイナーとして就職する予定だったのだが、昨今の不況のあおりで会社が傾いてしまい、新卒など採るゆとりがなくなったと内定が取り消されてしまった。  ただでさえ親が早くに事故で亡くなり、小さな印刷工場を経営している祖父に無理を言って学校に通わせて貰ったのに、と慌てて別の職場を探そうとするが、絵の仕事以外をしても学校に通った意味がない。大きなところは既に採用されている人がいて入れないし、かといって小さな会社は人が余っているような状態。なかなか仕事は見つからなかった。  ネットでイラストの仕事を個人で引き受けてやっていたので月々八万前後の収入はあったが、東京でそれで暮らして行くのはかなり厳しい。  それなら一度家賃の掛からない実家に戻ってイラストの仕事をしつつ、上手く行くようなら仕事の幅を広げて収入を増やす、ダメならまた東京で仕事を探そうとアパートを引き払って帰って来た。  本当は力をつけてグラフィックデザイナーとして早く独立し、お金を儲けて爺ちゃんに楽をさせたかったのだが、世の中そう上手くは行かないもんなのね。  爺ちゃんもまだ若いとは言えもう六十歳半ばを越えているし、まだ仕事は現役でも流石に体力的には衰えが来ている。  婆ちゃんは私が高校生の頃に病気で亡くなったし、もう家族二人きりなので、出来ればここで生計を立てつつ、爺ちゃんを看取りたいと思っている。まあネット環境があれば仕事はあるもんね。  つらつらとそんなことを考えながら、道を外れてゼンマイ、コシアブラ、赤ミズなどをせっせと採取して、ふと時計を見るともう一時間も経っていた。もう夏が近いせいで空はまだ明るいが、いくら小さい山とはいえ森林と言えるだけの木には囲まれているので、暗くなると足元が危なくて動けなくなる。 (いけない。早く戻ってご飯作らないと)  と立ち上がり辺りを見回すが、いつもの見慣れた細い道が見当たらない。 「ん? あれ?」  首を捻る。おお今日は豊作じゃあ、などと興奮して採っているうちに奥深くまで来てしまったのだろうか。これはいけない。  私は少し慌てて道を戻り始めた。  だが、探せど探せどいつもの見慣れた道に出られない。  空を見れば夕闇が迫っているような気がする。  どうしよう、どうしよう、と早足で少し歩いては戻り、逆方向に行っては戻り、を繰り返しているうちにひらけた場所に出た。  古ぼけた小さな神社がそこにはあった。  ただ、赤い鳥居と社と小さな社務所、それにボウリング玉ぐらいの大きさの狛犬が二体台座の上にあるだけだ。だが清掃はされているようで、寂れた感じはなかった。 「──あれ、山の中に神社があったっけ?」  普段あまり奥深くまでは行かないので気づかなかったのかも知れない。  まあいつも近場で山菜取りしかしてなかったものね。  ……いや、それよりも早く帰らないと。見たことがない場所にいるということは、かなり自宅から離れてしまった可能性が高い。  私はまた道を探して戻ろうとしたところで、背後から声を掛けられた。 「どうした? 迷子か」 「ひっ」  いきなり声がしたのでぎょっとして振り向いた。目の前には、ホウキを持った白衣に浅黄色の袴を履いた背の高い男性が背後に立っていた。  まだ二十代半ばぐらいに見える、黒髪を後ろで束ねた、何というかやたらと顔面偏差値の高い人だった。東京でもこんな美形見たことない。 「──あ、あのっ、こちらの宮司さんですか?」  本来見知らぬ若い男性に山の中で出会うなど恐怖でしかないが、服装で神職だと考えたら恐怖が薄れるのは何故だろうか。 「……ああ、まあそうだな。──ところでもうすぐ暗くなるぞ。早く家に戻った方が良い」 「いえ、それが山菜取りしてて、道を外れたみたいで、近くのはずだったのに迷ってしまって……」 「この近くというと……御村の家だろうか?」 「あ! そうですそうです! 私は御村千鳥|(みむらちどり)といいます」  自宅の周囲はド田舎で、当然ながら広い畑などもあるため、近隣の家と言っても数百メートルは離れている。このひなび山の近くの民家などウチぐらいなのですぐ分かったのだろう。 「──分かった。近くまで送って行こう。ついて来てくれ」  静かにそう言うと、ホウキを置いて歩き出した。  ……助かった。彼について歩きながら、私は心底ホッとしていた。このまま夜になったらどうしようかと泣きそうだったが、無事に帰れそうだ。 「しかし……御村の家は確か爺様一人だけだったはずだが」 「ああ、少し前に学校卒業して戻って来たんです。孫なんです」 「なるほどな」  ポツリポツリと話をしながら歩いて気がつけば見慣れた道に戻って来た。 「ああ、ここからなら分かります。すみませんご迷惑お掛けして」 「そうか。気をつけて帰れよ」  そのまま踵を返すと彼はまた山の方へ戻って行った。 「爺ちゃんただいまー」  家の扉を開けると、外出準備をしていた爺ちゃんが慌ててやって来た。 「いつもなら三十分もすれば戻ってくんのに、ちいとも帰らんから探しに出ようと思ったぞ」 「ごめん。道に迷っちゃって。山の神社の宮司さんに助けて貰った」 「……神社?」  眉間にシワを寄せ、少し不思議そうに考え込んでいた爺ちゃんが、ああ、と声を上げた。 「ひなび神社か! あそこまだ人がおったんかあ。十何年か前に宮司夫婦がなくなって、てっきり無人になったと思っておったが」 「そうなの?」 「──そういや、五年ぐらい前に若い兄ちゃんが挨拶に来たことがあったっけか。すっかり忘れとった。あんな獣道に毛が生えたような道しかないし、車も通れんような不便なとこ、参拝者も来ないだろうし、生活も大変だろうになあ」 「……うーん、確かに不便だろうねえ」  あんな道も整備されてない山奥では、流石にネット通販も配達はしてくれないだろう。それにしても一人であんな寂しいところに暮らしているのだろうか? いや、奥さんとかご両親もいたのかな?  私は食事の準備をしながら、そんなことを考えていた。  三日後。私は午前中から山菜取りを理由にして、ネットで取り寄せたお菓子を持ってまた山に登っていた。送って貰った際に帰り道から、大体の道は分かっている。この年で迷子になったのも情けないが、助けられたお礼をしないのはもっと恥ずかしい。 (……確かこの辺に……あ、あったあった)  大分色落ちした赤い鳥居を見つけてホッとした私は、宮司のお兄さんがいないかと辺りを見回した。が、見当たらない。  社務所にも一応声を掛けてみたが反応はなかった。  町まで買い物に出ているのかも知れない。美形のお兄さんが見られなくて残念ではあったが、クッキーでそうそう傷むものでもないし、何度もこっちまで来る訳にも行かないので、社務所の受付を兼ねたようなガラス戸のついた棚の上に、助けて頂いたお礼を書いた手紙と持って来たクッキーを置いて帰ろうとした。 「──どうした?」  いきなり声が掛けられて肩がびくりと揺れた。  気がつけばかなり近くに宮司さんがいた。昼間に見ると余計に神々しいほどの美形である。  しかしこの宮司さん物静かで気配がしない。歩き方とか神職だから音を立てないせいだろうか。いや、私が鈍感なのかも知れない。  今日の宮司さんは、Tシャツにジーンズというごく普通の若者の格好であった。手の籠には山菜やジャガイモ、ニンジンなどが盛られていた。  どうやら近くに畑があるらしい。自給自足に近い生活のようだ。  私は社務所の棚に置いていた袋を持ち上げると、改めて宮司さんに手渡した。 「宮司さんにお礼を言おうと思いまして。先日は本当に助かりました。あの、これクッキーなんですが、お茶の時にでも食べて下さい」 「クッキー……食べ物か」 「……? ええお菓子です」  神職さんには和菓子とかの方が良かっただろうか。一応有名どころの評価が高いものを買ったのだが。 「──気を遣わせた。今から茶を淹れるから、一緒に食べて行けばいい」 「……え? 良いんですか?」 「ああ」  実は私も一時間ちょっと歩いて来て喉が渇いていた。お水でも一杯貰って帰ろうと思っていたが、お茶を淹れてくれるなら有り難く頂きたい。  社務所には鍵も掛かっておらず、扉を開けると私を上げてくれた。  八畳ぐらいの和室で、奥は台所のようだ。ミニマリストなのか、殺風景といっていいほど家具がなかった。ないというか、テーブルと小さなタンスと座布団ぐらいしかない。 「適当に座ってくれ」 「あ、はい。ありがとうございます」  宮司さんは手際よく湯を沸かし、煎茶を淹れてくれた。  日本茶ってクッキーに合うのかな……まあ本人が好きならば別に良いか。  私はお礼を言うと、有り難くお茶を味わった。熱すぎず、香りの良いお茶である。 「……済まない。これがいくら力を入れても開かないのだが」  しばらくクッキーの缶に奮闘していた宮司さんは、申し訳なさそうに私を見た。 「あ、それテープが蓋のところに巻かれているんです。ちょっと貸して頂けますか?」  私は受け取った缶のセロテープを剥がした。こういうの丁寧に巻かれ過ぎてて分からないことあるんだよね。ちょっと宮司さんが可愛く思えた。  蓋を開くと色んなクッキーが現れて、宮司さんが目を見開いた。 「──綺麗だな」 「ですよね? これ色んな味があるんですよ。このココアのとか人気あるみたいです」  私が指を差した四角いクッキーを一つ取り上げて小さく端っこをしょり、と噛んだ後モグモグ。 「……甘くて美味い」  と嬉しそうにアレコレと選んで食べ始めた。私も一つだけ頂く。  五、六枚ぐらい無作為に食べ終えたところで宮司さんがハッと気づき、私に缶を差し出して来た。 「すまない。私だけ浅ましく食べてしまった」 「いえ、宮司さんの為に持って来たものですので」 「──大神だ」 「え?」 「私は大神蒼(おおがみそう)と言う。宮司さんと言われるのは少し恥ずかしいので名前で呼んで欲しい」 「大神さんですか。分かりました」  イケメンなのに真面目ねえ、という全世界の真面目なイケメンを敵に回しそうな感想を抱きつつ、のんびりと世間話を楽しんだ。 ◇  ◇  ◇ 「大神さーん、おススメしてた本持って来ましたよー」 「やあ御村さんか。それは有り難い」  私はあれから何となく大神さんとウマが合うと言うか、神社での居心地が良いので楽しくなり、この三カ月ほどは週に一度ぐらいのペースでひなび神社を訪れていた。  と言っても大神さんはお喋りな人ではないし、むしろ寡黙と言ってもいい。ただ私が話すことを聞いてくれ、一言二言アドバイスをくれたりするぐらいなのだが、それが私の心に安心や新たな発見をくれるのだ。  ……まあ単に綺麗な人を見て癒やされているのもあるのだけど。森林と同じようにマイナスイオン効果かも知れない。  大神さんは一人で暮らしているらしく、畑を耕したり罠でたまにイノシシを捕まえて鍋にしていたり、神社を掃除したりお祈りをしたりする以外は生活用品の買い物ぐらいで、特に大きな町に飲みに出たり遊んだりとかは一切していないらしい。 「……人が多いのは苦手だから」  と言うが、その若さとその美貌なのに、こんなド田舎の山の中の神社で一生を終えるつもりなのだろうか。何と勿体ない。  私はと言えば、地味にイラストの有償依頼が増えて来て、少しずつ収入が上がって来た。先日はとうとう出版社からライトノベルの表紙を描きませんかという話が来た。これで評価を得られれば、また仕事が入って一枚の単価も上がるだろうと思う。ありがたい話だ。  今は爺ちゃんとも一緒に暮らせるし、実は田舎暮らしは苦ではない。  私も大神さんのように大勢の人がいるところは余り好きではないし、田舎ではデザインの会社もそうはないので、都会で仕事を見つけなくては、とずっと考えていたが、ネットが使えて仕事とやり取り出来る相手さえいれば、都会だろうと田舎に住んでいるままだろうと問題がないのだ、と気がつくと焦りみたいなものが消えて気楽になっていた。  まあ確かに数少ない友人は東京で仕事をしているので会う機会も少なくなるが、SNSやメールなどで近況報告は出来るし困らない。  ついでに言うと特に結婚願望もなかったりするので、出会いの少ない田舎でも特にデメリットはない。  まあ大神さんがここにずっといてくれる予定なら、勝手に茶飲み友だちと決めている私個人には大変嬉しい話だ。  最近では紅茶やコーヒーも飲み物のレパートリーに加わった。大神さんはコーヒーのような苦いのは得意ではないらしく、いつもミルクと砂糖をたっぷり淹れている。 「御村さんは毎週、こんな寂れた神社で年寄りと世間話をしててつまらなくないのか?」 「嫌だなあ、大神さんは年上だけど別にお年寄りじゃないでしょう? 多分三十歳は越えてないでしょうし」 「──そうか」 「あ、それともご迷惑でしたか? 私がお茶をたかりに来るの」 「いや、私は今まで話し相手も特にいなかったし、御村さんから色々な話が聞けて嬉しいのだが。お菓子も初めて食べるものばかりで皆美味しい」 「じゃあ私は話し相手が出来て嬉しい、大神さんは色んなおやつを食べて世間話が出来て嬉しいでお互いハッピーということで良いですねえ」 「そうなるのかな……そうか」  そんな生活が一年も続き、私もようやく安定して仕事が入って来るようになったので田舎での生活も益々楽しくなって来た。  だが、薄々気がついてしまったのだが、どうやら私は大神さんが好きになってしまったらしい。  美形だから、というよりも、一緒にいる時の空気感が好きなのだ。心地良い。元々美形は眺めるものであって付き合うものではない、というのが持論である。私は浮気をするのもされるのも大嫌いだ。  これは完全なる思い込みなのだが、イケメンだとそういう不安が増幅される。専門学校時代に良い関係になりそうな男性がいた。彼もそこそこ爽やかなイケメンだったが、私に告白して来たくせに、既にその時点で二人の女性と付き合っていることが友人からの話で判明していたので断った。断られると思ってなかったようでしばらくは粘着されたが、私が頑なに接触しないようにしていたのでようやく諦めた。  なので男性不信なのもあるかも知れない。  ……さて困った。  茶飲み友だちとしてジジババのような枯れた関係を一年も続けて来て、今さら好きだと言われても大神さんが困るだろう。  だが、私も好意を意識してしまうと、大神さんの低い物静かな声も、たまに見せる笑顔も全てが好意メーターを上げてしまう。かと言って告白してそんなつもりはなかったと言われるともう来れなくなってしまう。  関係を変えたいが、良い方向にではなく悪い方向になるのならこのまま黙っているのが一番良い。私は悩んだ。未だかつてないほど悩んでいた。  しかし伊達に一年も茶飲み友だちをしていた訳ではなく、大神さんが私の悩んでいる姿に気がついてしまった。 「御村さん、最近少し気になっていることがあるようだが」 「え? あはは、そうですかね? 仕事が忙しくなって来たからかも」 「忙しくなって来たなら嬉しいと以前言っていたが」 「ああ……言いましたね」 「お互いにもう気心も知れた友人だ。相談ぐらいいつでも聞くぞ」  ゴマ煎餅を食べながら、大神さんは真顔で私を見ていた。  食べている煎餅のゴマが口元に一粒付いていた。こんな美形さんが、と思うと何だかおかしくなってしまい、気が抜けた。 「あのですね」 「ああ」 「……私、大神さんのことが男性として好きみたいなんです」 「そうか──え?」  ついに言ってしまった。もうこうなればやけだ。 「私はまあ顔も普通ですし、日常的な家事と絵を描くぐらいしか取り柄がないんですが、浮気だけはしないと誓えます。私みたいな女は付き合ったり出来ないでしょうか?」 「えっ、あ、そっ」 「もう実は恋人がいる、とか結婚してる、とかなら諦めますが、もしそうでなければ是非前向きにご検討願えませんか?」  最後は絵仕事の営業のような感じになってしまった。色気もクソもない。 「いや、あの気持ちは嬉しいのだが、大変に難しい」 「それは、やはり恋人が」 「そうじゃなく、──私は人ではない」 「……はあ?」  一体どんな断り方だ。私は呆れてしまった。 「人じゃないですか」 「人型なだけで、私は犬神だ」 「……犬神?」 「そうだ。大昔、ここの宮司夫婦に拾われ、飼われていた犬だった」  聞けば、かなり前からここには神社があり、昔過ぎて覚えていないが百年以上前にこの神社の宮司がケガをしていた野良犬である自分を助けてくれ、そのまま飼ってくれたのだと言う。  そして、穏やかに余生を送ったのだが、死んでからも成仏せずに何故かこの界隈をふらふらと彷徨っていて、気がつけば犬神として力を得て、人型にもなれるようになったらしい。  特に何か使命があるかも分からず、やることも分からなかったので、森の生命の霊を祭るこの神社を守ることにしたらしい。無人となっていた恩義がある神社の宮司と名乗り清掃などを行い、霊の浄化を祈ってるうちに、このままここで穏やかに朽ち果てたいと思うようになったそうだ。 「まあ犬神としての認識はあるから簡単に朽ち果てるかは分からないが」 「…………」  にわかには信じがたい。だって普通に話しているし、ケモ耳がある訳でもない。だけど、大神さんは至って真面目な顔である。心に深刻な病があるようにも思えない。 「あの……犬神としての姿に戻れたりします?」 「出来るが……怖くないのか?」 「今の話が大嘘だった方がもっと怖いので」 「──じゃ、すまないが少し後ろを向いていてくれるか? 白衣や袴など汚したくないので」  いきなり脱ぎだしたので慌てて後ろを向く。 『──いいぞ』  脳内に直接語られたような気がして私が恐る恐る振り向くと、社務所の中には威厳のある顔つきの大きな狼のような存在が座っていた。毛は真っ白で汚れ一つない。  念のため周りを見回したが、狭い社務所で彼の隠れるところもない。  だがそんな確認をせずとも分かっていた。  思慮深げな眼差しが大神さんと一緒なのだ。 『……もう良いだろうか?』 「あ、はいすみません」  また後ろを向くとしばらくゴソゴソと着替える音がした。 「もう大丈夫だ。──分かって貰えただろうか」  また白衣と浅黄色の袴に戻った大神さんに、私は言葉を失っていた。リアルファンタジーである。だけど、想像していたより未知の存在に対しての驚きはなかった。大神さんとして今まで普通に接していたせいかも知れない。 「はあー……」 「驚いただろう? まあ普段は仕事がしづらいので人型でいることが殆どだが、たまに夜中に走り回ったりしてストレス解消したりもする」 「神様もストレスになるんですね」 「神様といっても特に何が出来る訳でもない。人型になることと、基本見守るだけだ。他の神については知らない」 「……なるほど」 「だから、その、好意は大変嬉しいのだが、人ではないので気持ちに応えられないのだ」 「──嬉しい、というのは嫌いではないということですよね?」 「ん? いやそれは嫌いな人間と毎週会って話をしないだろう」 「それじゃ、私が別に人でなくても良い、といった場合どうなります?」 「……え?」 「いえ、私は単に大神さんが好きなだけで、別に結婚して欲しいとか押し付けるつもりはないんですよ。ただまあ、恋人ぐらいになれたら良いなあ、という程度なのです。そういう人との接触というのはよろしくない訳でしょうか?」 「いや、接触がどうというか……分かっているのか? 人ではないのだ」 「でも現にこうして会話も出来ますし、大神さんも話し相手が出来てなおかつ嫌いな相手ではない、私も大神さんが好き。ということで、特にお付き合いに問題はないように思うのですが」  大神さんは驚いたような顔をして口をパクパクさせていたが、少しして笑った。珍しく声を上げて。 「前から思っていたが、本当に御村さんは変わっているな」 「あのう、御村さんというのも出来れば千鳥と呼んで頂けると嬉しいんですが」 「千鳥か。じゃあ君も蒼と呼んでくれ」 「蒼さん……普通の恋人みたいじゃないですか」 「いや、恋人になるのだろう?」 「え、いいんですか? ただそうなんですけども、照れ臭いと言うか」 「そうか。……では、後は御村の爺様のところにご挨拶に行こう」 「え?」 「お付き合いというのはそういうものだろう?」  自分の秘密を打ち明けたためなのか、彼の少し憂いがあった表情が明るくなっていた。  私の方があわあわしているうちに、そのまま彼は一緒に私の家に向かい、爺ちゃんにお付き合いの許可を求めに参りました、と挨拶をした。  爺ちゃんはぽかんとした後、私の肩をバンバン叩いて、 「千鳥、お前は真面目な男捕まえたなあ! 一生一人でのほほんと暮らすのかと思っとったわ」  と大喜びした。  その後、安心したのか二年も経たないうちに心臓発作で爺ちゃんは亡くなったが、最後まで蒼さんに孫をよろしく頼むと言っていた。  四十九日も終わり、気持ちの整理も済んだ頃、蒼さんが一緒に神社の方で暮らさないかと尋ねて来た。 「家は仕事用で残しておけば良い。荷物などの受け取りも神社ではやりにくいだろうし」 「良いんですか?」 「千鳥と一緒に暮らしたい。本当は夫婦になりたい。だが……」 「だが?」 「その……夜の生活まで共にしてしまうと、寿命が私に合わせて止まってしまうのだ。だからそこまでは求めない。ただ一緒にいる時間が少ない分出来るだけ長く傍にいたい」 「あらそれは便利。ずっと若いままでいられるってことですよね」 「長い時を生きるのはそんなに簡単に考えていい話ではないよ」 「もう爺ちゃんもいないですし、私、天涯孤独なんですよ。だからずっと一緒にいて下さい」 「だが仕事はどうする? 人の寿命を越えてまでは働けないだろう」 「普段から顔合わせるような仕事してないですからねえ。……あ、でも流石に五十年ぐらい経ったら引退しないとまずいかも知れないですね。あはははっ」 「あはははって……千鳥は本当に能天気だな」 「まあ人間って生きてもせいぜい百年前後ですから、名目として私も戸籍上死ぬんでしょうね。その後このひなび山は国のものになるでしょうし、神社がどこまで保護されるか分かりませんけど、その時はまた別のとこ行きましょうか。先のことは先になってから考えましょうよ。能天気な女だと深く悩まないからお得ですよー。いかがでしょうお一つ」 「……頂こうか」 「毎度ありー」  私は蒼さんに抱き着いてキスをした。  人外さんとの出会いは自然で、当たり前のように生活に入って来ることもあるものである。ああ私も人外さんとなるのかな。まあいいか。  人生とは、愛する存在と楽しく生きることなのだから。
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