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Day31. 夏祭り
晴れた空の中央から花火の音が聞こえてくる。
「今日は町内の夏祭りだから」
母は言い、「時間があったら行っておいで」と笑いながら夜勤へ向かっていった。父は朝から町内会の仕事で不在だ。家の近くにある広い公園で行われるそれは毎年の七月末に企画されるもので、町内の大人達が屋台を出したりステージを用意したりする。夜になるとビンゴゲームが始まったり盆踊りをしたり市販の花火を打ち上げたりするのだ。子供達はというと当日はしゃぐだけなのだけれど、高校生にもなった自分は完全に子供側でいるには暇すぎて、大人側でいるには祭りの進行の手順を知らなすぎた。
二階の自分の部屋で、机に向かう。夏休みの宿題は多い。高校生にもなると宿題が各科目から出されるから、ものすごく多く感じられる。量が多ければ多いほど真面目にやらなくなるものだけどな、なんて思っているのは内緒だ。そんなことを言ったって状況は何も変わりはしない。教師という職業は慣例に従うだけで精一杯なほどに忙しい。
――世界は思った以上に僕を脇役扱いしている。
子供の頃は、自分こそが主役なのだと思っていた。頑張れば頑張っただけ褒めてもらえると思ったし、その頑張りの内容は常に正しいまので、予定通りの結果が出ると信じて疑わなかった。自分の頑張りは誰もが見ていて、自分の発想は誰よりも優秀で、自分の失敗は誰もが許してくれる、そんなふうに根拠もなく思っていた。けれど実際はどうだ。頑張りは主張しないと見てもらえないしその頑張りが理想的な結果を導くとは限らない。心が折れた時に必ず誰かが慰めてくれるということはなく、何が悪いのかわからないままに怒られることもしばしばだ。
これが世界の本当の姿なのだと、自分はただの一人の人間にすぎないのだと、僕はようやく知り始めている。
だとしたら、何も知らず自分を万能な主人公だと信じていた頃を彷彿とさせる町内の夏祭りは恥ずかしい場所だった。照れる、という意味ではなく、曖昧な笑みで立ち尽くす、という意味での「嫌な」場所だ。夏祭りの打ち合わせに参加していない自分は運営を手伝うことすらままならない。子供側として遊び回るしかない。それがどうにも落ち着かなくて、僕は今年も部屋に留まっている。近所の同級生や先輩が来なくなったのも大きい。自分だけが無知な子供のふりをするといういたたまれなさが我慢ならないのだ。
ドン、ドン、とまた花火の音が聞こえてくる。机のそばの窓から、花火の残骸めいた白煙が近所の家の屋根の上に漂っているのが見えた。昼間の花火は華やかさがなく音ばかりが大きい。打ち上げ場所が近いから、花火の白光や煙が空の向こうではなく空中のど真ん中に上がっているように見える。
近いな、と僕は呟いた。
花火が近い。夏祭りの会場が近い。
それを僕は、家の中から眺めている。それでも良いかもしれないな、なんて他人事のように思う。夕方になったら盆踊りの音楽が聞こえてくるようになるのを知っていた。子供達がステージの周りで追いかけっこをするのも、焼きそばの屋台からの煙が油っこいのも、遊ぶのに邪魔になるからと空き地の横の木に金魚すくいの金魚が入ったビニールの袋がいくつもぶら下げられているのも、いつもビールを飲んで居間でテレビを見ている父や同じ雰囲気のおじさん達が汗をかきながら会場内を歩き回って物を運んだり声をかけたり紙を覗き込みあったりしているのも、既に知っている。
夏祭りは近いのだ。目を閉じずとも足を運ばずとも、頭の中にそれはある。
僕は机の上へ顔を戻した。質の悪い紙に印刷された原稿用紙が置かれていた。国語の教師から渡された、夏休みの思い出を書く紙だった。まるで小学生みたいなその宿題は案外皆の気持ちを昂らせたようで、紙を渡された日に夏休み最終日の思い出を書き上げた猛者もいた。皆、無邪気に遊んでばかりの小学生の時には書けなかった、部活動への熱意や宿題への嫌味などを嘘偽りなく書くのだろう。
僕はシャーペンを手にその紙に文字を書き込んだ。
『今年の町内夏祭りも不参加を決め込みました。』
そんな冒頭で、書き始めた。
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20220803
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