3人が本棚に入れています
本棚に追加
Day16. 錆び
長寿の血筋を存分に生かしたくて、私はあらゆる場所へと旅して回った。別に旅が好きだったわけではない。ただのんびりと日を過ごすのは飽きてしまうし、他の生き物より随分と長い間生きなければいけないという事実が一箇所に留まれば留まるほどいや増すというのもあって、逃げるように拠点を移していたのだ。おかげで他の生き物よりも知識と経験が多くなった。頼られることは多く、悪い気はしなかった。長生きは良いものだとは口が裂けても言えないが、長生きを十分に利用してやっているという自負はある。
そんな私が訪れたのはとある崖の上だった。海に面したそこは、断崖絶壁という単語そのものであるかのように凄まじい地形を保っていた。その崖の上に竜がいるというのだ。竜というのはかなり大きい。人二人三人を軽々と背に乗せて運べる。どんなに木々が茂ろうと、その巨体を隠せるわけもない。が、遠目から見たところそれらしい影はなかった。さては嘘か、もしくは迷信か。今までも人の話に惑わされてあるはずのないものを探したことがある。今回もそうなのだろう。
とりあえず、と崖の上まで辿り着いた私は、愕然とそれに見入った。
竜。
鰐のような顔、長い首、太った胴体、短い手足、そして蝙蝠に似た巨大な両翼。眠りについた鶏のように、それは崖の上で丸くなっていた。
遠目から見てもわからなかったはずだ。土色のそれは、崖の断面と同じ色味をしていた。質感も同じだ、土めいている。これを正しく評価するなら「竜の形をした土」だ。けれど確かに竜だった。私の足音を聞いて、微かに瞼を開けたからだ。
「……驚いたな」
私は思ったままに呟いた。
「ここで死ぬつもりかい」
竜は答えなかった。口が開かないのだろう、僅かばかりに動いた瞼もカラカラと土色の欠片をこぼしている。竜は錆びていた。
「鉄竜の最期の話は聞いていたものの……こんな人里近くでなんて。死体がどう扱われるかわかったもんじゃない。心臓をくり抜かれるぞ」
竜はただ、目を閉じた。それしかできないからだとわかってはいても、私には竜が笑ったように見えてならなかった。
私は物知りになったというのに、竜が笑った理由がさっぱりわからなかった。
私は竜の隣に腰掛けた。崖から見下ろす海は広かったが、私が見てきた海よりもくすんでいた。臭いもどちらかというと不快だ。それを言えば、竜はやはり瞼を瞬かせて笑う。
笑みのない笑いに、私は我慢ならなかった。
数日、数ヶ月、私は竜の隣で竜と同じものを見た。竜のそばには時折村の子供が来て、竜に気付かず遊んでいった。私より若い年寄りがここまで来て、近くに生える花を摘んでいったこともある。この崖に生える草は良い食材になるらしい。
四季が巡った。
私はついぞ、竜が笑った理由がわからずにいた。
「私は行くよ」
隣の竜に話しかけるも、彼はもう目を開けなかった。
「結局何もわからなかった。初めてだ、こんなに長く一箇所に留まったのに。もう少しいればわかるかと何年もここにいたけれど、もう意味がなさそうだ。諦めたわけじゃない、経験則さ。――ああ、でも」
答えは返ってこない。それでも私は、崖の上から見下ろす海に呟く。
「君のような最期を迎えてみたいものだね」
私は立ち上がって歩き出した。振り返ることはない。竜は既に、竜の形を失っていた。
かつて竜がいたというその崖は、食材に適した草花の育つ土壌として村人に親しまれている。
-----
20220716
最初のコメントを投稿しよう!